アーネスト・モーリス・"キキ"・ヴァンダウェイ3世 (Ernest Maurice "Kiki" VanDeWeghe III, 1958年8月1日 - ) は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手、指導者。身長203cm、体重100kg。ポジションはスモールフォワード及びパワーフォワード

キキ・ヴァンダウェイ
Kiki VanDeWeghe
引退
ポジション SF/PF
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1958-08-01) 1958年8月1日(66歳)
出身地 ドイツの旗 ヘッセン州ヴィースバーデン
身長(現役時) 203cm (6 ft 8 in)
体重(現役時) 100kg (220 lb)
キャリア情報
出身 UCLA
ドラフト 1980年 11位
選手経歴
1980-1984
1984-1989
1989-1992
1992-1993
デンバー・ナゲッツ
ポートランド・トレイルブレイザーズ
ニューヨーク・ニックス
ロサンゼルス・クリッパーズ
指導者経歴
2009-2010 ニュージャージー・ネッツ
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

2013年に姓の綴りを"Vandeweghe"から"VanDeWeghe"に変更した。

経歴

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選手時代

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ヴァンダウェイは1958年に西ドイツヘッセン州ヴィースバーデンで生れ、ロサンゼルスで育った。父のアーニー・ヴァンダウェイは1950年代にニューヨーク・ニックスで活躍した元NBA選手だった。また、母方の伯父はNBAでリバウンド王を獲得したメル・ハッチンス、姪はプロテニス選手のココ・バンダウェイである。進学したUCLAでは、4年次に平均19.5得点を記録してチームをNCAAトーナメント決勝に導いたがルイビル大学に敗れた。

1980年、ヴァンダウェイはNBAドラフト全体11位でダラス・マーベリックスに指名されたが入団を拒否し、同年12月にトレードでデンバー・ナゲッツに入団した。2年目の1981-82シーズンに平均21.5得点を記録し、アレックス・イングリッシュとともにチームの主力となった。この年から7年連続で平均20得点をマークした。

1982-83シーズン、ヴァンダウェイはリーグ2位の平均26.7得点で自身初のオールスター出場を果たした。この年の得点王はチームメイトのイングリッシュであり、同一チームの選手が平均得点のトップ2を独占するのは史上唯一の事例となった。翌1983-84シーズンはリーグ3位かつキャリアハイとなる平均29.4得点を叩き出し、2年連続でオールスターに選ばれた。このシーズンには2度の1試合50得点以上を記録したが、このうち自己最高の51得点をあげた1983年12月3日のデトロイト・ピストンズ戦では、トリプルオーバータイムの末184-186で敗れ、両チーム合計370得点のNBA記録を樹立した。

1984年、ヴァンダウェイはラファイエット・リーバーら3選手及びドラフト指名権2つと交換でポートランド・トレイルブレイザーズにトレードされた。ブレイザーズでは移籍後3年連続でチーム得点王となった。1986-87シーズンには平均26.9得点をあげ、リーグ1位のスリーポイント成功率.481を記録した。しかし翌シーズン途中に背中を負傷して45試合を欠場し、主力の座をクライド・ドレクスラージェローム・カーシーに譲るようになった。そして1988-89シーズン途中、ヴァンダウェイは父がかつてプレーしたニューヨーク・ニックスにトレードされた。

ニックスでは1990-91シーズンにチーム2位の平均16.3得点をあげるなど復活の兆しを見せたが、翌シーズンは出場時間が平均15分を割るようになり、1992年にロサンゼルス・クリッパーズにトレードされた。クリッパーズで1シーズンプレーした後現役を引退した。

NBAでの成績は、810試合の出場で通算15,980得点(平均19.7得点)であった。

指導者時代

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引退後、ヴァンダウェイはダラス・マーベリックスのフロントに入り、1998年のドラフトでダーク・ノヴィツキーの獲得に大きく貢献した他、チームのアシスタントコーチも務めた。2001年に古巣デンバー・ナゲッツのゼネラルマネージャーに就任し、2003-04シーズンにはドラフトでカーメロ・アンソニーを指名して9年ぶりのプレーオフ進出に大きく貢献した。しかしナゲッツはなかなかプレーオフ1回戦の壁を突破することが出来ず、2006年に解任された。

その後、ヴァンダウェイは2007年にニュージャージー・ネッツのフロントに加わり、翌年ゼネラルマネージャーに就任した。2009-10シーズン途中、チームが開幕から16連敗したことを受けて暫定でヘッドコーチを兼任した。最終的にネッツは球団史上ワーストとなる12勝70敗に終り、ヴァンダウェイはシーズン終了後にヘッドコーチとゼネラルマネージャーを辞任した。ヘッドコーチとしての戦績は12勝52敗、勝率.188であった。

ヴァンダウェイは2013年にNBAの指導部に加わり、バスケットボール運営部門の副部長を2021年まで務めた。

個人成績

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* リーグ1位
太字 キャリアハイ

レギュラーシーズン

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Season Team GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1980–81 DEN 51 27.0 .426 .000 .818 5.3 1.8 0.6 0.5 11.5
1981–82 82 78 33.8 .560 .077 .857 5.6 3.0 0.6 0.4 21.5
1982–83 82 79 35.5 .547 .294 .875 5.3 2.5 0.8 0.5 26.7
1983–84 78 71 35.1 .558 .367 .852 4.8 3.1 0.7 0.6 29.4
1984–85 POR 72 69 34.8 .534 .333 .896 3.2 1.5 0.5 0.3 22.4
1985–86 79 76 35.3 .540 .125 .869 2.7 2.4 0.7 0.2 24.8
1986–87 79 79 38.3 .523 .481* .886 3.2 2.8 0.7 0.2 26.9
1987–88 37 7 28.1 .508 .379 .878 2.9 1.9 0.6 0.2 20.2
1988–89 18 1 24.0 .475 .421 .879 1.9 1.9 0.4 0.2 13.9
NYK 27 0 18.6 .464 .300 .911 1.3 1.3 0.4 0.3 9.2
1989–90 22 13 25.6 .442 .526 .917 2.4 1.9 0.7 0.1 11.7
1990–91 75 72 32.3 .494 .362 .899 2.4 1.5 0.6 0.1 16.3
1991–92 67 0 14.3 .491 .394 .802 1.3 0.9 0.2 0.1 7.0
1992–93 LAC 41 3 12.0 .453 .324 .879 1.2 0.6 0.3 0.2 6.2
Career 810 548 30.3 .525 .368 .872 3.4 2.1 0.6 0.3 19.7
All-Star 2 0 20.0 .588 .500 3.0 1.0 0.5 0.0 10.5

プレーオフ

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Year Team GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1982 DEN 3 36.3 .581 1.000* 6.0 3.0 0.7 1.3 22.7
1983 8 39.6 .544 .000 .800 6.5 4.0 0.5 0.9 26.8
1984 5 36.0 .510 .400 .964 4.6 4.0 1.8 1.0 25.4
1985 POR 9 9 34.6 .538 .143 .939 3.0 1.9 0.9 0.3 22.4
1986 4 4 37.3 .580 .000 1.000* 1.3 2.0 0.5 0.5 28.0
1987 4 4 43.5 .535 .250 .846 3.3 2.8 0.3 0.3 24.8
1988 4 0 18.0 .275 .000 1.000 3.3 1.8 0.3 0.0 7.8
1989 NYK 9 0 17.7 .510 .375 .952 1.2 0.8 0.3 0.2 8.1
1990 10 10 23.6 .419 .462 .800 1.2 1.4 0.5 0.2 7.6
1991 3 3 33.0 .406 .600 .880 2.7 1.3 0.3 0.0 17.0
1992 8 0 9.4 .542 .800 .857 0.8 0.5 0.3 0.1 4.5
1993 LAC 1 0 9.0 .333 0.0 1.0 1.0 0.0 4.0
Career 68 30 27.8 .510 .345 .907 2.8 2.0 0.6 0.4 16.1

関連項目

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外部リンク

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