アンドレス・ゴメス
アンドレス・ゴメス・サントス(Andrés Gómez Santos, 1960年2月27日 - )は、エクアドル・グアヤキル出身の元男子プロテニス選手。1990年の全仏オープン男子シングルス優勝者で、当地が生んだ最大のスポーツ選手として知られる。ダブルスでも1986年の全米オープンと1988年の全仏オープンで、4大大会男子ダブルス2勝がある。左利き。自己最高ランキングはシングルス4位、ダブルス1位。ATPツアーでシングルス21勝、ダブルス33勝を挙げた。オールラウンド・プレーヤーで、重厚なサービスや鋭いボレー、きびきびしたスピン・ボールを駆使するスタイルのテニスを得意とした。
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アンドレス・ゴメス(2011年) | ||||
基本情報 | ||||
愛称 | ゴゴ (Gogo) | |||
国籍 | エクアドル | |||
出身地 | グアヤス県グアヤキル | |||
生年月日 | 1960年2月27日(64歳) | |||
身長 | 193cm | |||
体重 | 84kg | |||
利き手 | 左 | |||
バックハンド | 片手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1979年 | |||
引退年 | 1993年 | |||
ツアー通算 | 54勝 | |||
シングルス | 21勝 | |||
ダブルス | 33勝 | |||
生涯通算成績 | 892勝461敗 | |||
シングルス | 523勝267敗 | |||
ダブルス | 369勝194敗 | |||
生涯獲得賞金 | $4,385,130 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 4回戦(1990) | |||
全仏 | 優勝(1990) | |||
全英 | ベスト8(1984) | |||
全米 | ベスト8(1984) | |||
優勝回数 | 1(仏1) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | 2回戦(1992) | |||
全仏 | 優勝(1988) | |||
全英 | ベスト4(1987) | |||
全米 | 優勝(1986) | |||
優勝回数 | 2(仏1・米1) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 4位(1990年6月11日) | |||
ダブルス | 1位(1986年9月15日) | |||
選手経歴
編集ゴメスは1978年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップのエクアドル代表選手になり、翌1979年にプロ入りした。プロ入りの翌年から、ゴメスはダブルスで優れた力量を発揮し始め、1980年にダブルスで年間4勝を獲得する。1981年は9月のフランス・ボルドー大会でシングルス初優勝を果たし、ダブルスで年間7勝を記録したが、当時彼がよくパートナーを組んでいた選手は、チリのハンス・ギルデマイスターであった。1984年にゴメスはシングルスでも著しい躍進を見せ、男子ツアー大会のシングルスで年間5勝を挙げ、4大大会でも全仏オープン・ウィンブルドン・全米オープンの3大会連続でベスト8に入り、世界ランキングを5位に上げた。1986年の全米オープン男子ダブルスで、ゴメスはスロボダン・ジボイノビッチ(当時ユーゴスラビア)とペアを組み、決勝でスウェーデンペアのマッツ・ビランデル&ヨアキム・ニーストロム組を 4-6, 6-3, 6-3, 4-6, 6-3 のフルセットで破って初優勝を飾った。1986年はシングルスで年間4勝、ダブルスで全米オープンを含む7勝を挙げている。
1988年、ゴメスは全仏オープンダブルスでエミリオ・サンチェス(スペイン、アランチャ・サンチェス・ビカリオの長兄)とペアを組み、2度目の4大大会男子ダブルス優勝を果たした。ゴメスとサンチェスは、決勝でジョン・フィッツジェラルド(オーストラリア)&アンダース・ヤリード(スウェーデン)組を 6-3, 6-7, 6-4, 6-3 で破っている。この年は日本の「セイコー・スーパー・テニス」でのダブルス優勝もあり、パートナーは2年前の全米オープンと同じスロボダン・ジボイノビッチと組んだ。しかし、この頃のゴメスは単複とも好成績が少なかった。
30歳を迎えた1990年の全仏オープンで、アンドレス・ゴメスにテニス経歴最大のハイライトが訪れる。第4シードから勝ち進んだゴメスは、初進出の決勝で若きアンドレ・アガシと顔を合わせた。南米のベテランと20歳のアメリカの若者の激突は、6-3, 2-6, 6-4, 6-4 でゴメスが制した。こうしてゴメスは、エクアドル出身のテニス選手として最初の4大大会シングルス優勝者になった。初優勝時の年齢「30歳3ヶ月」は、全仏オープンの男子シングルスでは4番目の年長記録となった。(アガシはここからしばらく準優勝が続き、苦しい時期を迎える。)しかし、その後ウィンブルドンと全米オープンで2大会連続初戦敗退に終わる。1991年にはトーナメント出場が激減し、大会前年優勝者としての全仏オープンにも参加できなかった。
ゴメスは1993年に現役を引退した後も、デビスカップには長く参加を続け、親類関係にあるニコラス・ラペンティとのダブルス戦に出場した。現在はコーチとして後進の育成に携わっている。
4大大会シングルス成績
編集- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
シングルス
編集大会 | 1979 | 1980 | 1981 | 1982 | 1983 | 1984 | 1985 | 1986 | 1987 | 1988 | 1989 | 1990 | 1991 | 1992 | SR |
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全豪オープン | A | A | A | A | A | A | A | NH | A | A | A | 4R | A | 1R | 0 / 2 |
全仏オープン | A | 2R | 2R | 4R | 4R | QF | 3R | QF | QF | 2R | 2R | W | A | 2R | 1 / 12 |
ウィンブルドン | A | 1R | A | 1R | A | QF | A | 1R | 4R | A | 2R | 1R | A | A | 0 / 7 |
全米オープン | 2R | 2R | 3R | A | 4R | QF | A | 2R | 4R | 3R | 3R | 1R | 1R | A | 0 / 11 |
チャンピオンシップ | |||||||||||||||
マスターズカップ | A | A | A | A | QF | A | SF | RR | A | A | A | RR | A | A | 0 / 5 |
Year End Ranking | 61 | 44 | 37 | 15 | 14 | 5 | 15 | 10 | 11 | 24 | 17 | 6 | 70 | 179 |
ダブルス
編集大会 | 1979 | 1980 | 1981 | 1982 | 1983 | 1984 | 1985 | 1986 | 1987 | 1988 | 1989 | 1990 | 1991 | 1992 | SR |
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全豪オープン | A | A | A | A | A | A | A | NH | A | A | A | 1R | A | 2R | 0 / 2 |
全仏オープン | A | 2R | 2R | A | 1R | 1R | A | 2R | 3R | W | 1R | A | A | 1R | 1 / 9 |
ウィンブルドン | A | A | A | A | A | 1R | A | 1R | SF | A | A | A | A | A | 0 / 3 |
全米オープン | 2R | 1R | 1R | A | 1R | 1R | A | W | SF | 3R | 2R | A | 3R | A | 1 / 10 |
外部リンク
編集参考文献
編集- Bud Collins, “Total Tennis: The Ultimate Tennis Encyclopedia” Sport Classic Books, Toronto (2003 Ed.) ISBN 0-9731443-4-3