ジョージ・フレミング (第2代準男爵)
第2代準男爵サー・ジョージ・フレミング(英語: Sir George Fleming, 2nd Baronet、1666年頃 – 1747年7月2日)は、イングランド国教会の聖職者。1735年から1747年までカーライル主教を務めた[1]。
生涯
編集サー・ダニエル・フレミング(1701年3月25日没)とバーバラ・フレッチャー(Barbara Fletcher、初代準男爵サー・ヘンリー・フレッチャーの娘)の五男として生まれた[1]。1688年7月14日にオックスフォード大学セント・エドマンド・ホールに入学、1692年にB.A.の学位を、1695年3月7日にM.A.の学位を修得した[2]。
聖職者としての道を歩み、1695年にアスペイトリアの教区副牧師に就任した[1][2]。以降昇進を続け、1701年にカーライル聖堂の聖堂参事会会員(canon)に、1703年にスタンウィックスの教区牧師とカークランド(Kirkland)の教区副牧師に、1705年にカーライル大執事とサルケルドの教区牧師に、1719年にアウズビーの教区牧師に就任した[2]。
1727年にカーライル聖堂参事会会長に任命され、同年2月22日にオックスフォード大学よりLL.D.の学位を授与された[2](ただし、聖堂参事会会長に任命された後もカーライル大執事に留任、1735年に主教に任命されたときに聖堂参事会会長と大執事退任した[3])。1729年にグラスミアの教区牧師に転じ、1735年から1747年までカーライル主教を務めた[1]。
家族
編集1708年10月28日、キャサリン・ジェファーソン(Catherine Jefferson、1679年頃 – 1736年5月1日、ロバート・ジェファーソンの娘)と結婚した[1]。
出典
編集- ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward, ed. (1904). The Complete Baronetage (1665–1707). Vol. 4. Exeter: William Pollard & Co. pp. 192–193.
- ^ a b c d Foster, Joseph, ed. (1891). "Greenhill-Gysby". Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 480–509.
- ^ Horn, Joyce M; Smith, David M; Mussett, Patrick (2004). Fasti Ecclesiae Anglicanae 1541-1857 (英語). Vol. 11. London: Institute of Historical Research. pp. 18–20.
イングランド国教会の称号 | ||
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先代 ジョセフ・フィッシャー |
カーライル大執事 1705年 – 1735年 |
次代 ウィリアム・フレミング |
先代 トマス・タリー |
カーライル聖堂参事会会長 1727年 – 1735年 |
次代 ロバート・ボルトン |
先代 ジョン・ヴァー |
カーライル主教 1735年 – 1747年 |
次代 リチャード・オスバルドストン |
イングランドの準男爵 | ||
先代 ウィリアム・フレミング |
(ライダルの)準男爵 1736年 – 1747年 |
次代 ウィリアム・フレミング |