スタンリー・クレイマー
スタンリー・クレイマー(Stanley Kramer, 1913年9月29日 - 2001年2月19日)はアメリカ合衆国ニューヨーク出身の映画監督・映画プロデューサー。
スタンリー・クレイマー Stanley Kramer | |||||||||||||||||||||||||||||
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1955年 | |||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1913年9月29日 | ||||||||||||||||||||||||||||
没年月日 | 2001年2月19日(87歳没) | ||||||||||||||||||||||||||||
出生地 | アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨークブルックリン | ||||||||||||||||||||||||||||
死没地 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス | ||||||||||||||||||||||||||||
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略歴
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ニューヨーク大学在学中からインターンシップで20世紀フォックスで働くようになる。その後に製作助手となり、戦時中は軍用映画の製作に携わる。1948年に自分の制作会社を設立、プロデューサーとして『シラノ・ド・ベルジュラック』『真昼の決闘』『ケイン号の叛乱』などの後世にも残る名作を手がけた。1955年に映画監督としてデビュー。社会派の監督として知名度を上げ、『手錠のまゝの脱獄』『ニュールンベルグ裁判』『招かれざる客』でアカデミー賞にノミネートされ、1961年のアービング・G・タルバーグ賞を受賞した[1]。
フィルモグラフィー
編集年 | 作品 | クレジット | 備考 |
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1948 | ムコ捜し大騒動 So This Is New York |
製作 | |
1949 | チャンピオン Champion |
製作 | |
1950 | 男たち The Men |
製作 | |
シラノ・ド・ベルジュラック Cyrano de Bergerac |
製作 | ||
1951 | セールスマンの死 Death of a Salesman |
製作 | |
1952 | 白昼の脱獄 My Six Convicts |
製作 | |
真昼の決闘 High Noon |
製作 | ||
1953 | 乱暴者 The Wild One |
製作 | |
1954 | ケイン号の叛乱 The Caine Mutiny |
製作 | |
1955 | 見知らぬ人でなく Not As A Stranger |
監督・製作 | |
1957 | 誇りと情熱 The Pride and the Passion |
監督・製作 | |
1958 | 手錠のまゝの脱獄 The Defiant Ones |
監督・製作 | |
1959 | 渚にて On the Beach |
監督・製作 | |
1960 | 風の遺産 Inherit the Wild |
監督・製作 | |
1961 | ニュールンベルグ裁判 Judgment at Nuremberg |
監督・製作 | |
1963 | おかしなおかしなおかしな世界 It's a Mad Mad Mad Mad World |
監督・製作 | |
愛の奇跡 A Child is Waiting |
製作 | ||
1964 | ガンファイトへの招待 Ship of Fools |
製作 | |
1965 | 愚か者の船 Ship of Fools |
監督・製作 | |
1967 | 招かれざる客 Guess Who's Coming to Dinner |
監督・製作 | |
1969 | サンタ・ビットリアの秘密 The Secret of Santa Vittoria |
監督・製作 | |
1970 | R. P. M. | 監督・製作 | |
1971 | 動物と子供たちの詩 Bless the Beasts & Children |
監督・製作 | |
1973 | オクラホマ巨人 Oklahoma Crude |
監督・製作 | |
1974 | 復讐の裁判!?マレーの虎・山下将軍の悲劇 Judgment The Court Martial of the Tiger of Malaya, General Yamashita |
監督・制作 | テレビムービー |
1977 | ドミノ・ターゲット The Domino Principle |
監督・製作 | |
1979 | The Runner Stumbles | 監督・製作 |
受賞とノミネート
編集賞 | 年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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アカデミー賞 | 1952年[2] | 作品賞 | 真昼の決闘 | ノミネート |
1954年[3] | ケイン号の叛乱 | ノミネート | ||
1958年[4] | 手錠のまゝの脱獄 | ノミネート | ||
監督賞 | ノミネート | |||
1961年[5] | 作品賞 | ニュールンベルグ裁判 | ノミネート | |
監督賞 | ノミネート | |||
アービング・G・タルバーグ賞[1] | — | 受賞 | ||
1965年[6] | 作品賞 | 愚か者の船 | ノミネート | |
1967年[7] | 招かれざる客 | ノミネート | ||
監督賞 | ノミネート | |||
英国アカデミー賞 | 1959年 | 国連賞 | 渚にて | 受賞 |
1968年 | 招かれざる客 | 受賞 | ||
ゴールデングローブ賞 | 1958年[8] | 監督賞 | 手錠のまゝの脱獄 | ノミネート |
1959年[9] | 渚にて | ノミネート | ||
1960年[10] | 特別賞 | 風の遺産 | 受賞 | |
1961年[11] | 監督賞 | ニュールンベルグ裁判 | 受賞 | |
1967年[12] | 招かれざる客 | ノミネート | ||
1969年[13] | サンタ・ビットリアの秘密 | ノミネート | ||
ブルーリボン賞 | 1960年 | 外国作品賞 | 渚にて | 受賞 |
ニューヨーク映画批評家協会賞 | 1958年[14] | 監督賞 | 手錠のまゝの脱獄 | 受賞 |
出典
編集- ^ a b “Irving G. Thalberg Award”. 映画芸術科学アカデミー. 2013年5月28日閲覧。
- ^ “The 25th Academy Awards (1953) Nominees and Winners”. 映画芸術科学アカデミー. 2013年5月28日閲覧。
- ^ “The 27th Academy Awards (1955) Nominees and Winners”. 映画芸術科学アカデミー. 2013年5月28日閲覧。
- ^ “The 31st Academy Awards (1959) Nominees and Winners”. 映画芸術科学アカデミー. 2013年5月28日閲覧。
- ^ “The 34th Academy Awards (1962) Nominees and Winners”. 映画芸術科学アカデミー. 2015年3月28日閲覧。
- ^ “The 38th Academy Awards (1966) Nominees and Winners”. 映画芸術科学アカデミー. 2013年5月28日閲覧。
- ^ “The 40th Academy Awards (1968) Nominees and Winners”. 映画芸術科学アカデミー. 2013年5月28日閲覧。
- ^ “The 16th Annual Golden Globe Awards (1959)”. ハリウッド外国人映画記者協会. 2013年5月28日閲覧。
- ^ “The 17th Annual Golden Globe Awards (1960)”. ハリウッド外国人映画記者協会. 2010年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月28日閲覧。
- ^ “The 18th Annual Golden Globe Awards (1961)”. ハリウッド外国人映画記者協会. 2010年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月28日閲覧。
- ^ “The 19th Annual Golden Globe Awards (1962)”. ハリウッド外国人映画記者協会. 2012年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月28日閲覧。
- ^ “The 25th Annual Golden Globe Awards (1968)”. ハリウッド外国人映画記者協会. 2010年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月28日閲覧。
- ^ “The 27th Annual Golden Globe Awards (1970)”. ハリウッド外国人映画記者協会. 2010年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月28日閲覧。
- ^ “1958 Awards”. ニューヨーク映画批評家協会. 2013年5月28日閲覧。