アンヌ・ドルレアン (1938-)
アンヌ・ドルレアン(フランス語: Anne d'Orléans, 1938年12月4日 - )は、カラブリア系両シチリア王家家長・スペイン王子カルロスの妃。スペイン語名はアナ・デ・オルレアンス・イ・オルレアンス=ブラガンサ(Ana de Orleans y Orleans-Braganza)、イタリア語名はアンナ・ドルレアンス(Anna d'Orléans)。
アナ Ana | |
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ブルボン=オルレアン家 | |
アンヌ・ドルレアンと夫カルロス | |
全名 |
一覧参照
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称号 | カラブリア公妃 |
出生 |
1938年12月4日(85歳) ベルギー、ヴォリュウェ=サン=ピエール |
配偶者 | カルロス・デ・ボルボン=ドス・シシリアス |
子女 |
一覧参照
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父親 | アンリ |
母親 | イザベル |
宗教 | キリスト教カトリック教会 |
スペイン王室 |
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傍系王族
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経歴
編集フランスのオルレアニスト王位請求者相続人のパリ伯アンリとその妻イザベル(ブラジル皇子およびグラン・パラ公ペドロ・デ・アルカンタラの長女)の間の三女(第5子)として生まれた。若年期はモロッコ、スペイン、ポルトガルを転々として過ごした。
ブルガリア王シメオン2世と恋仲に陥ったが、教皇庁はカトリック信徒以外との結婚を認めなかったため、二人の関係は破局せざるを得なかった。
1962年にアテネで行われたスペインのフアン・カルロス王子(後のスペイン王フアン・カルロス1世)とギリシャ王女ソフィアの結婚式に出席した頃から、幼馴染みであったカラブリア公爵家の嗣子でスペイン王室の一員であるカルロスと交際するようになった。父アンリがカルロスの父アルフォンソの両シチリア王位請求を認めていなかったために結婚への道筋は難航したが、最終的にアンリの譲歩によって二人の結婚は認められた。1965年5月11日にルーヴシエンヌで法律婚の手続きを行い、翌5月12日にドルーのサン=ルイ王室礼拝堂で宗教婚の結婚式を挙げた。
子女
編集カルロスとの間に1男4女を儲けた。