クレイグ・ビジオ

アメリカ合衆国のプロ野球選手 (1965-)

クレイグ・アラン・ビジオCraig Alan Biggio, 1965年12月14日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州サフォーク郡スミスタウン英語版出身の元プロ野球選手二塁手)。右投右打。

クレイグ・ビジオ
Craig Biggio
アメリカ野球殿堂入りのセレモニーにてスピーチを行うビジオ(2015年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州サフォーク郡スミスタウン英語版
生年月日 (1965-12-14) 1965年12月14日(59歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手外野手捕手
プロ入り 1987年 MLBドラフト1巡目
初出場 1988年6月26日
最終出場 2007年9月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 2015年
得票率 82.7%
選出方法 BBWAA選出

現役時代の全てをヒューストン・アストロズで過ごしたフランチャイズ・プレイヤー。通算試合・通算安打・通算二塁打・通算得点などでアストロズの球団記録を保持する、球団史を代表する選手の1人である。

息子のキャバン・ビジオも二塁手で、2019年にMLB初出場を果たした。

日本語メディアではビッジオと表記されることもある。

経歴

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プロ入り前

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サーマン・マンソン(元ニューヨーク・ヤンキース)に憧れ、高校時代のポジションは捕手遊撃手アメリカンフットボールランニングバックとしても活躍した。シートン・ホール大学に進学してからは野球一筋になり、アメフトで培ったスピードとガッツでチームを引っ張った。

プロ入りとアストロズ時代

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捕手

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1987年6月にMLBドラフト1巡目(全体22位)でヒューストン・アストロズから指名され、プロ入り。

1988年6月26日にメジャーデビューした。

1989年には、134試合で打率.257ながら、13本塁打、60打点。加えて捕手としてはナショナルリーグ1位の21盗塁を記録し、シルバースラッガー賞を受賞した。守備では完全に時期尚早で、39回連続で盗塁阻止を失敗した[1]

1991年は4月から6月にかけて3か月連続で月間打率が3割を上回り[2]、捕手としては球団史上初めてオールスターに出場した[3]。シーズントータルで打率.295を記録した。

二塁手

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球団からは「打撃を生かした方がいいのではないか?」と打診され、ビジオは受け入れるも失敗した時の怖さを考えていたという[3]。コーチであるマット・ガランティ英語版の指導で自信を持って守れるようになった[3]。二塁手として迎えた1992年は全試合に出場し、打率.277、38盗塁を記録した。2度目のオールスター選出も果たし、捕手と二塁手の2つのポジションでオールスターに出た史上初の選手となった[3]

1994年は、1994年から1995年のMLBストライキによる短縮シーズンだったが39盗塁で盗塁王を獲得し、初めてのゴールドグラブ賞も受賞し、以降4年連続受賞した。以降自他ともに認めるメジャートップクラスの二塁手となった[3]

1995年は全試合に出場し、本塁打と盗塁による "20-20" を達成。リーグ最多の123得点を記録し、ジミー・ウィンの球団記録117得点を23年ぶりに更新した[4]

シーズン終了後にFAとなり、1年平均で600万ドル近い額が予想され、再契約は難航した[1]。チームメイトのジェフ・バグウェルは自ら減俸を要請し、前年より200万ドル減の488万ドル契約に変更し、これに応え、ビジオは市場価値より遥かに安い4年総額2200万ドルで残留した[1][4]

1997年チャック・クライン1932年に152得点を記録して以降でリーグ最高となる146得点を記録した。

1998年には51二塁打に加え50盗塁を記録し、1912年トリス・スピーカー以来史上2人目(84年ぶり)の二塁打と盗塁による "50-50" を達成した[4]。また、球団記録となる210安打を放ち、8月5日に欠場するまでに球団記録となる494試合連続出場した[4]

1999年はリーグ歴代6位となる56本の二塁打を放ち[4]、2年連続50二塁打を記録した。

2000年5月4日に球団史上初となる通算2000安打を達成したが、8月1日に左ヒザのじん帯故障によりシーズン終えた[5]。この年、打率.268、12盗塁など二塁手転向後最低の成績となった。

2002年4月8日にサイクル安打を達成する。後年、息子のキャバンもサイクル安打を達成し、MLB2組目の親子での達成となる。

中堅手、二塁手復帰

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2003年ジェフ・ケント二塁手が加入したため球団から「外野の中堅に回ってもらえないか」と打診され、ビジオは同意し中堅手へ転向[3]。同年8月10日に通算31本目の先頭打者本塁打を放ち、リーグ新記録となった[5]

2005年にケントのFA移籍やウィリー・タベラスの成長に伴い、二塁手に復帰[1]。自己最多の26本塁打を記録。そして、6月29日にドン・ベイラーが保持していた1900年以降の通算死球記録(267)を更新[5]。また、主砲ジェフ・バグウェルランス・バークマンが故障で戦線離脱中は、約3年ぶりとなる3番を勤めた。チームはこの年初めてワールドシリーズへ進出。ビジオのワールドシリーズ出場までに要した試合数は2564試合で、史上最多となった[1]。同年オフに1年400万ドルで契約延長。

2006年も21本塁打を記録したものの、打率.246はデビュー年以来の低水準となった。

3000安打、引退

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アストロズの本拠地ミニッツメイド・パークではビジオの安打数のカウンターが設置された

2007年は3000安打まであと70本で迎え、6月28日のコロラド・ロッキーズ戦でMLB史上27人目の通算3000安打を達成した[6]。7月24日の試合前に同シーズン限りでの現役引退を表明し[7]、その試合で決勝満塁本塁打を放った。それから約2ヵ月後の9月30日の試合が最後の出場となった。

引退後

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ビジオの背番号「7」。
ヒューストン・アストロズの永久欠番2008年指定。

引退の翌2008年5月23日に、アストロズは功績を称えビジオの背番号『7』を永久欠番に指定することを発表し[8]、同年8月17日に欠番表彰式が行われた。

殿堂入り得票

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ビジオは2013年にアメリカ野球殿堂入りの被投票資格を得た。3000安打を達成しているということで殿堂入りは確実と見られていたが、得票率は68.2%で落選となった。これに関してはバリー・ボンズロジャー・クレメンスと言った薬物疑惑があるが、圧倒的な成績を残した両選手の割りを食ったとされ、ビジオは得票結果を「公正ではない」とした上で「確かに(禁止薬物を使用して)有罪といえる選手はいたが、他は違う。一緒にされるのは苦痛だ」として、薬物使用者の影響を受けている殿堂得票に強い不快感を表明した[9]

2014年も74.8%と僅かに殿堂入りを逃したが、2015年に82.7%の得票率で、ランディ・ジョンソンペドロ・マルティネスジョン・スモルツと共にようやく殿堂入りを果たした。

選手としての特徴

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三振の少ないしぶとい打撃が持ち味で[3]、死球での出塁も得意としていた。2000年に左ヒザを手術[10]するまでは12年連続2桁盗塁を記録するなど俊足ぶりを見せていた。

人物

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ジェフ・バグウェルとは1992年から2002年まで一・二塁間でコンビを組み、打撃でもキラーB's(バグウェルとビジオ、またデレク・ベルランス・バークマン、後にカルロス・ベルトランなどアストロズの中核打者たちの多くが頭文字「B」で始まることとアフリカナイズドミツバチの通称「殺人蜂」とを掛けている)の中心としてチームを牽引してきた。

現役引退した2007年には、がんと闘う子どもたちを支援する基金のために資金調達を行うなど慈善活動が評価され、MLB機構からロベルト・クレメンテ賞を贈られた際に、ビジオ本人は「クレメンテは野球界の真の伝説。彼の名を冠したこの賞はメジャーリーガーにとって最大級に名誉なこと」[11]と喜びを表したと、当時時事通信が伝えた。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1988 HOU 50 131 123 14 26 6 1 3 43 5 6 1 1 0 7 2 0 29 1 .211 .254 .350 .604
1989 134 509 443 64 114 21 2 13 178 60 21 3 6 5 49 8 6 64 7 .257 .336 .402 .738
1990 150 621 555 53 153 24 2 4 193 42 25 11 9 1 53 1 3 79 11 .276 .342 .348 .690
1991 149 609 546 79 161 23 4 4 204 46 19 6 5 3 53 3 2 71 2 .295 .358 .374 .732
1992 162 721 613 96 170 32 3 6 226 39 38 15 5 2 94 9 7 95 5 .277 .378 .369 .747
1993 155 706 610 98 175 41 5 21 289 64 15 17 4 5 77 7 10 93 10 .287 .373 .474 .847
1994 114 511 437 88 139 44 5 6 211 56 39 4 2 2 62 1 8 58 5 .318 .411 .483 .894
1995 141 673 553 123 167 30 2 22 267 77 33 8 11 7 80 1 22 85 6 .302 .406 .483 .889
1996 162 723 605 113 174 24 4 15 251 75 25 7 8 8 75 0 27 72 10 .288 .386 .415 .801
1997 162 744 619 146 191 37 8 22 310 81 47 10 0 7 84 6 34 107 0 .309 .415 .501 .916
1998 160 738 646 123 210 51 2 20 325 88 50 8 1 4 64 6 23 113 10 .325 .403 .503 .906
1999 160 749 639 123 188 56 0 16 292 73 28 14 5 6 88 9 11 107 5 .294 .386 .457 .843
2000 101 466 377 67 101 13 5 8 148 35 12 2 7 5 61 3 16 73 10 .268 .388 .393 .781
2001 155 717 617 118 180 35 3 20 281 70 7 4 0 6 66 4 28 100 11 .292 .382 .455 .837
2002 145 655 577 96 146 36 3 15 233 58 16 2 9 2 50 2 17 111 15 .263 .330 .404 .734
2003 153 717 628 102 166 44 2 15 259 62 8 4 3 2 57 3 27 116 4 .264 .350 .412 .762
2004 156 700 633 100 178 47 0 24 297 63 7 2 9 3 40 0 15 94 8 .281 .337 .469 .806
2005 155 651 590 94 156 40 1 26 276 69 11 1 4 3 37 2 17 90 10 .264 .325 .468 .793
2006 145 607 548 79 135 33 0 21 231 62 3 2 5 5 40 1 9 84 16 .246 .306 .422 .728
2007 141 555 517 68 130 31 3 10 197 50 4 3 7 5 23 0 3 112 5 .251 .285 .381 .666
MLB:20年 2850 12503 10876 1844 3060 668 55 291 4711 1175 414 124 101 81 1160 68 285 1753 151 .281 .363 .433 .796
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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捕手守備


捕手(C)




















1988 HOU 50 292 28 3 0 .991 3 51 17 .250
1989 125 728 56 8 6 .990 9 140 29 .172
1990 113 546 54 9 4 .985 7 117 38 .245
1991 139 889 64 10 10 .990 13 126 46 .267
2007 1 1 0 0 0 1.000 0 0 0
MLB 428 2456 202 30 20 .989 32 434 130 .230
内野守備


二塁(2B)












1991 HOU 3 5 8 1 1 .929
1992 161 344 413 12 81 .984
1993 155 306 447 14 90 .982
1994 113 225 338 7 63 .988
1995 141 299 419 10 78 .986
1996 162 361 440 10 76 .988
1997 160 341 504 18 108 .979
1998 159 318 431 15 92 .980
1999 155 359 430 12 117 .985
2000 100 181 280 6 57 .987
2001 154 280 389 11 86 .984
2002 142 313 352 8 88 .988
2005 141 250 396 16 82 .976
2006 129 219 334 6 80 .989
2007 114 191 267 10 54 .979
MLB 1989 3992 5448 156 1153 .984
外野守備


左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)




































1989 HOU 1 4 0 1 0 .800 4 11 0 0 0 1.000 -
1990 17 20 2 1 0 .957 34 91 4 3 0 .969 2 1 0 0 0 1.000
1991 1 0 0 0 0 1 0 1 0 0 1.000 -
1999 6 6 1 0 0 1.000 - -
2002 1 1 0 0 0 1.000 - -
2003 - 150 326 9 1 1 .997 -
2004 83 116 3 9 0 .930 66 134 1 0 0 1.000 -
MLB 109 147 6 11 0 .933 255 562 15 4 1 .993 2 1 0 0 0 1.000

タイトル

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表彰

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捕手部門:1回(1989年)
二塁手部門:4回(1994年、1995年、1997年、1998年)

記録

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背番号

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脚注

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  1. ^ a b c d e ナガオ勝司「決戦の残像 クレイグ・ビジオ」『月刊メジャー・リーグ』2006年3月号、ベースボールマガジン社、2006年、雑誌 08625-3、92 - 93頁。
  2. ^ Craig Biggio 1991 Batting Splits” (英語). baseball-reference.com. 2008年7月11日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 鉄矢多美子「特集コンバートへの挑戦 クレイグ・ビジオ[アストロズ・中堅手]」『月刊メジャー・リーグ』2004年6月号、ベースボールマガジン社、2004年、雑誌 08625-6、20 - 21頁。
  4. ^ a b c d e The Ballplayers - Craig Biggio Biography” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年7月11日閲覧。
  5. ^ a b c The Ballplayers - Craig Biggio Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年7月11日閲覧。
  6. ^ Craig Biggio 3,000 hits” (英語). MLB.com. 2008年7月11日閲覧。
  7. ^ Longtime Astro Biggio says he'll retire with 'no regrets'” (英語). ESPN.com. 2008年7月11日閲覧。
  8. ^ Astros to retire Biggio's jersey Aug. 17” (英語). MLB.com. 2008年7月11日閲覧。
  9. ^ https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20130112-1071001.html
  10. ^ 「30球団マンスリー・リポート ヒューストン・アストロズ ビジオ離脱に発奮して本塁打量産 バグウェルが球団初の300号到達」『月刊メジャー・リーグ』 2000年10月号 ベースボール・マガジン社 53頁
  11. ^ ビジオにクレメンテ賞、2007年10月28日閲覧

関連項目

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外部リンク

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