シーバード
シーバード (Sea-Bird) は、フランスの競走馬、種牡馬である。おもな勝ち鞍は凱旋門賞とエプソムダービー。イギリスのタイムフォーム誌によるレイティングでは史上1位(当時)の145ポンドが与えられた[1]。
シーバード | |
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ジャン・テルニンクの勝負服 | |
欧字表記 | Sea-Bird |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1962年3月8日 |
死没 | 1973年3月15日 (11歳没) |
父 | Dan Cupid |
母 | Sicalade |
母の父 | Sicambre |
生国 | フランス |
生産者 | M.Jean Ternynck |
馬主 | M.Jean Ternynck |
調教師 | Etienne Pollet(フランス) |
競走成績 | |
生涯成績 | 8戦7勝 |
獲得賞金 |
2,268,648フラン +65,301ポンド |
生涯
編集誕生
編集シーバードは1962年3月8日に、フランスの実業家ジャン・テルニンクが経営するノートルダム・ド・リスル牧場で生まれた。父のダンキューピッドは競走馬時代に5勝を挙げたが大レースでの勝利はなかった。母のシカラードは未勝利馬で、シーバードを含め3頭の産駒を産んだあと、シーバードの活躍を待たずして1400ポンドで食用肉にされた。
競走馬時代
編集シーバードはテルニンクの従兄弟にあたる調教師エティエンヌ・ポレの厩舎に預託され、1964年9月2日にフランスのシャンティイ競馬場でデビューした。このレースを僅差で勝利すると、同月18日にはクリテリウムドメゾンラフットも接戦の末ブラブラ(翌年のディアヌ賞優勝馬)を下し優勝した。続いてポレはシーバードを10月のグラン・クリテリウムに出走させ、厩舎の期待馬グレイドーンと対戦させることにした。このレースでシーバードはスタートで後手を踏み、逃げたグレイドーンを捉えることができず2着に敗れた。シーバードは3戦2勝でこの年のシーズンを終え、フランスの2歳フリーハンデでグレイドーン(60キロ)に次ぐ第2位(58.5キロ)という評価を得た。
陣営はシーバードの能力を高く評価し、イギリスに遠征させてダービーステークスに出走させるプランを立てた。翌1965年、4月のグレフュール賞に出走したシーバードはこのレースを勝利で飾り、翌5月にフランスにおける春の3歳戦線の主要レースのひとつであるリュパン賞に出走した。このレースでシーバードはプール・デッセ・デ・プーリッシュ優勝馬のカンブルモンやのちにアメリカへ遠征しワシントンDCインターナショナルを優勝するダイアトムらと対戦し、2着のダイアトムに6馬身の着差をつけて優勝した。この結果を受けて陣営はシーバードをダービーステークスに出走させると発表した。
ダービーステークスではシーバードに人気が集中した。レースが速いペースで推移するなか6番手でタッテナムコーナーを回ったシーバードはゴールまで残り400メートルの地点で先頭に立ち、そのまま2着のメドウコートに2馬身半の着差をつけて優勝した。このときのレース振りをイギリスのある新聞は「ダービーを出走するような一流馬を、まるで乗馬クラブの去勢馬のようにあしらった」と表現した。
その後シーバードはフランスへ帰国し、7月に古馬との初対決となるサンクルー大賞に優勝。避暑を行わずそのままシャンティイに滞在して凱旋門賞に備えた。この年の凱旋門賞の出走馬はシーバードを含め各国のダービー優勝馬4頭、アメリカから遠征したトムロルフなど高いレベルにあったといわれている。レースは残り400メートルの地点でシーバードとジョッケクルブ賞優勝馬のルリアンスが競り合う形となったが、そこからシーバードがルリアンスを外にヨレながら引き離し、6馬身の着差をつけて優勝した。シーバードはこの年のフランスの3歳フリーハンデでもっとも高い評価を獲得(71キロ)し、ヨーロッパ年度代表馬に選ばれた。
種牡馬時代
編集シーバードは凱旋門賞を最後に競走馬を引退し、種牡馬となった。はじめの7年間はアメリカ合衆国ケンタッキー州の牧場(ダービーダンファーム)へ150万ドルでレンタルされ、1972年末にフランスへ帰国。ノルマンディー近郊のプチ・テリエ牧場で繋養された。しかし翌1973年3月1日、シーバードはこの年の種付けシーズン開始直後に腸閉塞を起こし急死した。
シーバードがアメリカで輩出した産駒は136頭で、そのうち33頭(24.3パーセント)がステークスウィナーとなった。代表産駒にはフランス牝馬三冠や凱旋門賞を制したアレフランス、アメリカ二冠馬リトルカレントなどがいる。シーバードのサイアーラインは現在も継承されており、アークティックターンの産駒ベーリング(ジョッケクルブ賞、凱旋門賞ではダンシングブレーヴの2着)とその直仔であるペニカンプ(2000ギニー)、アメリカンポスト(プール・デッセ・デ・プーラン)らによって継承されている。
血統表
編集シーバード(Sea-Bird II)の血統(ネイティヴダンサー系 / Sickle5×3=15.63%(父内)) | (血統表の出典) | |||
父 Dan Cupid 1956 栗毛 |
父の父 Native Dancer1950 芦毛 |
Polynesian | Unbreakable | |
Black Polly | ||||
Geisha | Discovery | |||
Miyako | ||||
父の母 Vixenette1944 栗毛 |
Sickle | Phalaris | ||
Selene | ||||
Lady Reynard | Gallant Fox | |||
Nerva | ||||
母 Sicalade 1956 鹿毛 |
Sicambre 1948 黒鹿毛 |
Prince Bio | Prince Rose | |
Biologie | ||||
Sif | Rialto | |||
Suavita | ||||
母の母 Marmelade1949 鹿毛 |
Maurepas | Aethelstan | ||
Broceliande | ||||
Couleur | Biribi | |||
Colour Bar F-No.2-n |
参考文献
編集- 原田俊治『新・世界の名馬』サラブレッド血統センター、1993年。ISBN 4-87900-032-9。
脚注・出典
編集- ^ 平地競走馬では、シーバード以前の最高値は1947年のテューダーミンストレルの144ポンドで、これに次ぐのが1949年のアバーナントと1955年のリボーによる142ポンドだった。シーバードよりも後の時代の競走馬では、1971年のブリガディアジェラードや1973年のセクレタリアトが144ポンドを記録している。シーバードの記録は47年間首位を維持したが、2012年にフランケルが147ポンドを獲得して記録を更新した。なお、障害競走では一般に平地競走よりも重い斤量を背負うため、障害競走馬のレイティングはこれらよりも遥かに大きな値となる。タイムフォームHP歴代上位馬タイムフォームによる歴代上位馬2013年3月15日閲覧。
- ^ 名手オリビエ・ペリエが語るシンボリクリスエスとゼンノロブロイの“偉業”Number Web(2023年11月5日).2024年8月14日閲覧。
外部リンク
編集- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ、Racing Post
- シーバード(Sea-Bird)JRA-VAN