サウラケス
サウラケスは、コルキスの王。ローマの歴史家大プリニウスの『博物誌』で言及されており、黒海東岸で発掘された8枚の金貨との関連が指摘されている。
大プリニウスの記述
編集大プリニウスによれば、サウラケスはアルゴナウタイの物語で知られるコルキス王アイエーテースの子孫であった。また彼はスヴァネティ族の土地で豊富な金銀を発見し、エジプト王セソストリスを破って奪ったの梁、円柱、張出柱などとともに自らの宮殿を満たしたという[1]。
サウラケスとエジプト人の接触は大プリニウスの文献にのみ登場する話であるが、コルキスとセソストリスの関係は、ヘロドトス以来多くの古典古代著述家が言及している。ヘロドトスによれば、コルキス人はセソストリスがヨーロッパ遠征の帰路に残していったエジプト人入植者であるという[2][3]。セソストリスの遠征に史実性があると主張した歴史学者マーティン・バナールは、この遠征を紀元前1930年代から1920年代の出来事であるとした[4]。
サウラケスの金貨
編集19世紀、ドイツの歴史家アルフレート・フォン・グートシュミット[5]が、ジョージア西部のスフミとヴァニで発見された5枚の金貨がサウラケスのものであると主張した。
実際にはこの金貨にはΒΑΣΙΛΕ... ΣΑΥΣΑΥΜという不完全なギリシア語が刻まれていて、これをどう解釈するかは議論が続いている。Giorgi Dunduaは2013年、この金貨がサウラケスのものでなく、スキタイのサウマクスのものであるという説を提唱した[6][7]。現在、これらのコインはモスクワのロシア国立歴史博物館、ベルリンのムゼウムスインゼル、ロンドンの大英博物館、ヴァニで所蔵されている。
一方で、2007年にクリミアのフェオドシヤ付近でで発掘された金貨には、明確に"ΣΑΥΛΑΚΟΥ"と刻印されていた。これは、先の金貨をサウラケスのものとする説を強化する発見であると言える[8]。
脚注
編集- ^ 中野定雄,中野里美,中野美代 訳『プリニウスの博物誌III』、雄山閣出版、1986年、1340頁。
- ^ Priestley, Jessica (2014). Herodotus and Hellenistic Culture: Literary Studies in the Reception of the 'Histories'. Oxford University Press. p. 138. ISBN 0199653097
- ^ Lloyd, Alan B. (1993). Herodotus, Book II. Brill. p. 22. ISBN 9004077375
- ^ Bernal, Martin (1987). Black Athena: The archaeological and documentary evidence. Rutgers University Press. p. 229. ISBN 081351584X
- ^ Gutschmid, Alexander von (1876). “Saulaces, König von Kolchis”. Zeitschrift für Numismatik III: 150–153 .
- ^ Braund, David (1994). Georgia in Antiquity: A History of Colchis and Transcaucasian Iberia, 550 BC–AD 562. Clarendon Press. pp. 145, 159. ISBN 0198144733
- ^ Dundua (2013年). “The so-called Saulaces' Coins”. Online English-Georgian Catalogue of Georgian Numismatics. Tbilisi State University. 17 June 2015閲覧。
- ^ Гаврилов А.В., Шонов И.В. Монета Савлака с укрепления Куру Баш близ Феодосии. XIV Всероссийская нумизматическая конференция. – С.-Пб. 2007. С. 31-33 // (Russian) A. Gavrilov, I. Shonov, "A coin of Savlak from the fortress of Kuru Bash near Theodosia", Saint Petersburg, 2007 pp. 31-33
参考文献
編集- Zeev Wolfgang Rubinsohn. Saumakos: Ancient History, Modern Politics // Historia: Zeitschrift für Alte Geschichte Bd. 29, H. 1 (1st Qtr., 1980), pp. 50-70