カレル・リスモン
カレル・リスモン (Karel Lismont、1949年3月8日 - )は、ベルギーの陸上競技選手。マラソン得意とした選手で、1972年ミュンヘンオリンピックでは銀メダルを、1976年モントリオールオリンピックでは銅メダルを獲得した選手である。リンブルフ州ボルグロン出身。
獲得メダル | ||
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カレル・リスモン | ||
ベルギー | ||
陸上競技 | ||
オリンピック | ||
銀 | 1972 ミュンヘン | 男子 マラソン |
銅 | 1976 モントリオール | 男子 マラソン |
ヨーロッパ陸上競技選手権大会 | ||
金 | 1971 ヘルシンキ | 男子 マラソン |
銅 | 1978 プラハ | 男子 マラソン |
銅 | 1982 アテネ | 男子 マラソン |
経歴
編集リスモンは、1971年のヨーロッパ選手権の10000mに出場し28分31秒2の記録で16位という結果を残す。そのときまだリスモンの名はあまり知られていなかった。5日後、彼はマラソンに出場する。このレースはイギリスのトレバー・ライトやロン・ヒル、ベルギーのガストン・ローランツらが優勝候補に挙げられており、リスモンは下馬評にもあがっていなかったが2時間13分09秒のタイムで見事勝利した。
1972年ミュンヘンオリンピックに出場。2時間14分31秒のタイムで、優勝したアメリカのフランク・ショーターに次いで銀メダルを獲得。さらに4年後のモントリオールオリンピックにも出場。2時間11分12秒のタイムで、東ドイツのワルデマール・チェルピンスキー、アメリカのショーターに次いで銅メダルを獲得。2大会連続の表彰台となった。
さらに、2年後の1978年ヨーロッパ選手権、さらに1982年のヨーロッパ選手権でも銅メダルと、ヨーロッパ選手権でも2大会連続、3回の表彰台に立つこととなった。
その後のリスモンは、1980年モスクワオリンピックにも出場するも2時間13分27秒の9位に終わり、オリンピックでの3大会連続のメダル獲得とはならなかった。1983年には第1回の世界選手権が開催され、リスモンは優勝したオーストラリアのロバート・ド・キャステラから1分以上遅れの9位でゴール。1984年には4大会連続のオリンピックとなる1984年ロサンゼルスオリンピックにも出場。しかし、優勝したポルトガルのカルロス・ロペスから8分近く送れてゴール24位という結果に終わった。
同年にはベルリンマラソンで優勝。1986年から開催されたハンブルクマラソンでは、1986年、1987年と連覇を果たしている。
自己ベスト
編集- マラソン - 2時間11分13秒 (1976年7月31日:モントリオール)
実績
編集年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
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1971 | ヨーロッパ陸上競技選手権大会 | ヘルシンキ(フィンランド) | 10000m | 16位 | 28分31秒2 |
1971 | ヨーロッパ陸上競技選手権大会 | ヘルシンキ(フィンランド) | マラソン | 1位 | 2時間13分09秒 |
1972 | オリンピック | ミュンヘン(西ドイツ) | マラソン | 2位 | 2時間14分32秒 |
1976 | アムステルダムマラソン | アムステルダム(オランダ) | マラソン | 1位 | 2時間18分48秒 |
1976 | オリンピック | モントリオール(カナダ) | マラソン | 3位 | 2時間11分13秒 |
1978 | ヨーロッパ陸上競技選手権大会 | プラハ(チェコスロバキア) | マラソン | 3位 | 2時間12分08秒 |
1980 | オリンピック | モスクワ(ソビエト連邦) | マラソン | 9位 | 2時間13分27秒 |
1982 | ヨーロッパ陸上競技選手権大会 | アテネ(ギリシャ) | マラソン | 3位 | 2時間16分04秒 |
1983 | 世界陸上競技選手権大会 | ヘルシンキ(フィンランド) | マラソン | 9位 | 2時間11分24秒 |
1983 | ベルリンマラソン | ベルリン(西ドイツ) | マラソン | 1位 | 2時間13分37秒 |
1984 | オリンピック | ロサンゼルス(アメリカ合衆国) | マラソン | 24位 | 2時間13分27秒 |
1986 | ハンブルクマラソン | ハンブルク(西ドイツ) | マラソン | 1位 | 2時間12分12秒 |
1987 | ハンブルクマラソン | ハンブルク(西ドイツ) | マラソン | 1位 | 2時間13分46秒 |
外部リンク
編集- カレル・リスモン - Olympedia