カッパ・ブックス
名称・ロゴ
編集名称の由来は、日本の想像上の動物である河童(かっぱ)から来ており、「カッパは、いかなる権威にもヘコたれない。非道の圧迫にも屈しない。なんのへのカッパと、自由自在に行動する。その何ものにもとらわれぬ明朗さ。その屈託(くったく)のない闊達(かったつ)さ。裸(はだか)一貫のカッパは、いっさいの虚飾をとりさって、真実を求めてやまない。たえず人びとの心に出没して、共に楽しみ、共に悲しみ、共に怒る。しかも、つねに生活の夢をえがいて、飽(あ)くことを知らない。カッパこそは、私たちの心の友である。」[1]という精神を編集方針としていた[2]。 ホルンを吹いている河童をロゴマークとしていた。
沿革
編集光文社常務取締役出版局長を務めていた神吉晴夫は、知識人向け教養新書路線とされる先行の岩波新書(1938年創刊)に対して、わかりやすさを重点に置いた、大衆向け教養新書路線の新書を企画し[3]、光文社は1954年(昭和29年)10月に伊藤整の『文学入門』、中村武志の『小説 サラリーマン目白三平』をもって、カッパ・ブックスを創刊した。なお、カッパ・ブックスという名称はペンギン・ブックスに倣った[4]ものであった。当時としては大きい9ポイントの活字で印刷され、また、現在多くの新書で採られている、本の裏表紙に著者の写真と略歴を入れる装丁は、日本の新書で初めての試みであった[5]。
創刊当初は必ずしも順調な出足とは言えない状態であった[6]が、神吉が「創作出版論」と呼ぶ、編集者による企画先行の姿勢と、「カッパの本はみんなヒットする」などのキャッチコピーを使った積極的な広告によって大量生産化を実行し、カッパ・ブックスは日本の第1次新書ブームの主役と呼ばれる[7]存在となっていった。刊行分野は生活実用書を中心としていたが、時にノンフィクションを含むなど、多岐に渡る。1960年代から1970年代の表紙の装丁は田中一光が担当していた。
1959年(昭和34年)5月に総発行部数が1000万部を突破[6]、光文社は、カッパ・ブックスを発展させたシリーズとして、「カッパ・ノベルス」(1959年創刊)・「カッパ・ビジネス」(1963年創刊)・「カッパ・ホームス」(1969年創刊)、「カッパ・サイエンス」(1980年創刊)など[8]を創刊していった。1961年(昭和36年)に出版した岩田一男の『英語に強くなる本』は「パンのように売れる」のキャッチコピーのもと、三ヶ月で100万部以上を売上げて、カッパ・ブックス初のミリオンセラーとなった。
なお、社会学者の加藤秀俊は1962年(昭和37年)に東京新聞の「日本の新書文化」[9]で、「新書の流行で、読書という行為が知識階級だけの特殊な行為でなく、すべての人間の日常行為に組み入れられるようになった」と述べている。
また、その後も1966年にシリーズ第1作目を出版した多湖輝の『頭の体操』や、1966年に出版した五味康祐の『五味マージャン教室』や、1970年に第1作目を出版した後、全4巻のシリーズとなった塩月弥栄子の『冠婚葬祭入門』などのベストセラーを連発し、1972年(昭和47年)には累計部数が1億冊を突破する[10]など、読者の支持を獲得し、好調な売上げを記録していった。
そうした中、1970年から1977年(昭和52年)にかけて、光文社では「光文社闘争」と呼ばれる激しい労働争議が起こり、カッパ・ブックスの発行も一時中断した。社長となっていた神吉は、批判の中で光文社を退職し、かんき出版を創業した。また、一時カッパ・ブックスの編集長を務めていた伊賀弘三良ら、光文社の役員も退職し、祥伝社を設立、カッパ・ブックスのノウハウを活かした、ノン・ブックシリーズを発刊した。また、多湖輝の『頭の体操』などを担当していた、編集者の柳下要司郎も、光文社を退職し、ごま書房(現在のごま書房新社)の創業に参加した。
1990年代以降は、一時の勢いと比べて衰えを見せるようになっていき、2001年(平成13年)11月に刊行開始した光文社の同じ新書レーベルである光文社新書と入れ替わる形で、カッパ・ブックスは、2005年(平成17年)1月の『頭の体操 四谷大塚ベストセレクション』を最後に、新刊の刊行を停止した[11]。
カッパの本累計発行部数
編集「カッパ・ブックス」のほか、「カッパ・ノベルス」、「カッパ・ビジネス」、「カッパ・ホームス」、「カッパ・サイエンス」、四六判文芸書などを含めた総発行部数。
主なベストセラー
編集※太字はミリオンセラー。書籍名の多くにサブタイトルが付いているのは、神吉の方針に端を発していた[15]。なお「カッパ・ノベルス」の作品はここから省いている。
- 望月衛『欲望 - その底にうごめく心理』(1955年)
- 渡辺一夫『うらなり抄 - おへその微笑』(1955年)
- 本多顕彰『指導者 - この人びとを見よ』(1955年)
- 岡本太郎『今日の芸術 - 時代を創造するものは誰か』(1955年)
- 安田徳太郎『日本人の歴史〈第1〉万葉集の謎』(1955年)
- 三笠宮崇仁『帝王と墓と民衆 - オリエントのあけぼの』(1956年)
- 加藤正明『異性ノイローゼ - 歪んだ性行動の心理判断』(1956年)
- 坂本藤良『経営学入門 - 現代企業はどんな技能を必要とするか』(1958年)
- 林髞『頭脳 - 才能をひきだす処方箋』(1958年)
- 安本末子『にあんちゃん - 十歳の少女の日記』(1959年)
- 藤本正雄『催眠術入門 - あなたも心理操縦ができる』(1959年)
- 林髞『頭のよくなる本 - 大脳生理学的管理法』(1960年)
- 川喜田二郎『鳥葬の国 - 秘境ヒマラヤ探検記』(1960年)
- 岩田一男『英語に強くなる本 - 教室では学べない秘法の公開』(1961年)
- 南博『記憶術 - 心理学が発見した20のルール』(1961年)
- 黄小娥『易(えき)入門 - 自分で自分の運命を開く法』(1962年)
- 浅野八郎『手相術 - 自分で、自分の成功を予知できるか』(1962年)
- 小池五郎『スタミナのつく本 - 体のリズムに乗る栄養生理学の法』(1962年)
- 郡司利男『国語笑字典 - カッパ特製』(1963年)
- 占部都美『危ない会社 - あなたのところも例外ではない』(1963年)※「カッパ・ビジネス」
- 猪木正文『数式を使わない物理学入門 - アインシュタイン以後の自然探検』(1963年)
- 三鬼陽之助『悲劇の経営者 - 資本主義に敗北した男の物語』(1964年)※「カッパ・ビジネス」
- 諸星龍『3分間スピーチ - 一人一人の心に、強烈な感動を』(1964年)
- 山田宗睦『危険な思想家 戦後民主主義を否定する人びと』(1965年)
- 澁澤龍彦『快楽主義の哲学 - 現代人の生き甲斐を探求する』(1965年)
- 後藤弘『バランスシート - 経営者の虚々実々を見破る本』(1965年)※「カッパ・ビジネス」
- 金子光晴『絶望の精神史 - 体験した「明治百年」の悲惨と残酷』(1965年)
- 五味康祐『五味マージャン教室 - 運3技7の極意』(1966年)
- 門馬寛明『西洋占星術 - あなたを支配する宇宙の神秘』(1966年)
- 野末陳平『姓名判断 - 文字の霊があなたを支配する』(1967年)
- 多湖輝『頭の体操』シリーズ(1967年 - 2005年)※第4集までミリオンセラー
- 岩田一男『英単語記憶術 - 語源による必須6000語の征服』(1967年)
- 佐賀潜『民法入門 - 金と女で失敗しないために』(1968年)※「カッパ・ビジネス」
- 佐賀潜『刑法入門 - 臭い飯を食わないために』(1968年)※「カッパ・ビジネス」
- 佐賀潜『労働法入門 - がっぽり給料をもらうために』(1968年)※「カッパ・ビジネス」
- 佐賀潜『道路交通法入門 - お巡りさんにドヤされないために』(1968年)※「カッパ・ビジネス」
- 吉岡力『歴史パズル - 人間はどこまで進歩したか』(1968年)
- 樋口健治『初歩自動車工学 - なぜ動く・なぜ走る・なぜ故障する』(1969年)
- 塩月弥栄子『冠婚葬祭入門 - いざというとき恥をかかないために』(1970年)※「カッパ・ホームス」
- 塩月弥栄子『続冠婚葬祭入門 - いざというとき恥をかかないために』(1970年)※「カッパ・ホームス」
- 石原慎太郎『スパルタ教育 - 強い子どもに育てる本』(1970年)
- 浜尾実『女の子の躾け方 - やさしい子どもに育てる本』(1972年)
- 羽仁進『放任主義 - 一人で生きる人間とは』(1972年)
- 渡辺正『にんにく健康法 - なぜ効く、何に効く、どう食べる』(1973年)※「カッパ・ホームス」
- 手塚治虫『マンガの描き方 - 似顔絵から長編まで』(1977年)※「カッパ・ホームス」
- 五味康祐『五味手相教室 - あなたには、どんな幸せが待っているか』(1978年)
- 森毅『計算のいらない数学入門 - 「できる」から「わかる」へ』(1980年)※「カッパ・サイエンス」
- 小室直樹『ソビエト帝国の崩壊 - 瀕死のクマが世界であがく』(1980年)※「カッパ・ビジネス」
- 小室直樹『アメリカの逆襲 - 宿命の対決に日本は勝てるか』(1980年)※「カッパ・ビジネス」
- 栗本慎一郎『パンツをはいたサル - 人間は、どういう生物か』(1980年)※「カッパ・サイエンス」
- 加山雄三『この愛いつまでも - 若大将の子育て実戦記』(1981年)※「カッパ・ホームス」
- 川上哲治『悪の管理学 - かわいい部下を最大限に鍛える』(1981年)※「カッパ・ビジネス」
- 上野千鶴子『セクシィ・ギャルの大研究 - 女の読み方・読まれ方・読ませ方』(1982年)※「カッパ・サイエンス」
- 内藤正敏『鬼がつくった国・日本 - 歴史を動かしてきた「闇」の力とは』(1985年)※「カッパ・サイエンス」
- 阿川弘之『国を思うて何が悪い - 一自由主義者の憤慨録』(1987年)※「カッパ・ホームス」
- 盛田昭夫・石原慎太郎『「No(ノー)」と言える日本 - 新日米関係の方策(カード)』(1989年)※「カッパ・ホームス」
- 石原慎太郎・渡部昇一・小川和久『それでも「No(ノー)」と言える日本 - 日米間の根本問題』(1990年)※「カッパ・ホームス」
脚注
編集- ^ ”「カッパ・ブックス」誕生のことば”より
- ^ 「カッパ」の名称は、神吉の回想に拠れば、自宅に飾ってあった清水崑のカッパの絵から着想したとあるが、異説もある。新海均『カッパ・ブックスの時代』(2013年、河出書房新社)参照。
- ^ 「○○新書というような、岩波新書のものまねは、なんとしても出したくなかった」。神吉晴夫『現場に不満の火を燃やせ - ビジネスマン入門』(1963年、オリオン社)参照。
- ^ 大貫伸樹『装丁探索』2003年、p.131。
- ^ 新海『カッパ・ブックスの時代』参照。
- ^ a b 掛野剛史「「カッパ・ブックス」という「事件」―「新書」ブームとその周辺」『歴史部会発表要旨』、日本出版学会、2004年10月、2010年6月23日閲覧。
- ^ ピークを迎えつつある新書ブームの歴史 出版文化社 FAXマガジン第28号 (2010年2月27日閲覧)
- ^ この他のシリーズとして、「カッパ・コミックス」(手塚治虫『鉄腕アトム』を収録、看板作品とした)、「カッパ・ビブリア」、「カッパ・フェミナ」などが存在した。
- ^ 『東京新聞』 夕刊 1962年6月4日-6月5日
- ^ 株式会社 日本美術ライト商会 (2010年2月27日閲覧)
- ^ 光文社内における、カッパ・ブックス編集部の廃部は同年5月。
- ^ 『読売新聞』1973年3月27日朝刊、10頁の光文社全面広告より。
- ^ 『読売新聞』1983年7月29日朝刊、4頁の光文社全面広告より。
- ^ 『読売新聞』1989年5月29日夕刊、6頁の光文社全面広告より。
- ^ 神吉『現場に不満の火を燃やせ - ビジネスマン入門』によれば、「サブ・タイトルは、どちらかというと、その本のテーマが読者に何を訴えようとしているかを表明するのが役目だ」。
参考文献
編集- 新海均『カッパ・ブックスの時代』(2013年、河出書房新社)