ジョン・マイケル・ドウティーJohn Michael "Jack" Daugherty , 1960年7月3日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州出身の元プロ野球選手外野手内野手)。左投両打

ジャック・ドウティー
Jack Daugherty
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州マイアミ・デイド郡
生年月日 (1960-07-03) 1960年7月3日(64歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 左投両打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1982年 アマチュアFA
初出場 MLB / 1987年9月1日
NPB / 1996年3月30日
最終出場 MLB / 1993年10月3日
NPB / 1996年5月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

千葉ロッテマリーンズでの登録名ジャック

来歴・人物

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1982年オークランド・アスレチックスと契約。1987年9月1日にモントリオール・エクスポズメジャーデビュー。1989年テキサス・レンジャーズに移籍し、同年と翌1990年には規定打席不足ながら打率3割をマークした。その後は目立った成績は残せず、1993年にはヒューストン・アストロズ、さらにシンシナティ・レッズトレード移籍し、1994年からはマイナー暮らしが続いていた。

1995年オフに当時千葉ロッテマリーンズGMを務めていた広岡達朗が「シュアな打撃は日本向き」という理由で獲得を決定し、入団。スパイクと同様にこの年活躍した助っ人、フリオ・フランコを解雇してまでの獲得だっただけに期待された。しかし、来日時には35歳で、前年も3Aで10試合に出ただけで打率.152、0本塁打に終わるなど衰えは顕著で、直球には力負けし、さらに「シュアな打撃」が売りにもかかわらず変化球にも全く対応できず、開幕から打率1割を超えるか超えないかの超低空飛行が続きフランコにはるか及ばなかった。そのため4月中に二軍に落ちるとその後はほとんど出番を与えられないまま、6月3日には早くも戦力外通告を受けた。この外国人コンビの極度の不振はチームの得点力不足を招き、この年のBクラス転落、さらには広岡、監督の江尻亮の辞任へとつながっていった。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1987 MON 11 12 10 1 1 1 0 0 2 1 0 0 2 0 0 0 0 3 0 .100 .100 .200 .300
1989 TEX 52 121 106 15 32 4 2 1 43 10 2 1 0 3 11 0 1 21 1 .302 .364 .406 .769
1990 125 339 310 36 93 20 2 6 135 47 0 0 2 3 22 0 2 49 4 .300 .347 .435 .783
1991 58 167 144 8 28 3 2 1 38 11 1 0 4 3 16 1 0 23 2 .194 .270 .264 .534
1992 59 146 127 13 26 9 0 0 35 9 2 1 0 2 16 1 1 21 3 .205 .295 .276 .570
1993 HOU 4 3 3 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .333 .333 .333 .667
CIN 46 71 59 7 13 2 0 2 21 9 0 0 0 1 11 0 0 15 0 .220 .338 .356 .694
'93計 50 74 62 7 14 2 0 2 22 9 0 0 0 1 11 0 0 15 0 .226 .338 .355 .693
1996 ロッテ 19 45 42 1 5 2 0 0 7 4 0 0 0 0 3 0 0 13 1 .119 .178 .167 .344
MLB:6年 355 859 759 80 194 39 6 10 275 87 5 2 8 12 76 2 4 132 10 .256 .322 .362 .684
NPB:1年 19 45 42 1 5 2 0 0 7 4 0 0 0 0 3 0 0 13 1 .119 .178 .167 .344

記録

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NPB

背番号

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  • 33 (1987年)
  • 8 (1989年 - 1991年)
  • 22 (1992年 - 1993年途中)
  • 21 (1993年途中 - 同年終了)
  • 44 (1996年)

関連項目

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外部リンク

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