カルロス・デ・ボルボン=ドス・シシリアス
カルロス・マリア・デ・ボルボン=ドス・シシリアス・イ・ボルボン=パルマ(スペイン語: Carlos María de Borbón-Dos Sicilias y Borbón-Parma, 1938年1月16日 - 2015年10月5日)は、スペイン王子(Infante de España)、カラブリア系ボルボーネ=シチリア家の家長。カラブリア公およびカゼルタ伯。イタリア語名はカルロ・マリア・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ(Carlo Maria di Borbone-Due Sicilie)。両シチリア王家家長の座を3代のカストロ公(ラニエーリ、フェルディナンド、カルロ)と争っていた。
カルロス・マリア Carlos María | |
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ボルボーネ=シチリア家 | |
全名 |
一覧参照
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称号 |
カラブリア公 カゼルタ伯 |
身位 | インファンテ |
出生 |
1938年1月16日 スイス、ヴォー州ローザンヌ |
死去 |
2015年10月5日(77歳没) スペイン、カスティーリャ=ラ・マンチャ州シウダ・レアル県レトゥエルタ・デル・ブジャケ |
埋葬 |
2015年10月8日 スペイン、マドリード州サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル、エル・エスコリアル修道院墓所 |
配偶者 | アナ・デ・オルレアンス・イ・オルレアンス=ブラガンサ |
子女 |
一覧参照
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父親 | アルフォンソ・マリア |
母親 | アリシア |
宗教 | キリスト教カトリック教会 |
生涯
編集スペイン王子およびカラブリア公アルフォンソとその妃アリシア(ボルボーネ=パルマ家家長エリアの四女)の長男として、ローザンヌで生まれた。1歳の時に一家はスペインへ移住した。
1948年、バルセロナ伯フアン(カルロスの叔母マリア・デ・ラス・メルセデスの夫)によって選ばれ、フランシスコ・フランコの後継者として教育されることになったフアン・カルロス王子に同行し、育てられた。カルロス・マリアはフアン・カルロスの母方の従弟にあたり(2人は誕生日が10日ほどしか違わない)、また共にアルフォンソ12世の曾孫でもある。
1965年、オルレアン家家長パリ伯アンリ(マリア・デ・ラス・メルセデスの従兄にあたる)の三女アンヌ(アナ)と結婚し、1男4女を儲けた。
- クリスティーナ(1966年 - ) 1994年にペドロ・ロペス=ケサーダ・イ・フェルナンデス=ウルティアと結婚
- マリア(1967年 - ) 1996年にオーストリア大公ジメオン(ルドルフ大公の次男)と結婚
- ペドロ(1968年 - ) カラブリア公、2001年にソフィア・ランダルーセ・イ・メルガレホと結婚
- イネス(1971年 - ) 2001年にナポリ貴族のライアーノ侯爵ミケーレ・カレッリ・パロンビと結婚
- ビクトリア(1976年 - ) 2003年にギリシャ人海運業者マルコス・ノミコスと結婚
1994年、スペイン国王フアン・カルロス1世によってスペイン王子の称号を授けられた。ただし、1978年憲法が定める王位継承権者の範囲には含まれていない。
シウダー・レアルとトレドに不動産を所有し、レプソルやテレフォニカといった大会社の株主でもあった。また、サンティアゴ騎士団、カラトラバ騎士団、アルカンタラ騎士団、モンテザ騎士団(全て現在はスペイン王家に属する団体)の王室委員長を務めていた。
外部リンク
編集- The Royal House of Bourbon-Two Sicilies - カラブリア系両シチリア王家の公式サイト。
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