アンベール王国
जयपूर संस्थान
1128年 - 1947年 インド
アンベール王国の国旗 アンベール王国の国章
(国旗) (国章)
アンベール王国の位置
ジャイプル藩王国の地図
公用語 ヒンディー語サンスクリット
首都 アンベール
ジャイプル
ラージャ
マハーラージャ
1922年9月18日 - 1947年8月15日 マーン・シング2世
面積
1931年40,407km²
人口
1931年2,631,775人
変遷
成立 1128年
滅亡1947年
通貨ルピー
現在インドの旗 インド

アンベール王国(アンベールおうこく、ヒンディー語:जयपुर、英語:Amber Kingdom)は、インドラージャスターン地方に存在したヒンドゥー王朝11世紀 - 1947年)。 ジャイプル藩王国とも呼ばれる。

歴史

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11世紀末、アンベール王国が建国された[1]。この呼称で呼ばれるのはキルハン・デーヴが王位を継承した以降、1300年以降である[1]

1562年バール・マルのとき、ムガル帝国の皇帝アクバルに娘ハルカー・バーイーことジョーダー・バーイーを嫁がせ、帝国との同盟関係を構築した[2][3]

16世紀後半、マーン・シングはベンガル地方やビハール地方、オリッサ地方に遠征し、帝国の東方への領土拡大に貢献した[4]

ジャイ・シングは皇帝アウラングゼーブの皇位継承に大きく寄与した。シヴァージーの討伐にも参加し、プランダル条約を締結して事実上降伏させ、アーグラへと赴かせた[5]

18世紀、アウラングゼーブが死亡すると、アンベール王国はその独立性を強めていった。 ジャイ・シング2世は首都をアンベールからジャイプルへと遷都し、ジャンタル・マンタルなどを建設した。ジャイ・シング2世は天文学者としても有名な人物であった[6]

1818年4月2日ジャガト・シングは軍事保護条約を締結し、アンベール王国はイギリスに従属する藩王国となった(ジャイプル藩王国)[7]

1947年8月15日インド・パキスタン分離独立の際、ジャイプル藩王国はインドへと併合された。

脚注

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  1. ^ a b JAIPUR (Princely State) (17 gun salute)
  2. ^ 辛島『新版 世界各国史7 南アジア史』、p.236
  3. ^ チャンドラ『中世インドの歴史』、p.252
  4. ^ 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.155
  5. ^ 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.207
  6. ^ チャンドラ『近代インドの歴史』、p.27
  7. ^ A History of Jaipur C. 1503-1938 - Jadunath Sarkar - Google ブックス、p.286

参考文献

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  • 辛島昇『新版 世界各国史7 南アジア史』山川出版社、2004年。 
  • 小谷汪之『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』山川出版社、2007年。 
  • サティーシュ・チャンドラ 著、小名康之、長島弘 訳『中世インドの歴史』山川出版社、2001年。 
  • ビパン・チャンドラ 著、栗原利江 訳『近代インドの歴史』山川出版社、2001年。 

関連項目

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