アンディ・メサースミス
ジョン・アレクサンダー・メサースミス(John Alexander Messersmith, 1945年8月6日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州トムズリバー出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。ニックネームは「Bluto」,「Channel」。
ブレーブス時代(1977年) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ニュージャージー州トムズリバー |
生年月日 | 1945年8月6日(79歳) |
身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 200 lb =約90.7 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1966年 ドラフト1巡目(全体12位) |
初出場 | 1968年7月4日 |
最終出場 | 1979年6月1日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集カリフォルニア・エンゼルス
編集1965年のMLBドラフトでデトロイト・タイガースから3巡目に指名を受けるが契約せず。1966年のMLB二次ドラフトでカリフォルニア・エンゼルスから1巡目(全体12位)に指名を受け入団。1968年6月13日のボストン・レッドソックス戦でメジャーデビュー。9月6日の同カードでは6四球を与えたが、被安打2でメジャー初完投・初完封を達成した。1969年は開幕から5連敗を喫するが、6月・7月で10勝を挙げるなどチーム最多の16勝・防御率2.52・211奪三振を記録。1970年は初の開幕投手となり完封勝利を挙げるが、8月途中からリリーフに回り、11勝10敗・防御率3.01の成績。1971年はオールスターゲームに初選出される。後半戦で12勝5敗・防御率2.17と調子を上げ、20勝13敗・防御率2.99を記録し、サイ・ヤング賞の投票では5位に入った。1972年は2度目の開幕投手となり再び完封勝利を挙げるが、故障もあって8勝11敗に留まる。11月28日にフランク・ロビンソン、ビル・シンガー、ボビー・バレンタインら5選手との交換トレードで、1選手と共にロサンゼルス・ドジャースへ移籍。
ロサンゼルス・ドジャース
編集移籍1年目の1973年は14勝10敗・防御率2.70。1974年は前半戦で11勝2敗・防御率2.11を記録し、3年ぶりにオールスターゲームに選出されて先発投手を務めた。シーズン通算でフィル・ニークロと並ぶ20勝、スティーブ・カールトンに次ぐリーグ2位の221奪三振を記録し、最多勝利のタイトルを獲得。チームの地区優勝に大きく貢献し、ピッツバーグ・パイレーツとのリーグチャンピオンシップシリーズでも第2戦に先発して勝利を挙げ、リーグ優勝に導いた。オークランド・アスレティックスとのワールドシリーズでは2試合に先発したがいずれも敗戦投手となり、チームも1勝4敗で敗退しワールドチャンピオンはならなかった。サイ・ヤング賞の投票では、106試合登板のメジャー記録を樹立したチームメイトのマイク・マーシャルに次ぐ2位だったが、初のゴールドグラブ賞を受賞した。オフに球団との契約交渉が決裂し、契約書にサインしないまま1975年のシーズンを迎えることになる。球団はオプションとして契約を1年延長する権利を行使する、という形を取った。
同年はいずれもリーグ最多の40先発・19完投・7完封・321.2イニング、リーグ3位の19勝、リーグ2位の防御率2.29を記録するなど大活躍し、前年に続いてゴールドグラブ賞を受賞。オフに調停を申請し「1975年はオプション年としてプレイしたのであり、球団にはもはや拘束する権利はなく、現在はどこの球団にも所属していない」と主張した。裁定の結果「球団との契約の期限が切れたら他の球団と交渉するのは自由」という判断が下され、フリーエージェント制度が生まれるきっかけとなった。
1976年4月10日にアトランタ・ブレーブスと3年総額100万ドルで契約。同年は11勝11敗・防御率3.04とまずまずだったが、1977年は5勝に終わり、12月7日にニューヨーク・ヤンキースに移籍。1978年は故障もあってわずか6試合の登板で0勝3敗に終わり、11月6日に解雇。1979年2月7日に古巣のドジャースに復帰するが、2勝に終わって8月28日に解雇され、引退。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1968 | CAL | 28 | 5 | 2 | 1 | -- | 4 | 2 | 4 | -- | .667 | 321 | 81.1 | 44 | 3 | 35 | 4 | 1 | 74 | 3 | 1 | 21 | 20 | 2.21 | 0.97 |
1969 | 40 | 33 | 10 | 2 | -- | 16 | 11 | 2 | -- | .593 | 1008 | 250.0 | 169 | 17 | 100 | 7 | 5 | 211 | 16 | 1 | 81 | 70 | 2.52 | 1.08 | |
1970 | 37 | 26 | 6 | 1 | -- | 11 | 10 | 5 | -- | .524 | 795 | 194.2 | 144 | 21 | 78 | 6 | 6 | 162 | 2 | 0 | 75 | 65 | 3.01 | 1.14 | |
1971 | 38 | 38 | 14 | 4 | -- | 20 | 13 | 0 | -- | .606 | 1170 | 276.2 | 224 | 16 | 121 | 6 | 7 | 179 | 9 | 0 | 112 | 92 | 2.99 | 1.25 | |
1972 | 25 | 21 | 10 | 3 | -- | 8 | 11 | 2 | -- | .421 | 690 | 169.2 | 125 | 5 | 68 | 8 | 2 | 142 | 2 | 1 | 56 | 53 | 2.81 | 1.14 | |
1973 | LAD | 33 | 33 | 10 | 3 | -- | 14 | 10 | 0 | -- | .583 | 1015 | 249.2 | 196 | 24 | 77 | 3 | 6 | 177 | 6 | 1 | 90 | 75 | 2.70 | 1.09 |
1974 | 39 | 39 | 13 | 3 | -- | 20 | 6 | 0 | -- | .769 | 1179 | 292.1 | 227 | 24 | 94 | 0 | 3 | 221 | 6 | 3 | 93 | 84 | 2.59 | 1.10 | |
1975 | 42 | 40 | 19 | 7 | -- | 19 | 14 | 1 | -- | .576 | 1276 | 321.2 | 244 | 22 | 96 | 2 | 5 | 213 | 8 | 0 | 92 | 82 | 2.29 | 1.06 | |
1976 | ATL | 29 | 28 | 12 | 3 | -- | 11 | 11 | 1 | -- | .500 | 847 | 207.1 | 166 | 14 | 74 | 1 | 2 | 135 | 10 | 0 | 83 | 70 | 3.04 | 1.16 |
1977 | 16 | 16 | 1 | 0 | -- | 5 | 4 | 0 | -- | .556 | 447 | 102.1 | 101 | 12 | 39 | 5 | 2 | 69 | 5 | 0 | 54 | 50 | 4.40 | 1.37 | |
1978 | NYY | 6 | 5 | 0 | 0 | -- | 0 | 3 | 0 | -- | .000 | 106 | 22.1 | 24 | 7 | 15 | 0 | 1 | 16 | 0 | 0 | 21 | 14 | 5.64 | 1.75 |
1979 | LAD | 11 | 11 | 1 | 0 | -- | 2 | 4 | 0 | -- | .333 | 266 | 62.1 | 55 | 9 | 34 | 2 | 0 | 26 | 3 | 0 | 34 | 34 | 4.91 | 1.43 |
通算:12年 | 344 | 295 | 98 | 27 | -- | 130 | 99 | 15 | -- | .568 | 9120 | 2230.1 | 1719 | 174 | 831 | 44 | 40 | 1625 | 70 | 7 | 812 | 709 | 2.86 | 1.14 |
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
編集- 最多勝利 1回:1974年
表彰
編集- ゴールドグラブ賞 2回:1974年, 1975年
- MLBオールスターゲーム選出 4回:1971年, 1974年 - 1976年