アントニオ・チェスティ

マルカントニオ・チェスティMarc' Antonio Cesti, 1623年8月5日 - 1669年10月14日)はイタリアバロック音楽オペラ作曲家

アントニオ・チェスティ
Antonio Cesti
生誕 (1623-08-05) 1623年8月5日
トスカーナ大公国アレッツォ
死没 (1669-10-14) 1669年10月14日(46歳没)
トスカーナ大公国フィレンツェ
『黄金のりんご』の舞台

アレッツォに生まれ、ローマジャコモ・カリッシミに師事した後、フィレンツェで活動した。フィレンツェではサルヴァトル・ローザと知り合い、ローザの台本を基にカンタータ作曲した。1652年からインスブルックフェルディナント・カール大公宮廷楽長に就任し、1655年に前スウェーデン女王クリスティーナがインスブルックでカトリックに改宗した際には、オペラ『アルゲイア』を上演した。1660年教皇庁に地位を得た。1666年ウィーン宮廷副楽長に就任し、1669年に同地で没した。

チェスティは専らオペラ作曲家として知られており、最も著名なのが《ラ・ドンLa Don》(ヴェネツィア1663年)と黄金の林檎英語版Il Pomo d'oroウィーン1668年)であり、後者は1666年神聖ローマ皇帝レオポルト1世マルガリータ・テレーザの結婚式で披露された。

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