おせんころがし
おせんころがし(漢字:お仙ころがし[1])は、千葉県勝浦市の西端から鴨川市にまたがる約4kmの崖の通称である[2]。旧国道が崖の中腹を通り、古くは交通の難所であったが、現在は新国道が整備され解消されている。
概要
編集古くは、房総東往還の難所と知られていたが、1929年(昭和4年)、おせんころがしの部分を小湊トンネルなどで結ぶ鉄道(現在の外房線)が開通した。その後、おせんころがしの部分をおせんころがしトンネル、境川トンネルで結ぶ国道128号の新道も完成し、現在は崖の中腹にある小道が残るのみである。この小道に通ずる道はバリケードでふさがれており、ガードレール等も存在しない。
最寄駅は行川アイランド駅である。
歴史
編集江戸時代までは、房総半島の東側の集落(東條、小湊、興津、勝浦)は千葉より放射状に結ばれ、海岸沿いに進む道は間道程度に過ぎず、主要街道としては整備されなかった。
明治時代に入ると、波の高い太平洋側は海運が発達せず、早くから海岸沿いを結ぶ道が整備された。具体的な開通時期ははっきりとはしないが、おおよそ明治10年代(1877年-1886年)頃であると思われる。
1952年(昭和27年)に一家3人の殺人事件であるおせんころがし殺人事件(現場は小湊町内)が発生し、被害者がこの崖から投げ落とされた。なおこの時までに、内陸をトンネルで貫き、ショートカットする新道が完成していた。
名称の由来
編集昔、この崖の近くの豪族・古仙家(こせんけ)にいた、おせん(お仙)という一人娘が名称の由来とされている。お仙は、村人を苦しめる強欲非道な父親を改心させようとしたが、改心は無理と悟り、この崖から身を投げたといわれている[3]。具体的には、豊作に託つけて年貢の取り分を増やそうとした強欲な領主(お仙の父親)に激怒した村人たちが領主殺害を決意し、父を諌めることに失敗したお仙が、やむなく父の服を着て成りすまし、夜襲をかけた村人達に崖から投げおとされた。朝になって崖下を確認した村人達は、自分達が投げおとしたのが実はお仙だったと知り嘆き悲しんだ、という悲話である[1]。
脚注
編集- ^ a b “(勝浦市)お仙ころがし”. 千葉県. 2021年6月5日閲覧。
- ^ “(117)老後の心配が生をひどく乱す”. 産経ニュース (2021年12月25日). 2021年12月25日閲覧。
- ^ “おせんころがし”. 勝浦市. 2021年6月5日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 千葉県勝浦市 おせんころがし
- 国道128号旧道 おせんころがし - 旧道の現況について(平沼義之)