アンソニー・アルバニージー
アンソニー・ノーマン・アルバニージー(英語: Anthony Norman Albanese [ˌælbəˈniːzi, ˈælbəniːz][3]、1963年3月2日 - )は、オーストラリアの政治家。第31代オーストラリア首相[1](2022年5月23日就任[2])。オーストラリア労働党党首で、ケビン・ラッド政権では副首相を務めた。支持者などからの愛称はアルボ[2][4](Albo)。
アンソニー・アルバニージー Anthony Albanese | |
---|---|
| |
生年月日 | 1963年3月2日(61歳) |
出生地 |
オーストラリア ニューサウスウェールズ州ダーリングハースト |
出身校 | シドニー大学 |
所属政党 | 労働党 |
配偶者 |
カーメル・テバット (2000年結婚、2019年離婚) |
子女 | 1 |
宗教 | カトリック |
公式サイト | Anthony Albanese |
内閣 | アルバニージー内閣 |
在任期間 | 2022年5月23日[2] - 現職 |
国王 総督 |
エリザベス2世 チャールズ3世 デイヴィッド・ハーレイ サム・モスティン |
代議院議員 | |
選挙区 | グレインドラー |
在任期間 | 1996年3月2日 - 現職 |
内閣 | ラッド内閣 |
在任期間 | 2013年6月27日 - 2013年9月18日 |
内閣 |
ラッド内閣 ギラード内閣 |
在任期間 | 2007年12月3日 - 2013年9月18日 |
内閣 |
ラッド内閣 ギラード内閣 |
在任期間 | 2007年12月3日 - 2013年9月14日 |
その他の職歴 | |
オーストラリア労働党党首 (2019年5月30日 - 現職) |
英国に祖先を持たない、2人目のオーストラリア首相である(もう一人はクリス・ワトソン)。
来歴
編集生い立ち
編集1963年3月2日、シドニー郊外のダーリングハーストで、父カルロ・アルバニージー(イタリア系)と母マリアンヌ・エレリー(アイルランド系)の息子として生まれた。母エレリーはカルロとすぐに別れたため、アルバニージーは母から父親は死んだと聞かされており、2009年に会うまで一度も会ったことは無かった。エレリーと母方の祖父母に育てられ、母は清掃員としてパートタイムで働く。しかし、関節リウマチを患ったため、障害者年金と祖母の老齢年金で生計を立てていた。
首相就任につながる総選挙で勝利した2022年5月21日夜、「シングルマザーの息子で、公営住宅で育った人物が、首相として皆さんの前に立つことができる。オーストラリアは素晴らしい」と自らの来歴を語った[4]。
キャンパータウンの小学校と、シドニー中心業務地区に位置する中等教育学校セント・メリーズ・カセドラル・カレッジで学んだ。12歳の時、公営住宅の売却計画に抗議して撤回に追い込んだ[4]。卒業後、オーストラリア・コモンウェルス銀行で2年働く。その後、シドニー大学にて経済学を学ぶ傍ら、学生の政治活動に参加し、左派運動家として着実に歩みを進めた。
大学卒業後
編集経済学の学位を取得後、当時の地方政府担当大臣トム・ユーレンの政策秘書となる。その後、労働党ニューサウスウェールズ支部の副書記に当選し6年務める。1995年には当時のニューサウスウェールズ州知事である、ボブ・カーの上級顧問に就任した。
国政進出
編集労働党所属の下院議員ジャネット・マクヒューが1996年の総選挙を以て引退を表明したため、彼女が選出されたグレインドラー地区の労働党予備選挙に立候補して当選を果たす。本選挙でも当選し、国政に進出。国会では選挙区の主要な争点であった空港の騒音問題を取り上げたほか、同性婚合法化[4]、労働者やオーストラリア先住民の権利を擁護する立場に立った。
2001年に影の内閣閣僚(高齢者担当)に就任すると、2007年の労働党による政権奪取まで様々な影の内閣を歴任する。ケビン・ラッド政権が発足すると、国土交通大臣に任命され、様々なプロジェクトを実行していった。続くジュリア・ギラード内閣でも引き続き留任した。党内不和が表面化するとラッド前首相側につき、ラッドが再登板すると副党首・副首相に任命された。
2013年オーストラリア総選挙でオーストラリア自由党に敗れた労働党が下野すると、ラッドの労働党党首の辞任に伴い党首選挙に立候補した。しかし、党員からは多くの支持を得たものの国会議員からの支持を伸ばせず、ビル・ショーテンに敗れる。2019年オーストラリア総選挙に労働党が大方の予想に反して敗北すると、ショーテンが党首を辞任。すぐに立候補を表明し、無投票で労働党党首に選出された。
首相就任
編集労働党党首として迎えた2022年オーストラリア総選挙で、労働党は保守連合を下し9年ぶりに政権の座につく。
選挙戦ではスコット・モリソン政権に対して、オーストラリア森林火災 (2019年-2020年)など自然災害対応やCOVID-19ワクチン調達の遅れ、物価高に比して賃金が上がっていないことをとりあげて「変化」を訴えるとともに、外交・安全保障政策の継続を訴えて勝利した[5]。一方で、中央銀行の政策金利や失業率を正確に答えられず、政策音痴と批判された[4]。またパフォーマンスが控えめで知名度が低く、総選挙の勝利演説では「もう名前は分かってくれたかな」と語る一幕があった[2]。
2022年9月27日、故安倍晋三国葬儀にアルバニージー首相はオーストラリア代表として参列した[6][7]。
2022年総選挙で実施を訴えた、先住民の権利などを憲法に盛り込むための憲法改正国民投票は2023年10月14日に実現させた。しかし同年6月以降は支持が終始伸び悩み否決された[8]。
政治的立場
編集政治姿勢としてはリベラル的と評されている。また、難民の受け入れと同性婚をそれぞれ支持している。
私生活
編集後にニューサウスウェールズ州副知事となる、カーメル・テバットと2000年に結婚。1人息子がいる[4]。2019年に離婚。2022年時点では、女性の権利運動に熱心なヘイデンという女性をパートナーとしている[4]。2024年2月15日にヘイデンと婚約したことを明らかにした[9]。
自らを「イタリアとアイルランドのハーフ」であり、「非実践的なカトリック教徒」であると述べている。また、非常に音楽好きであり、ピクシーズのシャツを着てザ・ポーグスのライブ[要曖昧さ回避]に行ったという。国土交通大臣時代には、ドリー・パートンのツアーの際、繁文縟礼から救うため介入したとも言われている。
1999年から2002年の間、サウス・シドニー・ラビトーズの理事を務めた。『シドニー・モーニング・ヘラルド』紙によると、2009年に自由党のジョン・ハワード元首相がラビドーズの重役に就任しそうになると強硬に反対し、阻止するために各方面に電話をかけたという。
脚注・出典
編集- ^ a b 岸田内閣総理大臣発アルバニージー・オーストラリア連邦次期首相宛てメッセージ「第31代オーストラリア首相となる貴党首と緊密に連携していけることを嬉しく思います。」日本国外務省(2022年年5月22日)2022年5月29日閲覧
- ^ a b c d 「豪首相 アルバニージー氏就任 クアッド会談で訪日」「【プロフィル】弱者に寄り添う信条」『読売新聞』朝刊2022年5月24日(国際面)
- ^ Webb, Tiger (30 May 2019). “Anthony Albanese can't decide how to pronounce his name, so don't ask him”. ABC News. 24 May 2022閲覧。
- ^ a b c d e f g 「豪次期首相どんな人?苦労人の庶民派、政権運営は未知数」『産経新聞』朝刊2022年5月23日(総合面)同日閲覧
- ^ 「豪政権下 物価上昇を批判/労働党勝利宣言/変化の必要性強調 支持拡大」『読売新聞』朝刊2022年5月22日(国際面)
- ^ 故安倍晋三国葬儀への各国・地域・国際機関等からの参列 | 外務省
- ^ 「故安倍晋三国葬儀への参列:各国・地域・国際機関等の名称及び代表者名」(PDF)
- ^ “豪国民投票、先住民地位の改憲否決=代表機関に反発、首相受け入れ”. 時事通信社. (2023年10月14日) 2023年10月15日閲覧。
- ^ “アルバニージー豪首相が婚約 パートナーのジョディさんと”. 時事通信. (2024年2月15日) 2024年2月15日閲覧。
公職 | ||
---|---|---|
先代 スコット・モリソン |
オーストラリア連邦首相 第31代:2022年5月23日- |
次代 在任中 |
党職 | ||
先代 ビル・ショーテン |
オーストラリア労働党党首 第21代:2019年5月30日 - |
次代 在任中 |