ジャカルタコタ駅
ジャカルタコタ駅(ジャカルタコタえき、インドネシア語:Stasiun Jakarta Kota)はインドネシアのジャカルタ首都特別州西ジャカルタ市タマン・サリ区にある、KRLコミューターラインの駅。
B 01 TP 01 ジャカルタコタ駅 | |
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駅の正面玄関 | |
Jakarta Kota | |
所在地 | ジャカルタ首都特別州西ジャカルタ市タマン・サリ区ピナンシアコタ駅通り1 |
所属事業者 | KAIコミューター |
管理者 | インドネシア国鉄 |
電報略号 | JAKK |
駅構造 | 頭端式・地上駅 |
ホーム | 6面12線 |
開業年月日 | 1887年 |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | ボゴール線 |
キロ程 | 0 km(ジャカルタコタ起点) |
(1.487 km) ジャヤカルタ► | |
所属路線 | タンジュンプリオク線 |
キロ程 | 0 km(ジャカルタコタ起点) |
乗換 | コタ停留所(トランスジャカルタ) |
概要
編集ジャカルタ市の旧市街コタ地区に位置する鉄道駅。ジャカルタ都市圏の近郊路線網を構築するコミューターラインの最も主要なターミナルであり、利用者数も非常に多く、特に朝・晩は多くの通勤・退勤客で混雑する。
ジャカルタコタ駅に来る系統
編集コミューターライン
編集2014年3月に一部のプラットホームの延長工事が完成、それまで日本製中古車は8連に縮めて運用されていたが、一部で10連での運用が開始された[1]。2015年半ばに開始された12両編成においては、ホームの長さが不足している。 2015年12月には、当駅とタンジュンプリオク駅を結ぶピンクラインの運行が再開された。
インドネシア鉄道(一般列車)
編集歴史
編集1887年、オランダ領東インド時代にバタヴィア東鉄道のターミナル駅として建設された。駅はバタヴィア南(Batavia Zuid)と呼ばれていた。これは蘭印鉄道の「バタヴィア北」という駅が近くにあったからである。またBataviasche Ooster Spoorweg Maatschapijの略でBEOS駅と通称されていた。これは、バタヴィア東鉄道のことである。
長年、バタヴィア(ジャカルタ)とジャワ島内各地を結ぶ長距離列車が発着していた。しかし、1990年代後半より同駅発着の列車は徐々に削減され、エグゼクティブクラス(一等車に相当)を主体とした優等列車はガンビル駅に、ビジネスクラス(二等車に相当)やエコノミークラス(三等車に相当)を主体とした低廉列車はパサール・スネン駅に、それぞれターミナル機能が移行されてきた。2015年6月までは西ジャワ州方面を結ぶエコノミー列車や、バンドンを結ぶ一部の優等列車など、少数の長距離列車が当駅を発着していた。2017年2月までチカンペックおよびプルワカルタへの普通列車が運行していたが、タンジュンプリオク駅発着となった。現在では、長距離列車のターミナルとしての機能はほぼ無くなった。ただし、レバラン(イスラムの断食月、ラマダン明けの大型連休)などの多客期には当駅を始発・終着とした長距離臨時列車が運行されることもある。また、ガンビル駅を始発・終着とする一般列車の一部は当駅まで回送され、当駅構内の留置線で車内清掃および整備が行われる。
また、2027年頃を目処にジャカルタ都市高速鉄道(MRT)南北線の2期区間が当駅まで延伸開業する予定である。
駅構造
編集駅舎
編集1887年築の初代駅舎は次第に手狭となり、1926年に駅を一時的に閉鎖して駅舎を建て替えた。設計はオランダ人建築家Frans Johan Louwrens Ghijselsである。駅のデザインは西洋風のものと現地風のものの折衷である。1929年10月8日にオランダ領東インド総督A.C.D. de Graeff臨席のもと、完成式典が行われた。
プラットホーム
編集頭端式ホーム6面12線を有する。
駅周辺
編集- マンディリ銀行
- インドネシア銀行博物館
- ジャカルタ歴史博物館
- ファタヒラ広場
- ワヤン博物館
- 絵画・陶磁器博物館
- アセムカ卸売センター(Pusat Grosir Asemka)
- クルクト川
- 22ジャカルタ中学校(Sekolah Menengah Pertama Negeri 22 Jakarta)