エドマンド・バトラー (第6代マウントガーレット子爵)
第6代マウントガーレット子爵エドマンド・バトラー(英語: Edmund Butler, 6th Viscount Mountgarret、1663年7月17日 – 1735年7月25日)は、アイルランド貴族。
生涯
編集第5代マウントガーレット子爵リチャード・バトラーと1人目の妻エミリア・ブランデル(Emilia Blundell、1682年没、ウィリアム・ブランデルの娘)の息子として生まれた[1]。
1689年、ジェームズ2世のアイルランド軍で騎兵中佐を務め、デリー包囲戦に参加したが、敗れて捕虜になり、無法者(outlawry)宣言がなされた[2]。
1706年2月に父が死去すると、マウントガーレット子爵の爵位を継承した[1]。
1715年、アイルランド貴族院は1697年の決議が第3代マウントガーレット子爵リチャード・バトラーの無法者宣言を取り消していないと裁定を下し、その結果第6代マウントガーレット子爵はアイルランド貴族院から追放されたが、1721年に改めて無法者宣言の取り消しに成功した[2]。しかし、父と同じく最高権の誓約を拒否したため、結局貴族院から追放された[2]。
家族
編集1691年2月15日までにメアリー・ブキャナン(Mary Buchanan)と結婚、3男1女をもうけた[2]。
- リチャード(1691年2月15日以前 – 1736年) - 第7代マウントガーレット子爵
- ジェームズ(1742年没) - 第8代マウントガーレット子爵
- エドマンド(1751年没) - 第9代マウントガーレット子爵
- エミリア - 1712年、ヒュー・ライリー(Hugh Reilly)と結婚
1715年8月9日、エリザベス・ブライアン(Elizabeth Bryan、1736年6月13日没、ジョン・ブライアンの娘)と再婚した[2]。
出典
編集- ^ a b c d Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 396.
- ^ a b c d e "Mountgarret, Viscount (I, 1550)". Cracroft's Peerage (英語). 17 April 2017. 2019年11月9日閲覧。
アイルランドの爵位 | ||
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先代 リチャード・バトラー |
マウントガーレット子爵 1706年 – 1735年 |
次代 リチャード・バトラー |