アンベール王国
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- アンベール王国
- जयपूर संस्थान
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1128年 - 1947年 → (国旗) (国章)
ジャイプル藩王国の地図-
公用語 ヒンディー語、サンスクリット 首都 アンベール
ジャイプル通貨 ルピー 現在 インド
アンベール王国(アンベールおうこく、ヒンディー語:जयपुर、英語:Amber Kingdom)は、インドのラージャスターン地方に存在したヒンドゥー王朝(11世紀 - 1947年)。 ジャイプル藩王国とも呼ばれる。
歴史
編集11世紀末、アンベール王国が建国された[1]。この呼称で呼ばれるのはキルハン・デーヴが王位を継承した以降、1300年以降である[1]。
1562年、バール・マルのとき、ムガル帝国の皇帝アクバルに娘ハルカー・バーイーことジョーダー・バーイーを嫁がせ、帝国との同盟関係を構築した[2][3]。
16世紀後半、マーン・シングはベンガル地方やビハール地方、オリッサ地方に遠征し、帝国の東方への領土拡大に貢献した[4]。
ジャイ・シングは皇帝アウラングゼーブの皇位継承に大きく寄与した。シヴァージーの討伐にも参加し、プランダル条約を締結して事実上降伏させ、アーグラへと赴かせた[5]。
18世紀、アウラングゼーブが死亡すると、アンベール王国はその独立性を強めていった。 ジャイ・シング2世は首都をアンベールからジャイプルへと遷都し、ジャンタル・マンタルなどを建設した。ジャイ・シング2世は天文学者としても有名な人物であった[6]。
1818年4月2日、ジャガト・シングは軍事保護条約を締結し、アンベール王国はイギリスに従属する藩王国となった(ジャイプル藩王国)[7]。
1947年8月15日、インド・パキスタン分離独立の際、ジャイプル藩王国はインドへと併合された。
脚注
編集- ^ a b JAIPUR (Princely State) (17 gun salute)
- ^ 辛島『新版 世界各国史7 南アジア史』、p.236
- ^ チャンドラ『中世インドの歴史』、p.252
- ^ 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.155
- ^ 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.207
- ^ チャンドラ『近代インドの歴史』、p.27
- ^ A History of Jaipur C. 1503-1938 - Jadunath Sarkar - Google ブックス、p.286
参考文献
編集- 辛島昇『新版 世界各国史7 南アジア史』山川出版社、2004年。
- 小谷汪之『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』山川出版社、2007年。
- サティーシュ・チャンドラ 著、小名康之、長島弘 訳『中世インドの歴史』山川出版社、2001年。
- ビパン・チャンドラ 著、栗原利江 訳『近代インドの歴史』山川出版社、2001年。