エバートン・ノゲイラ

ブラジルのサッカー選手

エヴェルトン・ノゲイラ(Everton Nogueira、1959年12月12日 - )は、ブラジルの元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー

エバートン
名前
本名 エヴェルトン・ノゲイラ
Everton Nogueira
愛称 エヴェ
ラテン文字 EVERTON
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1959-12-12) 1959年12月12日(65歳)
出身地 プラドポリス
身長 176cm
体重 71kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1977-1979 ブラジルの旗 ロンドリーナEC 30 (7)
1981-1983 ブラジルの旗 サンパウロFC 53 (18)
1983-1984 ブラジルの旗 グアラニFC
1984-1986 ブラジルの旗 アトレチコ・ミネイロ 68 (33)
1987-1988 ブラジルの旗 SCコリンチャンス・パウリスタ
1988-1989 ポルトガルの旗 FCポルト 10 (2)
1989-1990 ブラジルの旗 アトレチコ・ミネイロ
1991-1994 日本の旗 日産自動車/横浜マリノス 61 (17)
1994 日本の旗 京都パープルサンガ 14 (2)
通算 236 (79)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

Jリーグ時代の登録名はエバートン。日産、マリノスではボランチまたはトップ下として活躍、常に全力を出す姿勢と、豊富な運動量で攻守に大きく貢献していた[1]

経歴

編集

1976年、ブラジルのロンドリーナECでデビューし、ポルトガルのFCポルトなどに在籍した[2]

1990年、サンパウロFCでともにプレーした経験があるオスカー監督を慕って日産自動車サッカー部に加入した[3]。1991年に監督が清水秀彦に代わった後も主力選手として活躍し、1992年・1993年の天皇杯連覇などに貢献した(第71回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝の読売戦では1得点を決めた)1992年のJリーグカップ9月23日の鹿島アントラーズ戦ではハットトリックを決めている[4]

また1993年5月のJリーグ開幕戦、ヴェルディ川崎(現在の東京ヴェルディ)戦では貴重な同点ゴールを決め[5]、2-1での勝利に貢献した。1994年には外国人枠の関係で出場機会が減り京都パープルサンガ(現在の京都サンガF.C.)へ移籍。サッカーでは珍しい背番号0[6] を付けてプレーしていたがそのシーズン限りで現役引退をした。

その後はブラジルに帰国し、カンピオナート・ブラジレイロ(ブラジル全国選手権)1部クラブであるアトレチコ・ミネイロの育成部門の責任者としてサッカーに携わっている[7]

個人成績

編集
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1990-91 日産 27 JSL1部 19 4 4 2
1991-92 7 19 8 2 2
1992 横浜M - J - 9 7 5 4 14 11
1993 21 5 4 2 0 0 25 7
1994 1 0 0 0 - 1 0
1994 京都 0 旧JFL 14 2 - 0 0 14 2
通算 日本 J 22 5 13 11 5 4 40 18
日本 JSL1部 38 12 6 4
日本 旧JFL 14 2 - 0 0 14 2
総通算 74 19 19 15

その他の公式戦

脚注

編集
  1. ^ 別冊サッカーマガジン秋季号 平成5年11月1日号 サッカーカタログ p.158 ベースボールマガジン社
  2. ^ Everton”. footballzz.com. 2016年2月17日閲覧。
  3. ^ Sports Graphic Number、文藝春秋、1992年12月20日号、62-63頁
  4. ^ Jリーグカップ ハットトリック一覧”. data.j-league. 21 April 2020閲覧。
  5. ^ 岡ちゃん連覇 悲運俊輔は号泣/4度目V横浜の軌跡”. www.nikkansports.com. 17 April 2020閲覧。
  6. ^ 当時ジャパンフットボールリーグは固定番号制だった。鳥栖フューチャーズ時代の青嶋文明0を付けていた。近年は背番号000の使用は認められていない。
  7. ^ 2010年4月には日本のサッカー番組「Foot!」の取材を受け、アデマール・ペレイラ・マリーニョとの対談が放送された

関連項目

編集

外部リンク

編集