あゝ野麦峠 新緑篇
『あゝ野麦峠 新緑篇』(ああのむぎとうげ しんりょくへん)は、1982年製作の日本映画。前作『あゝ野麦峠』の興行的成功を受けての続編。製作は新日本映画から東宝映画に変わったが、山本薩夫が東宝本体(東宝映画は砧撮影所拠点の東宝100%子会社。1972年以降本体は直接製作を行っていないため、同社や東宝映像の作品が事実上本体製作に準ずる)で映画を撮るのは、『戦争と平和』以来35年ぶりのことで話題になった。ただ興行成績は前作に遠く及ばなかった。
あゝ野麦峠 新緑篇 | |
---|---|
監督 | 山本薩夫 |
脚本 | 山内久 |
製作 |
馬場和夫 山岸豊吉 宮古とく子 |
出演者 |
三原順子 岡田奈々 中井貴惠 江藤潤 |
音楽 | 佐藤勝 |
撮影 | 小林節雄 |
編集 | 鍋島淳 |
配給 | 東宝 |
公開 | 1982年2月6日 |
上映時間 | 136分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
前作 | あゝ野麦峠 |
あらすじ
編集この節の加筆が望まれています。 |
上映データ
編集公開日 上映時間 |
1982年(昭和57年) | 2月16日 | 日本 | 136分 |
サイズ | カラー | ビスタビジョン |
キャスト
編集- 中谷タケ:三原順子
- 河合アイ:岡田奈々
- 生田朝子:中井貴惠
- 宮田常治:江藤潤
- 今井丈吉:なべおさみ
- 塚本トシ:石田えり
- 久保田清司:宮崎達也
- 吉田勝代:影山仁美
- 金丸大介:神山繁
- 佐々総務部長:高城淳一
- 小沢検番:伊藤敏孝
- 北見検番:樋浦勉
- 沖名梅太郎:下條正巳
- 武井ひで:浅利香津代
- 津川祥夫:風間杜夫
- 加山努:原康義
- 斉藤健一:辻萬長
- 生田達治:奥村公延
- 桜井ヤス:橋本晶子
- 佐藤トメ:岡本プク
- 平井スミ:井上夏葉
- 塩川ケイ:伊藤公子
- 武田シナ:松村和美
- 後藤ミキ:江川眞理子
- 増田君江:宇田川智子
- 生田チヨ:斉藤ゆかり
- ナミエ:難波香織
- 林義人:武内文平
- 高峯すぎ:木村夏江
- 生田市子:石田富子
- すず:小笠原慶子
スタッフ
編集製作 | 馬場和夫、山岸豊吉、宮古とく子 |
協力製作 | 針生宏 |
原作 | 山本茂実 |
脚本 | 山内久 |
監督補佐 | 後藤俊夫 |
音楽 | 佐藤勝 |
撮影 | 小林節雄 |
美術 | 間野重雄 |
録音 | 田中信行 |
照明 | 粟木原毅 |
編集 | 鍋島淳 |
チーフ助監督 | 西川常三郎 |
スチール | 吉崎松雄 |
監督 | 山本薩夫 |
製作会社 | 東宝映画 |
配給 | 東宝 |
製作
編集前作の予想外の大当たりで、新日本映画の持丸寛二社長も、続編もやろうではないかと乗り気で、製作を正式に決定し[1]、公表はされなかったが、内々で準備を進め、山本薩夫監督にも声をかけ、キャスティング等、ある程度進んでいた[1]。
内容は前作が明治時代末期だったのに対して、続編は大正末期から昭和初期にかけて信州岡谷で起きた「山一争議」を中心に進めようとしていた[1]。山本監督も「女工哀史」を1本の映画で描くのは難しいと話していたことから、続編の製作は当然といえた[1]。ところが製作決定から2ヵ月経ったところで持丸が急に製作をストップさせ、中止を正式に決定した[1]。その理由をはっきりとは公表されなかったが、内部情報によれば、持丸が「興味がなくなった」と言っていたといわれる[1]。曰く因縁のあった幻の企画を実現させたエネルギーはもうなく、「商売にならない」と踏んだのではと映画関係者は見ていた[1]。東宝映画としても自社向きの映画で、渡りに船とばかり、製作も担当することになり、東宝の番線映画となった[1]。
製作決定時に「前作より女優陣をガラリと変え、舞台を明治から昭和初期へ移し、"女の自立の映画"になる予定」と公表された[2]。製作会社は変ったが、前述のように当初から予定していた「山一争議」を扱う内容になった[1]。新日本映画は代わりに『南十字星』を製作している[1]。
ビデオソフト化・テレビ放送
編集脚注
編集外部リンク
編集- あゝ野麦峠 新緑篇 - 日本映画データベース
- あゝ野麦峠 新緑篇 - goo 映画 - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)
- あゝ野麦峠 新緑篇 - allcinema
- あゝ野麦峠 新緑篇 - KINENOTE
- あゝ野麦峠 新緑篇 - IMDb