座標: 北緯56度05分 東経49度53分 / 北緯56.083度 東経49.883度 / 56.083; 49.883

アルスクロシア語: Арскラテン文字表記の例: Arsk)、あるいはアルチャタタール語: Арча, Arça, ラテン文字表記の例: Archa)は、ロシアタタールスタン共和国の町。人口は2万421人(2021年)[1]

アルスクの紋章

ヴォルガ川の支流カザンカ川(タタール語:カザンス川)沿いにある町で、カザンからは北東へ65km。カザンとアグルィズを結ぶ鉄道の駅もある。

タタール人が83%を占め、ロシア人が15%。モルドヴィン人マリ人チュヴァシ人ウドムルト人などもいる。

歴史

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かつてはフィン・ウゴル系の人々が住んでいたと考えられるが、ヴォルガ・ブルガールの進出によりテュルク系人に同化されていった。町は13世紀頃にヴォルガ・ブルガールによって建てられた。タタール語の地名であるアルチャとは、「ウドムルトの」、あるいは「ウドムルト人」を意味する。16世紀半ばまで続いたカザン・ハン国の時代、アルチャはカザン・ハン国の一地方であるアルチャ・ダルガ(アルチャ・ダルアス、Arsk Darugha, Arça daruğası)の中心地であり、強力な要塞であった。アルチャ周辺はタタール人が多く住んでいたが、アルチャ・ダルガの人口の多くを占めていたのはウドムルト人であった。

1552年にはロシア・ツァーリ国のヴォロティンスキー公率いる軍により陥落し、ロシアに併合された。1606年にはロシアが要塞を再建し、1708年から1796年にかけてはカザン県のアルスク郡の中心地となった。1781年には市の地位を与えられている。

ロシア革命期の1918年、アルスクは反ボリシェヴィキの農民反乱軍により占領されていた。1920年から1930年には、タタール自治ソビエト社会主義共和国の下にアルスク・カントンが置かれたが、1930年にカントンからラヨン(地区)への編制替えが行われ、アルスク・カントンはいくつかの地区に分割されている。1926年には市の地位を失い村に格下げされたが、1924年モスクワカザンアグルィズエカテリンブルクを結ぶ鉄道が開通したことにより、アルスクは次第に物資集散地として重要になり始める。1938年には都市型集落に昇格し、2008年6月27日、再び市となった。

文化・産業・交通

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近代タタール文学の重要人物で、詩人・文学評論家・ジャーナリストであったガブデュッラ・テュカイ(1886年 - 1913年)は、アルスクから24km北西にあるクシュラウィチ村(Quşlawıç)出身である。アルスクには文学・美術博物館がある。

アルスク周辺は農業地帯で、アルスクの町の主な産業は食品、繊維、建材などの生産である。アルスク駅からは、カザン方面やエカテリンブルク方面のエレクトリーチカが出ている。

脚注

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  1. ^ city population”. 4 May 2023閲覧。

外部リンク

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