スリーピー・フロイド

アメリカのバスケットボール選手

エリック・オーガスタス・"スリーピー"・フロイド (Eric Augustus "Sleepy" Floyd, 1960年3月6日 - ) は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。身長190cm、体重77kg。ポジションはポイントガード

スリーピー・フロイド
Sleepy Floyd
引退
ポジション PG
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1960-03-06) 1960年3月6日(64歳)
出身地 ノースカロライナ州ガストニア
身長(現役時) 190cm (6 ft 3 in)
体重(現役時) 77kg (170 lb)
キャリア情報
出身 ジョージタウン大学
NBAドラフト 1982年 / 1巡目 / 全体13位[1]
選手経歴
1982-1983
1983-1987
1987-1993
1993-1994
1994-1995
ニュージャージー・ネッツ
ゴールデンステート・ウォリアーズ
ヒューストン・ロケッツ
サンアントニオ・スパーズ
ニュージャージー・ネッツ
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
代表歴
キャップ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 1979
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
FIBA U19ワールドカップ
1979 サルヴァドール 男子バスケットボール

経歴

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フロイドはノースカロライナ州ガストニアで生れた。"Sleepy"というニックネームは彼が10歳のときに付けられたという。進学したジョージタウン大学では通算2,304得点の学校記録を樹立した。4年次にはパトリック・ユーイングとともにチームを39年ぶりのNCAAトーナメント決勝に導き、オールアメリカ1stチームに選ばれた。

1982年、フロイドはNBAドラフト全体13位でニュージャージー・ネッツに入団したが、ルーキーシーズンの途中でミッキー・ジョンソンとともにゴールデンステート・ウォリアーズマイケル・レイ・リチャードソンとの交換でトレードされた。ウォリアーズではパービス・ショートジョー・バリー・キャロルとともに主力として活躍し、プロ3年目の1984-85シーズンに自己最高の平均19.5得点を記録した。

フロイドは1986-87シーズンにキャリアイヤーを迎え、平均18.8得点10.3アシスト(リーグ2位)の好成績で自身唯一のオールスター出場を果たした。1986年12月6日のダラス・マーベリックス戦では自己ベストの41得点をあげた。ウォリアーズはこの年42勝をあげて10年ぶりにプレーオフに進出し、プレーオフ1回戦ではユタ・ジャズを破り、カンファレンス準決勝でロサンゼルス・レイカーズと対戦した。0勝3敗と追い込まれた第4戦、フロイドは第4クォーターでの12連続得点を含む51得点と大爆発してチームを勝利に導いた[1]。この試合で記録した1クォーター29得点及びハーフ39得点は現在でもプレーオフ記録として破られていない。ウォリアーズは第5戦で敗れてカンファレンス決勝進出はならなかったものの、第4戦におけるフロイドのパフォーマンスは、アナウンサーの"Sleepy Floyd is a Superman!"という名実況とともにNBAプレーオフ史に刻まれた。

フロイドは翌シーズンも平均21得点と好調だったが、シーズン序盤の12月にジョー・バリー・キャロルとともにラルフ・サンプソンスティーブ・ハリスとのトレードでヒューストン・ロケッツに移籍した[2]。ロケッツでは当初先発を務めたが、1990年以降は主にシックスマンとしてプレーした。1991年2月26日のデンバー・ナゲッツ戦でわずか24分の出場で40得点をあげた。1993年8月、サラリーキャップスペースを空けるためにロケッツからリリースされ[3]、フリーエージェントとなった彼はサンアントニオ・スパーズと契約、翌1994年にキャリア最初期を過ごしたニュージャージー・ネッツに戻った。ネッツで1シーズンプレーした後、1995年に現役を引退した。

NBAでの成績は、957試合の出場で通算12,260得点5,175アシスト(平均12.8得点5.4アシスト)であった。

引退後はレストランや財務管理会社の経営に携わる他、バスケットボールのユースチームのコーチも務めた。

2014年1月にデニス・ロドマンらとともにエキシビションゲームに参加するために北朝鮮を訪問したが、子どもたちのための試合ではなく、金正恩の誕生日を祝賀するための試合であったと後悔を口にしている[4]

個人成績

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* リーグ1位
太字 キャリアハイ

レギュラーシーズン

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Season Team GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1982–83 NJN 43 6 11.5 .426 .286 .844 1.0 1.6 0.4 0.2 5.3
GSW 33 11 22.8 .431 .545 .830 2.9 2.2 1.2 0.2 11.7
1983–84 77 73 33.2 .463 .178 .816 3.5 3.5 1.3 0.4 16.8
1984–85 82 82 35.0 .445 .294 .810 2.5 5.0 1.6 0.5 19.5
1985–86 82 82 33.7 .506 .328 .796 3.6 9.1 1.9 0.2 17.2
1986–87 82 82 37.4 .488 .384 .860 3.3 10.3 1.8 0.2 18.8
1987–88 18 18 37.8 .439 .050 .835 5.1 9.9 1.5 0.1 21.2
HOU 59 55 31.1 .431 .250 .860 3.5 6.2 1.2 0.2 13.1
1988–89 82 82 34.0 .443 .373 .845 3.7 8.6 1.5 0.1 14.2
1989–90 82 73 32.1 .451 .380 .806 2.4 7.3 1.1 0.1 12.2
1990–91 82 4 22.6 .411 .273 .752 1.9 3.9 1.2 0.2 12.3
1991–92 82 3 20.3 .406 .301 .794 1.8 2.9 0.7 0.3 9.1
1992–93 52 10 16.7 .407 .286 .794 1.7 2.5 0.6 0.1 6.6
1993–94 SAS 53 2 13.9 .335 .222 .667 1.3 1.9 0.2 0.2 3.8
1994–95 NJN 48 1 17.3 .335 .284 .698 1.1 2.6 0.3 0.1 4.1
Career 957 584 27.6 .444 .324 .815 2.6 5.4 1.2 0.2 12.8
All-Star 1 0 19.0 .571 .333 .714 5.0 1.0 1.0 0.0 14.0

プレーオフ

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Year Team GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1987 GSW 10 10 41.4 .507 .464 .922 3.0 10.2 1.8 0.2 21.4
1988 HOU 4 4 38.5 .426 .500 .864 1.8 8.5 2.0 0.0 18.8
1989 4 4 40.0 .478 .533 .714 4.5 6.5 2.0 0.3 15.5
1990 4 4 43.0* .469 .250 .647 3.8 10.3 1.3 0.3 18.5
1991 3 0 13.7 .333 .000 0.7 2.3 0.7 0.3 5.3
1993 7 0 8.6 .316 .333 .700 0.6 1.1 0.3 0.0 2.9
1994 SAS 4 0 9.3 .250 .500 0.3 0.3 0.0 0.0 1.5
Career 36 22 28.8 .457 .414 .814 2.1 6.1 1.2 0.1 13.0

脚注

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  1. ^ Gordon Edes (1987年5月11日). “Sleepy Floyd’s 51 Points Turn Off Lakers’ Lights”. ロサンゼルス・タイムズ. 2022年5月31日閲覧。
  2. ^ Sampson Traded In 4-Player Deal”. ニューヨーク・タイムズ (1987年12月13日). 2022年5月31日閲覧。
  3. ^ Rockets Release Floyd, Trade Pick for Elie”. ロサンゼルス・タイムズ (1993年8月3日). 2022年5月31日閲覧。
  4. ^ Gabe Whisnant (2014年1月10日). “Floyd sorry for being part of Rodman's N. Korea trip”. ガストン・ガゼット. 2022年5月31日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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