イチャスー
イチャスー (Itxassou、バスク語:Itsasu)は、フランス、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、ピレネー=アトランティック県のコミューン。
Itxassou | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏 |
県 (département) | ピレネー=アトランティック県 |
郡 (arrondissement) | バイヨンヌ郡 |
小郡 (canton) | エスプレット小郡 |
INSEEコード | 64279 |
郵便番号 | 64250 |
市長(任期) |
ロジェ・ギャモワ (2008年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes Errobi |
人口動態 | |
人口 |
2026人 (2008年) |
人口密度 | 51人/km2 |
住民の呼称 | Itsasuar[1] |
地理 | |
座標 | 北緯43度19分50秒 西経1度24分15秒 / 北緯43.3306度 西経1.40416666667度座標: 北緯43度19分50秒 西経1度24分15秒 / 北緯43.3306度 西経1.40416666667度 |
標高 |
平均:?m 最低:31m 最高:924m |
面積 | 39.37km2 (3.937ha) |
公式サイト | Site officiel |
地理
編集イチャスーはフランス領バスク内のラブール地方に属する。カンボ=レ=バンから4km離れた、ニーヴ川湾曲部に位置する。イチャスーからはアルッツァマンディ山(fr、926m)やモンダラン山(fr、750m)へのアクセスが良い。
伝説によれば、シャルルマーニュの甥ローランは、進軍中にニーヴ川を流すため岩を2つに割った。現在le Pas de Rolandと呼ばれる場所が、故事の地である。バスク語では「悪しき抜け道」を意味するAtekagaitzと呼ばれる。
交通
編集イチャスーは県道918号線と県道932号線の交差する場所である。ニーヴ川の東側にある、村の中のイチャスー駅は、バイヨンヌ-サン=ジャン=ピエ=ド=ポル路線が停車する。
由来
編集バスク語での地名Itsasuとは、「エニシダの地」を意味する(itsasまたはitxasがエニシダを意味する)。
Itxassouとされる以前は、Ytssassu(1264年)[2]、Sanctus Fructuosus d'Itsatsou(1685年、バイヨンヌ司教座の写本において[3])、フランス革命時代の1793年にはユニオン(Union)とされ、1863年のベアルン=ペイ・バスク地名辞典においてはItsatsouと記されていた[2]。
歴史
編集先史時代の埋葬地(巨石記念碑)が、モンダラン山の標高716mの峠にある。
モンダラン山の上には、代々のナバーラ王に属した城や望楼があり、中世に建てられたわずかな名残が残る。この場所は15世紀まで機能した。
1790年3月4日、新たにフランスに県を新設する法令が施行され、ベアルン、バイヨンヌのガスコーニュ領、ビダシュ、フランス領バスク3地方を一つにしたバス=ピレネー県が創設された。フランス領バスクは3つの郡に分けられた。モレオン、サン=パレ、ラブールの代官区と置き換えたユスタリッツである。ユスタリッツの郡機能はほとんどすぐにバイヨンヌに移管された。革命政府によって、革命精神に適応した名前がコミューンにつけられた。
恐怖政治の中にあった1794年、イチャスーの47人の若者たちが脱走した。公安委員会は、彼らの逮捕を命じ、住民の一部(男性、女性、幼児を含む)を、スペイン国境近くにある他コミューン、エノア、アスカン、エスプレット、サール、スーライドと同様に、追放した。これらのコミューンは「不名誉コミューン」(communes infâmes)と呼ばれた。この措置は他のコミューンにも拡張された。人々は「様々な国営の家に集められるか、ユスタリッツ郡に集められるか、ジャン・ジャック・ルソーのような大きな恐怖の中にあった。」のである。実際は、追放された住民たちは教会に集められ、その後非常に不安定な条件でバイヨンヌやカップブルトン、サン=ヴァンサン=ド=ティロス、オンドルへ強制送還された。コミューン住民を強制収容した県は、ロット県、ロット=エ=ガロンヌ県、ジェール県、ランド県、バス=ピレネー県、オート=ピレネー県であった。
追放された者の帰還と財産の回復は、1794年9月28日と1794年10月1日にそれぞれ施行された法律で決められた。
人口統計
編集1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2007年 |
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1134 | 1175 | 1218 | 1297 | 1563 | 1770 | 1998 |
経済
編集AOC登録されているエスプレットの生産面積に、イチャスーも含まれている。農業が最も盛んで、オッソー・イラティチーズのAOC地区でもある。
1994年、経済利益団体(fr)セリーズ・ディチャスー(Cerise d'Itxassou)が、イチャスー産サクランボの生産および販売促進活動を行うため新設された[7]。2012年には4200本のサクラの木がイチャスーの丘を覆っているが、それに対して10年前は1000本に満たなかった。
イチャスーの名は、ガトー・バスクに用いられるブラック・チェリーの産地として知られている。また、ヒツジのチーズでも知られる。毎年6月上旬にはサクランボ祭りが開かれる。
脚注
編集- ^ Gentilé sur habitants.fr
- ^ a b Paul Raymond, Dictionnaire topographique Béarn-Pays basque
- ^ Manuscrits du XVIIe et du XVIIIe siècles - Archives départementales des Pyrénées-Atlantiques
- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=17667
- ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
- ^ http://www.insee.fr
- ^ Site de la mairie