ジョン・バークリー・コヴェントリー
ジョン・バークリー・コヴェントリー閣下(英語: Hon. John Bulkeley Coventry、1764年以降はジョン・バークリー・コヴェントリー=バークリー閣下(Hon. John Bulkeley Coventry-Bulkeley)、1724年3月21日 – 1801年3月16日)は、グレートブリテン王国の政治家。第5代コヴェントリー伯爵ウィリアム・コヴェントリーの三男であり、1751年から1761年まで庶民院議員を務めた[1]。
生涯
編集第5代コヴェントリー伯爵ウィリアム・コヴェントリーと妻エリザベス(Elizabeth、旧姓アレン(Allen)、1738年11月23日没、ジョン・アレンの娘[2])の三男として、1724年3月21日に生まれた[3]。1731年から1740年までウィンチェスター・カレッジで教育を受けた後[3]、1740年4月23日にオックスフォード大学ユニヴァーシティ・カレッジに入学した[4]。
1751年4月、兄ジョージ・ウィリアムがコヴェントリー伯爵位を継承すると、それに伴うウスターシャー選挙区の補欠選挙に出馬、無投票で当選した[5]。1754年イギリス総選挙でも無投票で再選した[6]。議会では政府を支持したとされた[3][1]。1761年イギリス総選挙で立候補せずに議員を退任した[1]。
1764年、従兄弟にあたるジェームズ・コヴェントリー・バークリー(James Coventry Bulkeley)の死去に伴いその遺産を継承、「バークリー」を姓に加えた[3]。
1801年3月16日に生涯未婚のまま死去した[3]。
出典
編集- ^ a b c Drummond, Mary M. (1964). "COVENTRY, John Bulkeley (1724-1801), of Nether Burgate, Fordingbridge, Hants.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月26日閲覧。
- ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 473.
- ^ a b c d e Lea, R. S. (1970). "COVENTRY, Hon. John Bulkeley (1724-1801), of Nether Burgate, Fordingbridge, Hants.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月26日閲覧。
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (A to D) (英語). Vol. 1. Oxford: University of Oxford. p. 306.
- ^ Lea, R. S. (1970). "Worcestershire". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月26日閲覧。
- ^ Cannon, J. A. (1964). "Worcestershire". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月26日閲覧。
グレートブリテン議会 | ||
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先代 エドマンド・ピッツ(父) ディアハースト子爵 |
庶民院議員(ウスターシャー選挙区選出) 1751年 – 1761年 同職:エドマンド・ピッツ(父) 1751年 – 1753年 エドマンド・ピッツ(子) 1753年 – 1761年 |
次代 ジョン・ウォード閣下 ウィリアム・ダウズウェル |