エリン・トプザコフ
エリン・カリノフ・トプザコフ(ブルガリア語: Елин Калинов Топузаков、1977年2月5日 - )は、ブルガリアの元サッカー選手、現サッカー指導者。元ブルガリア代表。選手時代のポジションはDF。
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名前 | ||||||
本名 | エリン・カリノフ・トプザコフ | |||||
愛称 | トプチョ | |||||
ラテン文字 | Elin Topuzakov | |||||
ブルガリア語 | Елин Топузаков | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブルガリア | |||||
生年月日 | 1977年2月5日(47歳) | |||||
出身地 | ディミトロヴグラト | |||||
身長 | 180cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF(CB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1987-1994 | ディミトロヴグラト | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1995-2008 | レフスキ・ソフィア | 220 | (19) | |||
1999 | → ピリン(loan) | 14 | (2) | |||
2008-2009 | ハポエル・テルアビブ | 43 | (1) | |||
2009-2010 | レフスキ・ソフィア | 13 | (0) | |||
2010-2011 | ハポエル・ラマトガン | 25 | (2) | |||
通算 | 321 | (24) | ||||
代表歴2 | ||||||
2000-2008 | ブルガリア | 29 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2013-2014 | レフスキ・ソフィア(アシスタント) | |||||
2014 | レフスキ・ソフィア(代理) | |||||
2014-2016 | レフスキ・ソフィア(アシスタント) | |||||
2016-2017 | レフスキ・ソフィア | |||||
2017-2018 | アルダ・クルジャリ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2013年4月12日現在。 2. 2013年4月12日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
トプザコフの名前からトプチョ(ブルガリア語: Топчо、「球」の意)の愛称で呼ばれ[1]、スイーパーやセンターバックとして活躍した。
クラブ歴
編集ユース
編集地元ディミトロヴグラトのサッカークラブである、FCディミトロヴグラトの下部組織に1994年まで在籍、この頃はストライカーであった[2]。
レフスキ・ソフィア
編集1995年にPFCレフスキ・ソフィアに加入し、ディフェンダーに転向。1999年にOFCピリン・ブラゴエヴグラトにレンタル移籍。復帰後の2000年から2002年にかけてクラブは三連覇を達成、この三連覇全てに立ち会った数少ない選手の一人となった[1]。2005年から2008年にかけてクラブの主将を務め、その間のUEFAカップ2005-06では準々決勝に進出した他、UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07ではブルガリアのクラブ史上初めてグループステージに到達する快挙を成し遂げた。
ハポエル・テルアビブ
編集2008年1月3日にレフスキ・ソフィアとハポエル・テルアビブFCは彼とディミタル・テルキウスキをハポエル・テルアビブに移籍させる事で合意、同月7日に二人とも公式に契約、トプザコフは背番号5番を身に着ける事となった。同月12日に行われたハポエル・ケファル・サバFC戦でテルキウスキと共に初出場を飾り、サポーター年間最優秀選手にも二人揃って選出されたものの、2008-09シーズンが終わると自由契約の身となった。
レフスキ・ソフィアへの復帰
編集2009年7月5日にレフスキ・ソフィアに2年契約で復帰。背番号は11番が与えられ、この時に11番を背負っていたゲオルギ・フリストフは背番号を譲る形となった。
2009-10シーズン、レフスキ・ソフィアは国際試合から始まり、UEサン・ジュリアとのUEFAチャンピオンズリーグ 2009-102次予選がその初陣であった。彼の復帰戦は2009年7月21日に行われた、このサン・ジュリア戦で、アウェーゲームでありながら、0-5で粉砕、2戦合計で9-0の勝利で3次予選へと駒を進めた。3次予選ではFKバクー相手に2戦合計で2-0で勝利し、プレーオフへと駒を進めたが、デブレツェニVSCに4-1とされ敗北、UEFAヨーロッパリーグ 2009-10へと向かう事となった。このシーズン、国内では芳しくない試合も多かったが、最終的には3位でリーグを終え、UEFAヨーロッパリーグ 2010-11予選出場権を得た。
ハポエル・ラマト・ガン・ギヴァタイム
編集2010年8月10日にはテルキウスキと共に再びイスラエルの地へ向かい、ハポエル・ラマト・ガン・ギヴァタイムFCに加入、1シーズン在籍し引退した。
代表歴
編集監督歴
編集2013年にレフスキ・ソフィアのアシスタントコーチに就任。2014年3月に、健康上の理由で辞任したアントニ・ズドラヴコフの代理として監督になった[4]。その後ホセ・ムルシアが監督に就任し再びアシスタントコーチとなったが、2016年10月に再び監督に就任した。
2017年6月16日にPSIグループがクラブ経営権を取得したFCアルダ・クルジャリの監督に就任する事が発表された[5]。
プレースタイル
編集ユース時代にはストライカーであったが、レフスキ・ソフィアで選手となった後に右サイドバックにコンバートされ、その数ヶ月後には更にセンターバックにコンバートされた。その経験も含めて身に着けた多様なスキルによってレフスキ・ソフィアの守備に大きく貢献し、特にスライディングタックルで著名な選手であった。
個人
編集タイトル
編集彼はブルガリアのエターナルダービーであるPFC CSKAソフィアとのダービーマッチにリーグ戦で23回出場している[7]。また、2012年7月19日にフリスト・ヨヴォフに抜かれるまでUEFA主催試合に最も多く出場したブルガリア人選手であった[8]。
クラブ
編集- レフスキ・ソフィア
- ブルガリアプロサッカーリーグ: 1999-00, 2000-01, 2001-02, 2005-06, 2006-07
- ブルガリア・カップ: 1998, 2000, 2002, 2003, 2005, 2007
- ブルガリア・スーパーカップ: 2005, 2007, 2009
個人
編集- ハポエル・テルアビブサポーター年間最優秀選手賞: 2008
参考文献
編集- ^ a b “Състезателен профил на Елин Калинов Топузаков (Топчо)”. levskisofia.info. (2014年) 2015年1月14日閲覧。
- ^ “Топузаков пише книга за кариерата си, aвтобиографията на бранителя ще излезе догодина”. topsport.bg. (2006年11月10日) 2013年11月22日閲覧。
- ^ “Elin Topuzakov”. trasfermarkt. 30 October 2017閲覧。
- ^ “Топузаков няма да разчита на Ангел Славков, треньорът се върна при юношите”. topsport.bg. (2014年3月21日) 2014年3月24日閲覧。
- ^ Топузаков потвърди за треньорския пост в Арда Кърджали
- ^ “Топузаков ще става баща, запазват в тайна пола на бебето”. topsport.bg. (2013年10月10日) 2013年10月20日閲覧。
- ^ “Янчев влиза в Топ 10 на Вечното дерби, водач в класацията е Иван Колев (ЦСКА) с 27”. topsport.bg. (2013年10月19日) 2013年10月20日閲覧。
- ^ “Йовов стана играчът с най-много участия за български отбори в евротурнирите” (Bulgarian). stigabe.com. 4 February 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。30 October 2012閲覧。
外部リンク
編集- エリン・トプザコフ - National-Football-Teams.com
- Topuzakov returns Levski
- Topuzakov at Levski's site
- エリン・トプザコフ - transfermarkt(選手)
- エリン・トプザコフ - transfermarkt(監督)