スフミ

アブハジアの首都

スフミSukhumiグルジア語: სოხუმიアブハズ語: Аҟәа (Aqwa)ロシア語: Сухум)は、国際的にはジョージア(グルジア)国内の自治共和国とされているアブハジアの首都。ロシアなど少数の国からは独立国家・アブハジア共和国の首都として承認されている。黒海に臨む。人口は62,914人(2011年アブハジア共和国国勢調査)。

スフミ
სოხუმი Sukhumi
Аҟәа Aqwa
Сухум(и) Sukhum(i)
スフミの市章
市章
位置
の位置図
位置
スフミの位置(ジョージア内)
スフミ
スフミ
スフミ (ジョージア)
スフミの位置(アブハジア内)
スフミ
スフミ
スフミ (アブハジア)
の位置図
座標 : 北緯43度00分12秒 東経41度00分55秒 / 北緯43.00333度 東経41.01528度 / 43.00333; 41.01528
歴史
定住 紀元前6世紀
市制開始 1848年
行政
ジョージア (国)の旗 ジョージア アブハジア自治共和国
 事実上 アブハジアの旗 アブハジア
 市 スフミ
市長 アドグル・ハラジア英語版
地理
面積  
  市域 27 km2 (10 mi2)
標高 5~140 m (16~460 ft)
人口
人口 (2011年現在)
  市域 62,914人
その他
等時帯 モスクワ時間 (UTC+3)
郵便番号 384900
市外局番 +7 840 22x-xx-xx
ナンバープレート ABH

地勢

編集

黒海の東の大きな湾に面し、港を有し、鉄道の分岐点でもある。亜熱帯気候で、鉱泉を産し、旧ソビエト連邦時代は屈指の保養地として知られ、多くのホテルの立地する典型的リゾート地であった。1840年に出来た植物園はカフカスでも有名であった。郊外のスフミ・バブシャラ空港はアブハジアの玄関口である。

歴史

編集

旧石器時代の遺跡が発掘されている。紀元前6世紀ごろ、ミレトスから来たギリシア人によってここに植民都市ディオスクリアΔιοσκουριάς)が開かれた。その後、ポントス王国ミトリダテス6世に征服され、次にローマ帝国に支配され、アウグストゥスによってセバストポリスΣεβαστούπολις)と名付けられる。ユスティニアヌス1世によって砦が築かれ、東ローマ帝国の重要な拠点となる。8世紀マルワーン2世の軍勢に侵略される。

15世紀からオスマン帝国の侵攻が始まり、16世紀半ばにオスマン帝国の一部となり、ここに堅固な要塞が築かれる。

1810年ロシア海軍がこの地に入り前哨基地とし、1864年にロシアに併合される。露土戦争では、一時的にオスマン帝国に占領される。

ロシア革命では内戦にアブハジアも巻き込まれ、ボリシェビキ勢力が鎮圧された後の1918年グルジア民主共和国が誕生し、スフミもそれに編入される。1921年赤軍がこの地を制圧すると、グルジア・ソビエト社会主義共和国と連合を組むアブハジア社会主義ソビエト共和国の首都となる。1931年、アブハジアは、グルジア・ソビエト社会主義共和国の中のアブハズ自治ソビエト社会主義共和国となる。1989年には人口で110,000人とグルジア有数の規模となり、ソ連の指導者たちのダーチャが市内に多くあった。

しかし、1989年からのアブハジア紛争の主たる戦場となり、1992年から1994年にかけての戦争では連日の空爆、砲撃で市は大きく損傷した。1993年9月のスフミでの戦闘で、スフミを奪回した。 現在は緩やかながらも復興しつつある。

気候

編集
スフミの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C°F 8
(46)
9
(48)
12
(54)
16
(61)
19
(66)
23
(73)
25
(77)
26
(79)
23
(73)
19
(66)
15
(59)
11
(52)
17.2
(62.8)
平均最低気温 °C°F 2
(36)
2
(36)
5
(41)
8
(46)
12
(54)
17
(63)
19
(66)
19
(66)
15
(59)
11
(52)
7
(45)
3
(37)
10
(50.1)
平均降雨日数 17 15 16 15 12 11 10 10 10 12 16 16 160
出典:Weatherbase [1]
 
スフミ植物園

民族構成

編集

2011年の調査では:

交通

編集
鉄道

市内の西側にはアブハジア鉄道スフミ駅がある。

主な出身者

編集

姉妹都市

編集

出典

編集