ケンキ

日本のお笑い芸人

ケンキ1969年4月3日 - )は、山梨県を拠点に活躍する日本お笑い芸人MC、ナレーターレポーターローカルタレント作家役者静岡県浜松市出身。サンミュージックプロダクション所属。元どーよツッコミとネタ作りを担当。2020年より山梨県甲府市に在住[1]

ケンキ
生年月日 (1969-04-03) 1969年4月3日(55歳)
出身地 日本の旗 日本 静岡県浜松市
血液型 O型
身長 180cm
言語 日本語
方言 共通語
コンビ名 どーよ(2009年解散)
相方 テル(元相方)
芸風 漫才コント(ツッコミ)
事務所 サンミュージックプロダクション
活動時期 1989年 -
他の活動 MC、ナレーターレポーターパーソナリティ作家役者 など
公式サイト 公式プロフィール
テンプレートを表示

国家資格(司法書士、宅地建物取引士マンション管理士、2級ファイナンシャル・プランニング技能士管理業務主任者)を取得している。

略歴

編集

幼少期は東京都北区で過ごし、中学・高校時は静岡県浜松市在住[2]

高校在学中に、浜名湖競艇場にたまたま営業に来ていたとんねるずを見て、自らも芸人を志す[3]。高校卒業後は芸人を目指して上京するもうまく行かず帰郷して就職するが、それも1年で辞め再度上京し、是永克也とお笑いコンビ「MEN-Z-KAN」を結成した[3]1989年より渡辺プロダクション所属となる[3]。しかし元々「僕が相方の弟子みたいな感じ」といういびつな関係だったことなどから、1年ほどでコンビを解散しそのまま渡辺プロも退所した[3]

その後俳優活動などを経て、1996年にテルを紹介され「どーよ」を結成。当初は3人組だったが、残る一人は「遅刻が多い」ため早々に脱退しコンビとなる[3]。当時は主に原宿歩行者天国などでネタを披露しており、ロンドンブーツ1号2号などは当時からの仲間[3]。その後サンミュージック所属となり人気を博すが、解散の3年ほど前からお笑いに対する姿勢を巡り不仲となる[3]。結果としてどーよは解散し、ケンキはピン芸人として活動を続けた。

2020年3月30日よりテレビ山梨の大型情報番組スゴろく』のメインMCを務める[4]。同時期に甲府市に移住した。

人物

編集
  • 趣味は、国家資格取得・サッカー・映画(ホラー映画)
  • 司会(MC)やレポーターをすることも多い。
  • おさかな天国」のプロモーションビデオに、「お兄さん」役として出演していた。
  • 「テレビこどものうた〜おさかな天国」(CD)に歌も収録されている。
  • 「どーよ」結成前に、俳優として『101回目のプロポーズ』などのドラマに出演していた時期がある[3]
  • 『サンミュージックを勝手にしょって立つ男』というネタで、『R-1ぐらんぷり2009』3回戦まで進出。
  • 『100円ショップコスプレ漫談(ランバ・ラル)』というネタで、『R-1ぐらんぷり2011』準決勝まで進出。
  • 「ケンキ元気!」のあいさつギャグがある。
  • 笑いが少ないと「はい、○○○なこと思い出して」というネタに持っていくことがある。
  • ライブで、手作りケンキストラップ(日付入)を一番元気に「ケンキ元気!」をやったお客さん一人だけにプレゼントするパフォーマンスがある。
  • 2010年の『M-1グランプリ』には、くじらとのコンビ「ケンキとくじら」を組んで出場。
  • 東京の若手芸人が選ぶ無記名アンケートで「もっと売れてても良いと思う芸人」で2位に選ばれたが、同時に「チャンスをつかめない芸人」で1位に選ばれている。
  • 声の良さだけでラジオの仕事をもらったことがある。
  • 闇金ウシジマくんのネタがある。
  • 二時間ドラマ、崖っぷちの告白のネタがある。

主な出演番組

編集

どーよ 解散後

編集

どーよ 時代

編集
レギュラー
ゲスト・不定期

プロモーションビデオ

編集

コマーシャル

編集

著書

編集
  • 『父道』 中尾ケンキ(2008年8月、グラフ社)

脚注

編集

関連項目

編集

外部リンク

編集