アンネ・クレマー
アンネ・クレマー(Anne Kremer, 1975年10月17日 - )は、ルクセンブルク・ルクセンブルク市出身の女子プロテニス選手。WTAツアーでシングルス2勝を挙げた。シングルス自己最高ランキングは18位。身長165cm、体重55kg、右利き。ベースライン・プレーヤーで、両手打ちのバックハンド・ストロークを最大の武器にした。
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アンネ・クレマー | ||||
基本情報 | ||||
国籍 | ルクセンブルク | |||
出身地 | 同・ルクセンブルク市 | |||
生年月日 | 1975年10月17日(49歳) | |||
身長 | 165cm | |||
体重 | 55kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 両手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1991年 | |||
引退年 | 2014年 | |||
ツアー通算 | 2勝 | |||
シングルス | 2勝 | |||
ダブルス | 0勝 | |||
生涯通算成績 | 541勝526敗 | |||
シングルス | 496勝418敗 | |||
ダブルス | 45勝108敗 | |||
生涯獲得賞金 | $1,567,313 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 |
2回戦(1999・2001-03・ 07・08) | |||
全仏 | 3回戦(2002) | |||
全英 | 3回戦(1999・2004) | |||
全米 | 2回戦(1998-2000) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | 1回戦(2005・08) | |||
全仏 | 1回戦(2005) | |||
全英 | 1回戦(2005) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 18位(2002年7月29日) | |||
ダブルス | 140位(2002年5月6日) | |||
来歴
編集クレマーはテニス選手のほとんどいないルクセンブルクで、1991年から競技経歴を始めたが、長い間アマチュア選手であった。1996年のウィンブルドンで4大大会にデビューした時は、予選3試合を勝ち上がった後、本戦1回戦で日本の杉山愛に 5-7, 4-6 で敗れた。同年のアトランタ五輪でオリンピックに初出場した時は、開会式でルクセンブルク代表選手の旗手に選ばれた。この時は女子シングルス1回戦でリンゼイ・ダベンポートに敗れる。1997年のウィンブルドン1回戦で、クレマーは当時最年少世界ランキング1位になったばかりのマルチナ・ヒンギスに 4-6, 4-6 で敗れた。学生時代はアメリカのスタンフォード大学でプレーし、同大学をNCAAの女子テニス選手権団体優勝に導いたこともあったため、クレマーのプロ転向は比較的遅く、1998年9月になってからである。この時、クレマーは間もなく23歳を迎える頃であった。
1999年、プロ選手生活に専念し始めたクレマーはすべての4大大会で初戦を突破する。同年のウィンブルドン3回戦では、当時16歳の新星エレナ・ドキッチ(当時はオーストラリア国籍)とともにセンター・コートでプレーした。ドキッチはこの大会の1回戦でマルチナ・ヒンギスを 6-2, 6-0 で破って一躍有名になり、彼女の試合ぶりが大きな注目を集めていた時だったが、クレマーはドキッチに 7-6, 3-6, 4-6 の逆転で敗れた。2000年に、クレマーは1月初頭のニュージーランド・オークランドの大会と11月のタイ・パタヤの大会で女子ツアー2勝を挙げた。この年はシドニー五輪で2度目のオリンピック出場を果たしたが、シングルス2回戦で南アフリカ代表のアマンダ・クッツァーに敗れている。
その後のクレマーは、2002年全仏オープンと2004年ウィンブルドンで3回戦進出があり、アテネ五輪で3度目のオリンピックにも出場した。2007年の全豪オープンでは、クレマーは予選勝者としてプレーし、本戦1回戦でオランダのミハエラ・クライチェクを破ったが、2回戦でセリーナ・ウィリアムズに敗退した。
2008年のシーズンは右手首の故障に悩み、全仏オープンでソラナ・チルステア(ルーマニア)との1回戦を途中棄権した後、長期間ツアーを離脱した。2009年3月からは再び女子ツアー下部大会でプレーしている。2011年全豪オープンで予選を勝ち上がり3年ぶりに4大大会の本戦に出場した。
クレマーは2014年2月のフェドカップを最後に公式戦出場が途絶えている。
WTAツアー決勝進出結果
編集シングルス: 4回 (2勝2敗)
編集大会グレード |
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グランドスラム (0–0) |
ティア I (0–0) |
ティア II (0–0) |
ティア III (0–0) |
ティア IV & V (2–2) |
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 1999年11月21日 | パタヤ | ハード | マグダレナ・マレーバ | 6–4, 1–6, 2–6 |
優勝 | 1. | 2000年1月8日 | オークランド | ハード | カーラ・ブラック | 6–4, 6–4 |
優勝 | 2. | 2000年11月19日 | パタヤ | ハード | タチアナ・パノワ | 6–1, 6–4 |
準優勝 | 2. | 2001年4月22日 | ブダペスト | クレー | マグダレナ・マレーバ | 6-3, 2-6, 4-6 |
4大大会シングルス成績
編集- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 通算成績 |
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全豪オープン | A | 1R | LQ | 2R | 1R | 2R | 2R | 2R | A | 1R | LQ | 2R | 2R | A | A | 1R | 6–10 |
全仏オープン | LQ | LQ | A | 2R | 2R | 2R | 3R | A | A | 1R | LQ | 1R | 1R | A | A | LQ | 5–7 |
ウィンブルドン | 1R | 1R | LQ | 3R | 1R | 1R | 2R | A | 3R | 2R | A | 1R | A | A | A | LQ | 6–9 |
全米オープン | LQ | LQ | 2R | 2R | 2R | 1R | 1R | A | LQ | 1R | LQ | LQ | A | LQ | LQ | LQ | 3–6 |