アーン (映画)
『アーン』(原題:आन)は、1952年に公開されたインドの映画。メーブーブ・カーンが監督を務め、ディリープ・クマール、プレーム・ナート、ニンミが出演している。インド映画初のテクニカラー作品であり、16ミリメートルのゲバカラーで撮影された[4][5]。南インドではタミル語吹替版が公開された[6]。
アーン | |
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आन | |
監督 | メーブーブ・カーン |
脚本 |
R・S・チョードリー S・アリー・ラザー |
製作 | メーブーブ・カーン |
出演者 |
ディリープ・クマール プレーム・ナート ニンミ ナディラ |
音楽 | ナウシャド |
撮影 | ファレドゥーン・イラニ |
編集 | シャムスディン・カディリ |
製作会社 | メーブーブ・プロダクション |
公開 |
1952年7月4日 1954年1月1日 |
上映時間 | 161分 |
製作国 | インド |
言語 | ヒンドゥスターニー語 |
製作費 | ₹3,500,000[1] |
興行収入 | ₹35,731,000[2][3] |
国内、海外で興行的に成功し、当時のインド映画興行記録第1位を記録した[7][3]。28か国でそれぞれ17の言語字幕が付けられて公開され[3]、イギリス、アメリカ合衆国、フランス、日本では初めて公開されたインド映画となった[8][9][10]。映画はイギリスで高い評価を得た[11]。
あらすじ
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キャスト
編集製作
編集本作はインド映画初のテクニカラー作品となり、350万ルピー(2017年の換算で2億6000万ルピーに相当)という当時としては巨額の製作費が投じられた[1]。主要キャストにはディリープ・クマール、プレーム・ナート、ニンミの人気俳優が起用されたが、もう一人の主要女性キャストの起用は難航した。当初はナルギスが検討されたが、彼女はR・K・スタジオの仕事に専念するため降板し、次に候補に挙がったマドゥバーラーは当時交際していたディリープの強い後押しがあったと言われているが、彼女も起用されることはなかった。最終的に監督のメーブーブ・カーンは新人女優を起用することに決め、ナディラを起用した[12]。
編集段階のフィルムを鑑賞した出資者と配給会社の関係者は、「ニンミが演じるマンガラが死ぬのが早過ぎる」と抗議した。この抗議は人気女優のニンミの登場時間を長くしたい思惑からであり、彼らの要求に応える形で彼女の登場シーンが新たに追加された[13]。
海外配給
編集『アーン』は多くの国にとって初めて公開されたインド映画となり、各国でそれぞれ17の言語字幕が付けられ28か国で公開された。イギリスとヨーロッパの配給はアレクサンダー・コルダが担当した[3]。ロンドンで行われたプレミア上映にはメーブーブと彼の妻サダール・アフタール、ニンミが出席した[8]。英語圏では「Savage Princess」のタイトルで上映され、メーブーブたちはエロール・フリンなど多くの俳優と交流した。その際、フリンがニンミの手にキスをしようとして、「私はインドの女性です。それはできません!」と拒否されるハプニングがあり、メディアはニンミを「unkissed girl of India」と報じた[14]。このプレミア上映にはクレメント・アトリーも出席していた[11]。
ニンミが演じたマンガラは恋愛パートを担当するキャラクターではなかったが観客に大きなインパクトを与え、映画で最も人気を集めるキャラクターとなった[13]。1954年にフランスで吹替版が公開された際、タイトルが「Mangala, fille des Indes」となりマンガラにスポットを当てたポスターが作られた。彼女は2013年のインタビューで、ロンドンプレミアに出席したセシル・B・デミルなどのハリウッド関係者から4件のオファーを受けたと語っている。また、デミルは映画に感動し、メーブーブに対してニンミとナディラの演技を称賛した手紙を書いていたとも語っている[9]。
日本では1954年1月に公開され、興行的な成功を収めている[10]。
評価
編集興行収入
編集インド国内では1952年公開の映画で最高額の興行成績を収め[15]、国内興行収入は2800万ルピー(2016年換算で35億6000万ルピーに相当)を記録した[2][16][17]。国内純利益は1500万ルピーを記録し、1955年に『詐欺師』が公開されるまで興行記録を維持した[7]。
海外市場でも高い興行収入を記録しており[10]、28か国の合計興行収入は77万3060ルピー(16万2410ドル)を記録した[3]。この金額は2016年換算で150万ドルに相当する[17]。
批評
編集タイムズは好意的な意味を込めてハリウッドと比較し、「ハリウッドは、ハンサムなディリープと魅惑的なナディラの期待に応えることができない」と述べている[11]。
出典
編集- ^ a b “Nadira – Interview”. cineplot.com (25 November 2012). 2018年10月10日閲覧。
- ^ a b “Box Office 1952”. Box Office India (22 September 2012). 2018年10月10日閲覧。
- ^ a b c d e Rajinder, Dudrah; Jigna, Desai (2008) (英語). The Bollywood Reader. McGraw-Hill Education. p. 65. ISBN 9780335222124
- ^ Aan Archived 6 January 2007 at the Wayback Machine. University of Iowa.
- ^ “Aan”. Upperstall. 4 May 2013閲覧。
- ^ “Dhool”. 5 March 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月10日閲覧。
- ^ a b “Top Earners 1950-1959 (Figures in Ind Rs)”. Box Office India (19 September 2012). 2018年10月10日閲覧。
- ^ a b “Mehboob’s AAN (1952) – Indian Cinema’s entry into Europe”. Movie Mahal. 2018年10月10日閲覧。
- ^ a b “Dilip Kumar ke aashiq hum bhi the”. Filmfare.com. 2018年10月10日閲覧。
- ^ a b c Matsuoka, Tamaki (2008) (PDF). Asia to Watch, Asia to Present: The Promotion of Asian/Indian Cinema in Japan. Senri Ethnological Studies, Reitaku University. p. 246. オリジナルの22 July 2011時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c Gaur, Madan (1973) (英語). Other Side of the Coin: An Intimate Study of Indian Film Industry. Trimurti Prakashan [distributed through Universal Book Service, Delhi]. p. 160
- ^ “Aan (1952)”. The Hindu. 2018年10月10日閲覧。
- ^ a b “Petite powerhouse Nimmi”. Rediff.com. 2018年10月10日閲覧。
- ^ “When Nimmi turned down Errol Flynn's kiss”. Cinestaan.com. 2018年10月10日閲覧。
- ^ “Top Actors”. Box Office India. 2005年12月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月10日閲覧。
- ^ “Pacific Exchange Rate Service”. UBC Sauder School of Business. University of British Columbia. p. 3. 21 November 2017閲覧。
- ^ a b “Exchange Rates (68.3 INR per USD)”. The World Factbook. Central Intelligence Agency (2016年). 30 November 2017閲覧。