ゲルハルト・シュマッツ
ドイツ出身の登山家
ゲルハルト・シュマッツ(Gerhard Schmatz、1929年6月5日 - 2005年3月28日)は、レーゲンスブルクに生まれ、ウルムに没した登山家、公証人。
経歴
編集1949年にアビトゥーア(大学進学資格)を得たシュマッツは、エアランゲン大学で法学を学んだ。その後2回の資格試験を経て、バイエルン州の公証人となった。1962年から1994年にかけて、パートナーとともにノイウルムで公証人事務所を運営した。年金受給者となった1994年から2004年にかけて、ウルム地区のバイエルン自由投票者の地域活動に参加した。ケーゼン長老会議連盟ババリア・エアランゲン軍団、ボルシア・ベルリン軍団の一員であった[1]。
シュマッツは、北アメリカ出身の3人に続き、最初のヨーロッパ人として七大陸最高峰への登頂を果たし、さらに世界で初めて、七大陸に次ぐ七大島の最高峰への登頂(7+7 Summits)も果たした[2][3]。シュマッツは、登山家であっただけでなく、北極点行やホーン岬周回のスキー行にも取り組んだ。
1979年、遠征隊の隊長としてエベレスト登頂を果たした。50歳という彼の年齢は当時の最高齢登頂記録であった。彼の妻であったハンネローレ・シュマッツも、翌日、南側の鞍部から頂上へ到達し、エベレストの山頂に立った最初のドイツ人女性となった[4]。
1979年10月2日、ハンネローレ・シュマッツは、下山の途中で、標高8,300m付近で疲労のために落命したが、その直前には同行していたアメリカ人登山家レイ・ジェネットが、やはり疲労のために落命していた[5]。
脚注
編集- ^ Georg Bremer (Hrsg.): Handbuch der Berliner Preußen, Berlin 1983, S. 295
- ^ Gerhard Schmatz: Höchste Berge, wildeste Meere, Ulm 2005.
- ^ “Statistics of 7 summits climber Schmatz”. 7summits.com. 2012年3月10日閲覧。
- ^ “Everest summiter Hannelore Schmatz”. Everest News. 2010年3月10日閲覧。
- ^ Schmatz, Gerhard. “Besteigung des Mt. Everest 8848 m – höchster Berg der Erde”. Dr. Gerhard Schmatz. Mein Leben. 2012年3月10日閲覧。
参考文献
編集- Schmatz, Gerhard: Höchste Berge, wildeste Meere Ulm 2005.
- Deutscher Alpenverein (Hrsg.): Panorama. Magazin des Deutschen Alpenvereins, Ausg. 4/2005, S. 76