コジモ2世
コジモ2世・デ・メディチ(Cosimo II de' Medici, 1590年5月12日 - 1621年2月28日)は、メディチ家の第4代トスカーナ大公(在位:1609年 - 1621年)。第3代大公フェルディナンド1世・デ・メディチとクリスティーナ・ディ・ロレーナとの長男。
コジモ2世 Cosimo II | |
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トスカーナ大公 | |
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在位 | 1609年 - 1621年 |
出生 |
1590年5月12日 |
死去 |
1621年2月28日(30歳没) |
配偶者 | マリーア・マッダレーナ・ダウストリア |
子女 | 一覧参照 |
家名 | メディチ家 |
父親 | フェルディナンド1世・デ・メディチ |
母親 | クリスティーナ・ディ・ロレーナ |
生涯
編集父の死を受けて19歳で大公に即位。ハプスブルク家のオーストリア大公カール2世 (神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の三男。皇帝フェルディンナント2世の父)の娘マリーア・マッダレーナ・ダウストリアと1608年10月19日に結婚した。
コジモは温厚で教養豊かな人物であり、ガリレオ・ガリレイの最初のパトロンとなるなど、メディチ家の伝統である文化・学術の振興には尽力している。しかし、病弱な上、君主としての資質には乏しく、母クリスティーナや妃のマリアが国政に大きな力を振るった。彼の治世の間、国内の商工業は停滞し、トスカーナ大公国は徐々に衰退していった。
1621年、コジモは31歳で没し、長男のフェルディナンドが後を継いだ。
子女
編集名前 | 伊語名 | 生年月日 | 死去 | 備考 |
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マリア・クリスティーナ | Maria Cristina | 1609年8月24日 - | 1632年8月9日 | |
フェルディナンド | Ferdinando | 1610年7月14日 | 1670年3月23日 | ウルビーノ公フランチェスコ・ウバルド・デッラ・ローヴェレ(Francesco Ubaldo della Rovere)の娘ヴィットーリア・デッラ・ローヴェレ(1622年 - 1694年)と結婚。 |
ジャンカルロ | Giancarlo | 1611年7月24日 | 1663年1月23日 | 1644年に枢機卿に選出。 |
マルゲリータ | Margherita | 1612年5月31日 | 1679年2月6日 | 1628年10月11日に、パルマ公オドアルド1世・ファルネーゼ(1612年 - 1646年)と結婚。 |
マッテーオ | Matteo | 1613年4月9日 | 1617年10月14日 | |
フランチェスコ | Francesco | 1614年10月16日 | 1634年7月25日 | |
アンナ | Anna | 1616年7月21日 | 1676年9月11日 | 1646年6月10日オーストリア大公フェルディナント・カール(1628年 - 1672年)と結婚。 |
レオポルド | Leopoldo | 1617年11月6日 | 1675年11月10日 | 1667年に枢機卿に選出。 |