与楽カンジョ古墳
与楽カンジョ古墳(ようらくカンジョこふん、乾城古墳)は、奈良県高市郡高取町与楽(ようらく)にある古墳。形状は方墳。与楽古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「与楽古墳群」のうち)。
与楽カンジョ古墳 | |
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墳丘・石室開口部 | |
別名 | 乾城古墳 |
所属 | 与楽古墳群 |
所在地 | 奈良県高市郡高取町大字与楽(字カンジョ・字フロノタニ) |
位置 | 北緯34度27分53.64秒 東経135度46分48.00秒 / 北緯34.4649000度 東経135.7800000度座標: 北緯34度27分53.64秒 東経135度46分48.00秒 / 北緯34.4649000度 東経135.7800000度 |
形状 | 方墳 |
規模 |
一辺36m 高さ10m |
埋葬施設 | 両袖式横穴式石室 |
出土品 | 金銅製耳環・銀製指輪・須恵器・土師器ほか |
築造時期 | 6世紀末-7世紀前半 |
被葬者 | (一説)東漢氏一族 |
史跡 |
国の史跡「与楽カンジョ古墳」 (「与楽古墳群」に包含) |
地図 |
概要
編集古墳名 | 形状 | 埋葬施設 | 築造時期 |
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与楽鑵子塚古墳 | 円墳 | 片袖式横穴式石室 | 6c後半 |
与楽カンジョ古墳 | 方墳 | 両袖式横穴式石室 | 6c末-7c前半 |
寺崎白壁塚古墳 | 方墳 | 横口式石槨 | 7c中葉 |
奈良盆地南縁、貝吹山丘陵から南に延びる尾根の先端部に築造された古墳である。丘陵尾根上では寺崎白壁塚古墳・与楽鑵子塚古墳・与楽カンジョ古墳が北から南に並び、周辺丘陵には約100基の古墳が分布する[1]。2002年度(平成14年度)以降に発掘調査が実施されている。
墳形は方形で、一辺36メートル・高さ10メートルを測る[1](かつては円墳として認知された)。墳丘は2段築成[1]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。石室全長11.8メートルを測る大型石室であり、天井はドーム状を呈し、特に石室高さは5.3メートルと非常に高く奈良県内では最大規模になる。石室内の副葬品としては金銅製耳環・銀製指輪・不明鉄製品・砥石・須恵器・土師器(ミニチュア土器把手含む)等が検出されている[2][1]。
築造時期は、古墳時代後期-終末期の6世紀末-7世紀前半頃の築造と推定され[1]、8世紀初頭頃までの追葬が認められる[2]。与楽鑵子塚古墳・与楽カンジョ古墳・寺崎白壁塚古墳の3基は一帯の古墳群の首長墓であり、ミニチュア炊飯土器の出土(鑵子塚・カンジョ・白壁塚)・ドーム状石室(鑵子塚・カンジョ)の点で渡来系氏族の墳墓群と想定され[1]、特に被葬者としては東漢氏一族とする説が挙げられている[2]。
古墳域は2013年(平成25年)に国の史跡に指定されている[1]。現在では史跡整備のうえで公開されているが、石室内部への立ち入りは制限されている。
遺跡歴
編集埋葬施設
編集埋葬施設としては、両袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]。
- 石室全長:11.8メートル
- 玄室:長さ6.0メートル、幅3.8メートル、高さ5.3メートル
- 羨道:長さ5.8メートル、幅1.8メートル、高さ1.8メートル
石室には閃緑岩の巨石が使用されており[2]、石室内面に比較的扁平な面を向ける[5]。側壁は左壁で5段積み、右壁は4段積み[5]。四壁を内側に持ち送り、ドーム状天井を形成する。天井石は巨石1枚[5]。玄室床面は礫敷であり、玄室の中央には漆喰を塗った棺台を据える[1]。
玄室は床面積に比べて非常に高い特異な形態であるが、これは付近の与楽鑵子塚古墳や真弓鑵子塚古墳(明日香村)でも知られており、この地域の横穴式石室の特色として捉えられる[5][1]。
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玄室(奥壁方向)
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玄室(奥壁方向)
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玄室(開口部方向)
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玄室(開口部方向)
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玄室床面
中央に棺台。 -
羨道(玄室方向)
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玄室
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玄室床面
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墳丘
文化財
編集国の史跡
編集脚注
編集参考文献
編集(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(奈良県教育委員会、2000年設置)
- 「乾城古墳」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490301。
- 関川尚功「乾城古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
関連文献
編集(記事執筆に使用していない関連文献)
- 『与楽カンジョ古墳・与楽鑵子塚古墳発掘調査報告書(高取町文化財調査報告 第39冊)』高取町教育委員会、2012年。
- 『与楽カンジョ古墳・与楽鑵子塚古墳発掘調査報告書附論編(高取町文化財調査報告 第39-2冊)』高取町教育委員会、2014年。