パフラヴィー朝

イラン最後の王朝(1925年 - 1979年)
イラン帝国から転送)
ペルシア帝国(1935年まで)
イラン帝国(1935年から)
دولت شاهنشاهی ایران
Dowlat-e Shâhanshâhi-ye Irân
ガージャール朝 1925年 - 1979年 イラン暫定政府
イランの国旗 イランの国章
国旗国章
国の標語: مرا داد فرمود و خود داور است
国歌: سرود شاهنشاهی ایران
イランの位置
公用語 ペルシア語
首都 テヘラン
皇帝
1925年 - 1941年 レザー・シャー
1941年 - 1979年モハンマド・レザー・シャー
首相
1925年 - 1926年モハンマド・アリー・フォルーギー
1979年 - 1979年シャープール・バフティヤール
面積
(現在と変わらない)1,628,750km²
人口
1933年9,190,000人
1950年17,414,000人
1960年21,999,000人
1968年26,990,000人
1970年29,256,000人
変遷
成立 1925年12月12日
国号をイランと改称1935年3月21日
連合軍イラン進駐1941年8月25日
クーデターによりモサッデク首相失脚1953年8月19日
革命により滅亡1979年2月11日
通貨イラン・トマン
イラン・リアル
現在イランの旗 イラン

パフラヴィー朝(パフラヴィーちょう、ペルシア語: دودمان پهلوی‎, ラテン文字転写: dudmân Pahlavi)は、1925年末から1979年初めまで存在したイラン最後の王朝である。パフレヴィー朝パーレビ朝パーラヴィ朝とも呼ばれる。

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パフラヴィー朝
イスラーム共和国

歴史

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カージャール朝ペルシア帝国イギリスソビエト・ロシアによる干渉に苦しむ中、ペルシア・コサック旅団英語版の軍人レザー・ハーンは1921年クーデターを起こした後、1925年レザー・シャーとして皇帝に即位し、カージャール朝に代わってパフラヴィー朝が成立した。

初代皇帝レザー・シャーは軍事力を背景に中央集権化を進め、近代国家形成を目指して法制などを西欧化する改革を行い、1928年には不平等条約の撤廃に成功した。

第二次世界大戦で、レザー・シャーは英ソによる支配からの脱却を目指して親ナチス・ドイツ政策に転換したが、逆にイラン進駐を招いて失脚。1941年9月16日、第2代皇帝モハンマド・レザー・シャーが即位した。

1945年12月、ムッラームスタファ・バルザーニー英語版ソ連占領下の北西部マハーバードクルド人独立を求めて蜂起し、翌年クルディスタン共和国を樹立した。1946年12月15日、イラン軍の侵攻にあい崩壊(en:Iran crisis of 1946)。バルザーニーはソ連に亡命し、1946年8月16日クルディスタン民主党結成。1949年に反植民地主義トゥーデ党英語版(イラン共産党)が非合法化された。

1951年モハンマド・モサッデクが首相に就任した。1951年アーバーダーン危機1951年-1954年)では、モハンマド・モサッデク首相がアングロ・イラニアン石油会社英語版(AIOC)を国有化し、1953年にはソ連・イラン合同委員会をつくり、親ソ政策を推進していった。このことはアメリカからの反感も買うことになり、1953年MI6とアメリカ合衆国のジョン・フォスター・ダレス国務長官アレン・ウェルシュ・ダレスCIA長官の協力のもと、アジャックス作戦: TPAJAX Project)でモサッデクを失脚させ、親米英的なモハンマド・レザー・シャーが権力を回復した。1955年にはMETO(後のCENTO)に加盟し、西側陣営に加わった。

モハンマド・レザー・シャーは、アメリカの支援を受けて「白色革命」と呼ばれる石油利潤を元にした工業化と近代化を進めたが、原油価格の下落と急速な近代化の失敗から経済危機を招いた。ルーホッラー・ホメイニーは、白色革命を批判しなかったが皇帝の独裁的な性格を非難して抵抗運動を呼びかけたため、反皇帝運動が激化した。1964年、ルーホッラー・ホメイニーは国外追放を受け、亡命した。

1979年ルーホッラー・ホメイニーを指導者としてイラン革命が勃発すると、モハンマド・レザー・シャーはエジプト亡命してパフラヴィー朝は崩壊し、イラン・イスラム共和国が成立した。

現在はモハンマド・レザー・シャーの長男であるクロシュ・レザー・パフラヴィー: Cyrus Reza Pahlavi)元皇太子イランにおける人権問題等を批判し、イランの世俗化民主化を主張して政治活動を行っている。

年表

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歴代皇帝

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  1. レザー・シャー(在位:1925年 - 1941年
  2. モハンマド・レザー・シャー(在位:1941年 - 1979年) - 日本マスコミでは「皇帝」でなく「パーレビ国王」と呼ばれた)

関連項目

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外部リンク

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