アンヌ・ド・ブルボン (1380-1408)

アンヌ・ド・ブルボン(Anne de Bourbon, 1380年 - 1408年9月)は、ラ・マルシュ伯ジャン1世カトリーヌ・ド・ヴァンドームの娘。

アンヌ・ド・ブルボン
Anne de Bourbon

出生 1380年
死去 1408年9月
フランス王国パリ
埋葬 フランス王国パリ、ジャコバン教会
配偶者 モンパンシエ伯ジャン2世・ド・ベリー
  バイエルン公ルートヴィヒ7世
子女 ルートヴィヒ8世
ヨハン
家名 ブルボン家
父親 ラ・マルシュ伯ジャン1世
母親 ヴァンドーム女伯カトリーヌ
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家族

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アンヌは、ラ・マルシュ伯ジャン1世とカトリーヌ・ド・ヴァンドームの間に生まれた7人の子供のうちの1人である。兄弟姉妹には、ラ・マルシュ伯ジャック2世ヴァンドーム伯ルイ、キプロス王妃シャルロットなどがいる。アンヌは妹シャルロットを通じてキプロス王ジャン2世とサヴォイア公妃アンヌの伯母にあたる。また、父親が愛妾との間にもうけた異母兄弟がいた。

アンヌの父方の祖父母はラ・マルシュ伯ジャック1世とジャンヌ・ド・シャティヨン、母方の祖父母はヴァンドーム伯ジャン6世とジャンヌ・ド・ポンチューであった。

最初の結婚

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1390年、アンヌはフランス王ジャン2世の孫であるモンパンシエ伯ジャン2世・ド・ベリーの2番目の妃となった。ジャン2世の最初の妃カトリーヌ・ド・ヴァロワは10歳で亡くなったため、ジャン2世は後継者を必要としていた。しかし、最初の結婚と同様、アンヌとジャン2世の間に成人した子はいなかった。ジャン2世は1397年に亡くなり、アンヌは未亡人となった。

2度目の結婚

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1402年10月1日、アンヌはパリにおいてフランス王妃イザボーの兄ルートヴィヒ7世と再婚した[1]。ルートヴィヒ7世はアンヌの死後の1413年に父の跡を継いでバイエルン公となった。2人の間には以下の子女が生まれた。

アンヌは1408年9月に亡くなり、パリのジャコバン修道院教会(現存しない)に埋葬された。ルートヴィヒ7世は1413年にカトリーヌ・ド・アランソンと再婚した。

脚注

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  1. ^ Adams, Tracy (2010-09-15) (英語). The Life and Afterlife of Isabeau of Bavaria. JHU Press. pp. 256. ISBN 978-0-8018-9926-3. https://books.google.com/books?id=XlnwD9UTCZYC