カンボ=レ=バン
カンボ=レ=バン (フランス語:Cambo-les-Bains、バスク語:Kambo)は、フランス、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、ピレネー=アトランティック県のコミューン。
Cambo-les-Bains | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏 |
県 (département) | ピレネー=アトランティック県 |
郡 (arrondissement) | バイヨンヌ郡 |
小郡 (canton) | エスプレット小郡 |
INSEEコード | 64160 |
郵便番号 | 64250 |
市長(任期) |
ヴァンサン・ブリュ (2008年-2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes Errobi |
人口動態 | |
人口 |
5 849人 (2007年) |
人口密度 | 260.1人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯43度21分32秒 西経1度24分01秒 / 北緯43.3588888889度 西経1.40027777778度座標: 北緯43度21分32秒 西経1度24分01秒 / 北緯43.3588888889度 西経1.40027777778度 |
標高 |
平均:45m 最低:0m 最高:400m |
面積 | 22.49km2 |
公式サイト | www.cambolesbains.fr |
地理
編集カンボ=レ=バンはフランス領バスクのラブール地方に属す。スペイン国境まで約15kmと近く、自動車で約30分でコート・バスク(バスク海岸)に着くことができる。アドゥール川の支流ニーヴ川が流れる。
経済
編集スパ関連の職業につく人が1000人を超える。スパのほか17箇所の保養施設がある。残りの経済活動は農業と園芸である。カンボ=レ=バンで生産されるエスプレットにはAOCが付けられる。
カンボ=レ=バンのスパは、リウマチ、変形性膝関節症、運動器障害に効能があるとされる。スパの建物は1926年に建てられた新古典主義建築で、15ヘクタールの庭園もある。18世紀初頭、定期的にカンボのスパを訪問したのはスペイン王カルロス2世の未亡人マリアナであった[1].。
交通
編集- 道路 - D932、D918、D22、A63
- 鉄道 - フランス国鉄TERアキテーヌのバイヨンヌ=サン=ジャン=ド=リュズ線、カンボ=レ=バン駅。
由来
編集Camboは、1235年に出されたバイヨンヌの特許状台帳に記載されている。1350年にはCamboa、1501年にバイヨンヌの憲章の中ではCambe、1650年にCambo、1757年にはバイヨンヌ司教座の文書でSanctus Laurentius de Cambo、フランス革命中の1793年にはLa Montagneと呼ばれた。
歴史
編集歴史家ポール・レイモンは、ラールソールの教区がカンボに併合されたと記録している。1790年3月4日の法令で、フランス国内は県と地方行政区画が一新されたが、このときベアルンを分割してバス=ピレネー県が誕生した。バイヨンヌ、ビダシュ、フランス領バスクの3地方はガスコーニュに含まれた。フランス領バスクにはラブールの代官区に代わって3つの地区ができた。モレオン、サン=パレ、ユスタリッツである。地元官職者の力を押さえつけるため、ユスタリッツの地区機能はただちにバイヨンヌへ移された。多くのコミューンは、革命の精神に沿って改名が行われた。カンボはラ・モンターニュ、アイノアはメンディアルト、ユスタリッツはマラ=シュル=ニーヴ、イチャスーはユニオン、アルボンヌはコンスタント、サン=テチエンヌ=ド=バイゴリはテルモピル、サン=パレはモン=ビドゥーズといった具合であった。1790年、カンボはアルスウとイチャスウを含む小郡庁所在地となった。
恐怖政治が頂点に達した1794年、イチャスウから47人の若者が脱走した。公安委員会は彼らを逮捕して、男女・幼い子供を含む一部を、スペイン国境に近いその他のコミューンと同じく、アイノア、アスカン、エスプレット、イチャスウ、サール、スライードといった不名誉なコミューン(communes infâmes)へ強制送還した[2].。1794年9月の法令で追放が解除され帰宅が許されても、彼らには困難が待ち構えていた。まず第一に、自由の身となった彼らに空腹を満たす手段がなかった。そして人里離れた場所にあった彼らの家は略奪にあい、家財道具が持ち去られていたのである。
姉妹都市
編集脚注
編集- ^ Philippe Veyrin, Les Basques, Arthaud 1975 (ISBN 2 7003 0038 6), page 168.
- ^ Philippe Veyrin, Les Basques, Arthaud 1975 (ISBN 2 7003 0038 6), page 187.