アントニ・ズドラヴコフ
アントニ・イヴァノフ・ズドラヴコフ(ブルガリア語: Антони Иванов Здравков、1964年8月20日 - )は、ブルガリアの元サッカー選手、現サッカー指導者。元ブルガリア代表。
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名前 | ||||||
本名 | アントニ・イヴァノフ・ズドラヴコフ | |||||
ラテン文字 | Antoi Zdravkov | |||||
ブルガリア語 | Антони Здравков | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブルガリア | |||||
生年月日 | 1964年8月20日(60歳) | |||||
出身地 | ソフィア | |||||
身長 | 186cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1984-1987 | レフスキ・ソフィア | 43 | (0) | |||
1987-1990 | ロコモティフ・ソフィア | 70 | (4) | |||
1990 | ヤントラ | 6 | (0) | |||
1991 | マリティモ | 19 | (0) | |||
1991-1992 | CDナシオナル | 22 | (0) | |||
1992-1993 | カステロ・ブランコ | 19 | (1) | |||
1993-1994 | ロコモティフ・ソフィア | 25 | (1) | |||
1994-1996 | ヴェルブジド | 55 | (3) | |||
1996-2000 | セプテムヴリ・ソフィア | 120 | (8) | |||
代表歴 | ||||||
1986-1989 | ブルガリア | 3 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2005-2006 | チャヴダル | |||||
2006-2008 | カリアグラ・カヴァルナ(アシスタント) | |||||
2008 | カリアグラ・カヴァルナ | |||||
2008-2009 | レフスキ・ソフィア(アシスタント) | |||||
2010-2011 | カリアグラ・カヴァルナ | |||||
2011 | レフスキ・ソフィア(アシスタント) | |||||
2011-2012 | ボテフ・ヴラツァ | |||||
2012-2013 | ボテフ・ヴラツァ | |||||
2013-2014 | レフスキ・ソフィア | |||||
2014-2018 | ブルガリア U-21 | |||||
2018 | ルドゴレツ・ラズグラド(アシスタント) | |||||
2018-2019 | ルドゴレツ・ラズグラド | |||||
2019-2021 | ボテフ・ヴラツァ | |||||
2021- | ツァルスコ・セロ・ソフィア | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
クラブ歴
編集1984年にレフスキ・ソフィアに加入すると1984-85シーズンに早速ブルガリアプロサッカーリーグを制覇、1986-87シーズンにはブルガリア・カップを制覇した。その後、PFCロコモティフ・ソフィアに移籍したがあまり揮わず、FCヤントラ・ガブロヴォに移籍した。
ブルガリア人民共和国が崩壊すると、海外に活路を求めてポルトガルに渡った。CSマリティモに加入したものの上手く行かず、CDナシオナル、スポルト・ベンフィカ・エ・カステロ・ブランコとクラブを変えて行ったが、やはり活躍は出来なかった。
1993年にブルガリアに帰国し、ロコモティフ・ソフィアに再加入。その後も2部以下のクラブを転々とし、2000年末に36歳で引退した。
代表歴
編集キャリアの初期である1986年から1989年にかけてブルガリア代表として3試合に出場した。
監督歴
編集選手引退から数年して指導者となった。PFCチャヴダル・ビャラ・スラティナで監督としてのキャリアを始めた。
翌2006年にFCカリアグラ・カヴァルナに移籍、ヴェリスラフ・ヴツォフの下でアシスタントコーチとなり、2007-08シーズンのブルガリア・カップ準決勝進出という快挙を成し遂げた。リーグでも2位にまで押し上げる好成績を残した。その後一時期監督も務めたが、レフスキ・ソフィアからゲオルギ・イヴァノフの下でアシスタントコーチの仕事を依頼され移籍。と言ってもイヴァノフは当時UEFAのライセンスを保有していなかったため、名義上はズドラヴコフが監督を務めた時期もあった。この二人のタッグでクラブはリーグを3位で終え、UEFAヨーロッパリーグへの出場権を獲得した。その後、ヤーセン・ペトロフが監督に就任したため退任となった。
その後、カリアグラに復帰したが、この時には既に1部に昇格していた。2010-11シーズンを12位で終えて1部に残留したが、この結果に不満を抱かれ解任、後任はアダルベルト・ザフィロフとなった。
そして再びレフスキ・ソフィアでイヴァノフのアシスタントを務め、2011年12月にPOFCボテフ・ヴラツァの監督に就任。2013年4月7日のPFC CSKAソフィア戦では審判の判定に抗議、審判に対してレッドカードを提示したため退場及び1試合の謹慎処分となった[1][2]。
2013年にレフスキ・ソフィアで監督に就任するが、翌2014年3月19日のブルガリア・カップ準決勝で敗北し辞任[3]。同年10月にブルガリアU-21代表監督に就任した[4]。
タイトル
編集選手
編集- レフスキ・ソフィア
- ブルガリアプロサッカーリーグ: 1984–85
- ブルガリア・カップ: 1986
脚注
編集- ^ “Измъчена победа на ЦСКА над Ботев, "червените" биха с 4:3 във Враца” (Bulgarian). topsport.bg. (7 April 2013) 21 April 2013閲覧。
- ^ “Скромно наказание за бесния Тони Здравков, ЦСКА олекна с още 5 бона” (Bulgarian). inews.bg. (8 April 2013) 21 April 2013閲覧。
- ^ https://news.yahoo.com/soccer-rival-bulgarian-managers-quit-cup-tie-171114731--sow.html
- ^ “Дадоха младежите на Сухия, ще му помага Михтарски” (Bulgarian). topsport.bg. (28 October 2014) 29 October 2014閲覧。
外部リンク
編集- Profile at LevskiSofia.info
- Profile at ForaDeJogo.net
- アントニ・ズドラヴコフ- transfermarkt
- アントニ・ズドラヴコフ - Soccerway