ジョン・ウォード (第2代ダドリー=ウォード子爵)
第2代ダドリー=ウォード子爵ジョン・ウォード(英語: John Ward, 2nd Vicount Dudley and Ward、1725年2月22日 – 1788年10月10日)は、イギリスの貴族、政治家。トーリー党所属[1]。
生涯
編集初代ダドリー=ウォード子爵ジョン・ウォードとアンナ・マリア・バウチャー(Anna Maria Bourchier、1725年12月12日没、チャールズ・バウチャーの娘)の息子として、1725年2月22日に生まれた[2]。1743年2月7日にオックスフォード大学オリオル・カレッジに入学、1745年12月10日にM.A.の学位を修得した[3]。
1754年イギリス総選挙でマールバラ選挙区から出馬して当選、1761年イギリス総選挙でウスターシャー選挙区に鞍替えして再選した[1]。議会ではビュート伯爵内閣とグレンヴィル内閣、チャタム伯爵内閣を支持、第1次ロッキンガム侯爵内閣に反対したが、グレンヴィル内閣期にあたる1764年にウスターシャーの利益を代表して、サイダー税法の廃止法案に賛成した[1]。1774年5月6日に父が死去すると、ダドリー=ウォード子爵の爵位を継承した[2]。その後は貴族院でノース内閣を支持した[1]。
家族
編集1788年7月15日、メアリー・フェア(Mary Fair、1810年5月24日埋葬、ガマリエル・フェアの娘)と結婚した[2][4]。
出典
編集- ^ a b c d Drummond, Mary M. (1964). "WARD, Hon. John (1725-88).". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年10月19日閲覧。
- ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 488.
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (英語). Vol. 4. Oxford: University of Oxford. p. 1498.
- ^ "Dudley and Ward, Viscount (GB, 1763 - 1833)". Cracroft's Peerage (英語). 2019年10月19日閲覧。
グレートブリテン議会 | ||
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先代 ジョン・タルボット サー・ジョン・ハインド・コットン準男爵 |
庶民院議員(マールバラ選挙区選出) 1754年 – 1761年 同職:サー・ジョン・ハインド・コットン準男爵 |
次代 ブルーデネル卿 ロバート・ブルーデネル |
先代 ジョン・バークリー・コヴェントリー エドマンド・ピッツ |
庶民院議員(ウスターシャー選挙区選出) 1761年 – 1774年 同職:ウィリアム・ダウズウェル |
次代 ウィリアム・ダウズウェル エドワード・フォーリー |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 ジョン・ウォード |
ダドリー=ウォード子爵 1774年 – 1788年 |
次代 ウィリアム・ウォード |