シュタルフ悠紀リヒャルト
シュタルフ 悠紀リヒャルト(Stalph Yuki Richard、1984年8月4日 - )は、ドイツ・ボーフム出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。
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名前 | ||||||
カタカナ | シュタルフ ユウキ リヒャルト | |||||
ラテン文字 | Stalph Yuki Richard | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
日本 ドイツ | |||||
生年月日 | 1984年8月4日(40歳)[1] | |||||
出身地 | ノルトライン・ヴェストファーレン州ボーフム[1] | |||||
身長 | 183cm[1] | |||||
体重 | 79kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF[1] | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1992-2000 | ジェイキッズSC | |||||
1992-2003 | 東京・横浜独逸学園 | |||||
2000-2001 | ヴッパーターラーSVボルシア | |||||
2001-2003 | Y.S.C.C.横浜 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2003-2004 | FCチューリッヒ | 3 | (0) | |||
2004-2006 | SpVggブルクブロール | |||||
2006 | SG 99アンデアナハ | 6 | (3) | |||
2007 | バレスティア・カルサFC | 5 | (2) | |||
2007 | DSVレーオベン | |||||
2008-2009 | ハリスバーグ・シティ・アイランダーズ | 5 | (3) | |||
2009-2010 | SCイーダー=オーバーシュタイン | 34 | (6) | |||
2010 | ヘカリ・ユナイテッドFC | 4 | (0) | |||
2011 | ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ | 0 | (0) | |||
2012-2014 | SCイーダー=オーバーシュタイン | |||||
通算 | 54 | (14) | ||||
監督歴 | ||||||
2019-2021 | Y.S.C.C.横浜 | |||||
2022-2023 | AC長野パルセイロ | |||||
2023-2024 | タイU-20代表 | |||||
2023-2024 | ブリーラム・ユナイテッドU-20 | |||||
2024- | SC相模原 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集ドイツ人の父と日本人の母の間に西ドイツのノルトライン・ヴェストファーレン州・ボーフムで生まれ、1989年に父の仕事に伴い、一家で東京都へ移住する。
日本移住後は東京横浜独逸学園に入学し、サッカー部に所属。また、Y.S.C.C.横浜ユースへの所属経験もある。同時にヴッパーターラーSVボルシアへのサッカー留学も経験している。同校卒業後はFCチューリッヒに所属。
その後、海外のチームを渡り歩き、2006年から2007年にかけてヴィッセル神戸・京都サンガF.C.に練習生として参加するも入団に至らず、再び海外に活躍の場を求めた。
2011年4月21日にジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズに加入した[1]が、故障もあり出場機会はなく、同年をもってチームも活動終了となり退団することになった。
退団後は日本で故障からの回復を目指しながらチーム探しを行っていたが、2012年8月にSCイーダー=オーバーシュタインと契約。
ヘカリ・ユナイテッドFC時代には『世界の果てまでイッテQ!』の取材を受けたこともある。現役引退後は東京ヴェルディ1969の普及部コーチや自身が代表を務めるレコス(RECCOSS)の監督などを務めた[2]。
2019年よりY.S.C.C.横浜の監督に就任した[3]。なお、34歳での監督就任は当時、Jリーグクラブでの最年少記録となる(2023年奈良クラブのフリアン監督が33歳で更新する)[4][5]。同年7月28日のヴァンラーレ八戸戦後のDAZNインタビュー内での発言内容(「いい加減にしてもらいたい」)が「審判員に対する侮辱または公然の名誉毀損行為」にあたるとみなされ、後日、2試合のベンチ入り停止処分を受けた。
2021年12月10日、AC長野パルセイロの監督に就任[6]。なお、2023年シーズンからJリーグでの登録名を『シュタルフ 悠紀』に変更している。
2023年8月28日、成績不振を理由に解任[7]。
2023年11月、タイU-20代表監督に就任[8]した。なお、ブリーラム・ユナイテッドU-20監督も兼任した。 2024年6月、タイU20代表監督を退任[9]。退任理由は「プライベートな事情」としている[9]。
所属クラブ
編集- 1992年4月 - 2000年6月 ジェイキッズSC ユースチーム
- 1992年9月 - 2003年5月 東京・横浜独逸学園サッカー部 ユースチーム
- 2000年7月 - 2001年2月 ヴッパーターラーSVボルシア ユースチーム
- 2001年3月 - 2003年8月 Y.S.C.C.横浜 ユース
- 2003年9月 - 2004年2月 FCチューリッヒ (仮契約)
- 2004年3月 - 2006年5月 SpVggブルクブロール
- 2006年9月 - 同年10月 SG 99アンデアナハ (セミプロ契約)
- 2007年3月 - 2008年1月 バレスティア・カルサFC (仮契約)
- 2007年4月 - 同年8月 DSVレーオベン
- 2008年4月 - 2009年4月 ハリスバーグ・シティ・アイランダーズ
- 2009年6月 - 2010年6月 SCイーダー=オーバーシュタイン
- 2010年10月 - 同年11月 ヘカリ・ユナイテッドFC
- 2011年4月 - 同年12月 ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ
- 2012年8月 - 2014年 SCイーダー=オーバーシュタイン
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
スイス | リーグ戦 | スイス杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2003-04 | チューリッヒ | スイスSL | 3 | 0 | |||||||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2004-05 | ブルクブロール | ラインラントリーガ | |||||||||
2005-06 | |||||||||||
アンデアナハ | 6 | 3 | |||||||||
シンガポール | リーグ戦 | リーグ杯 | シンガポール杯 | 期間通算 | |||||||
2007-08 | バレスティア・カルサ | Sリーグ | 5 | 2 | |||||||
オーストリア | リーグ戦 | リーグ杯 | オーストリア杯 | 期間通算 | |||||||
2008 | レーオベン | エアステリーガ | |||||||||
アメリカ | リーグ戦 | リーグ杯 | USオープン杯 | 期間通算 | |||||||
2008-09 | ハリスバーグ・シティ・アイランダーズ | USL | 5 | 3 | |||||||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2009-10 | イーダー=オーバーシュタイン | オーバーリーガ南西 | 34 | 6 | |||||||
パプアニューギニア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | ヘカリ | 3 | PNGNSL | 4 | 0 | ||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2011 | ジェフR | 29 | JFL | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2012-13 | イーダー=オーバーシュタイン | 21 | レギオナルリーガ南西 | 0 | 0 | ||||||
2013-14 | オーバーリーガ南西 | ||||||||||
通算 | スイス | スイスSL | 3 | 0 | |||||||
ドイツ | レギオナルリーガ南西 | 0 | 0 | ||||||||
ドイツ | オーバーリーガ南西 | ||||||||||
ドイツ | ラインラントリーガ | 0 | 0 | ||||||||
シンガポール | Sリーグ | 5 | 2 | ||||||||
オーストリア | エアステリーガ | ||||||||||
アメリカ | USL | 5 | 3 | ||||||||
パプアニューギニア | PNGNSL | 4 | 0 | ||||||||
日本 | JFL | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||||
総通算 | 108 | 23 |
指導歴
編集- ドイツDFBシュトゥッツプンクト・トレセン・コーチ
- 東京ヴェルディ1969普及コーチ
- 東京・横浜独逸学園イーグルス・ダイレクター
- レコス・リーグ選抜監督
- double pass Japan クラブコンサルタント
- 日独フットボールアカデミー アカデミーダイレクター
- 2019年 - 2021年 Y.S.C.C.横浜 監督
- 2022年 - 2023年8月 AC長野パルセイロ 監督
- 2023年11月 - 2024年6月 タイU-20代表 監督
- 2023年11月 - 2024年6月 ブリーラム・ユナイテッドFCU-20 監督
- 2024年6月 - SC相模原 監督
監督成績
編集年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | ルヴァンカップ | 天皇杯 | |||
2019 | J3 | YS横浜 | 13位 | 39 | 34 | 12 | 3 | 19 | - | 県予選敗退 |
2020 | 17位 | 27 | 34 | 5 | 12 | 17 | - | - | ||
2021 | 8位 | 40 | 34 | 11 | 7 | 10 | - | 2回戦敗退 | ||
2022 | 長野 | 8位 | 52 | 34 | 14 | 10 | 10 | - | 県予選敗退 | |
2023 | 15位 | 29 | 24 | 8 | 5 | 11 | - | 2回戦敗退 | ||
2024 | 相模原 | 位 | - | - |
- ※2023年は退任時点での成績。
- ※2024年は6月から指揮。
タイトル
編集監督時代
編集- Y.S.C.C.横浜
- 神奈川県サッカー選手権大会: 1回 (2021)
- AC長野パルセイロ
- 長野県サッカー選手権大会: 1回 (2023)
脚注
編集- ^ a b c d e f 『リザーブズ 新加入選手について』(プレスリリース)ジェフユナイテッド市原・千葉、2011年4月21日 。2019年1月17日閲覧。
- ^ “コーチ紹介”. 日独フットボールアカデミー. 2019年1月17日閲覧。
- ^ 『シュタルフ悠紀リヒャルト監督就任のお知らせ』(プレスリリース)横浜スポーツ&カルチャークラブ、2019年1月17日 。2019年1月17日閲覧。
- ^ “YS横浜に父ドイツ人母日本人の34歳指揮官が就任「皆さまの誇りとなるチームへ」”. ゲキサカ (2019年1月17日). 2019年1月17日閲覧。
- ^ “【J3】初参入の奈良クラブが松本に完敗 33歳フリアン監督「最年少で勝った監督になりたい」 - J3 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2023年3月19日閲覧。
- ^ 『シュタルフ悠紀リヒャルト氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)AC長野パルセイロ、2021年12月10日 。2021年12月10日閲覧。
- ^ 『シュタルフ悠紀監督の解任について』(プレスリリース)AC長野パルセイロ、2023年8月28日 。2023年8月29日閲覧。
- ^ “シュタルフ悠紀リヒャルト氏がU―20タイ代表監督就任へ 今季途中までJ3長野で監督” (2023年11月27日). 2024年1月16日閲覧。
- ^ a b ゲキサカ編集部 (2024年6月7日). “シュタルフ監督がU-20タイ代表監督の契約を電撃解除「プライベートな事情で急遽日本へ帰国することに」”. ゲキサカ. 2024年6月7日閲覧。
- ^ 『シュタルフ 悠紀 氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)SC相模原、2024年6月26日 。2024年6月26日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- シュタルフ悠紀リヒャルト - Soccerway.com
- シュタルフ悠紀リヒャルト - WorldFootball.net
- シュタルフ悠紀リヒャルト - Transfermarkt.comによる選手データ
- シュタルフ悠紀リヒャルト - Transfermarkt.comによる指導者データ
- シュタルフ悠紀リヒャルト - J.League Data Siteによる監督データ
- シュタルフ悠紀リヒャルト - TheFinalBall.com
- RECCOSS
- シュタルフ悠紀リヒャルト (@yukistalph) - X(旧Twitter)