あそか病院
日本の東京都江東区にある医療機関
社会福祉法人あそか会 あそか病院(しゃかいふくしほうじんあそかかい あそかびょういん)は、東京都江東区住吉にある医療機関。社会福祉法人あそか会が運営する病院である。日本の民間医療グループの伯鳳会グループに所属している。
あそか病院 | |
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情報 | |
正式名称 | 社会福祉法人あそか会 あそか病院 |
英語名称 | Asoka Hospital |
標榜診療科 | 内科、消化器内科、呼吸器内科、循環器内科、神経内科、アレルギー科、外科、脳神経外科、肛門外科、皮膚科、整形外科、泌尿器科、婦人科、耳鼻咽喉科、眼科、歯科、放射線科、リハビリテーション科 |
許可病床数 |
254床 一般病床:216床 療養病床:38床 |
開設者 | 社会福祉法人あそか会 |
管理者 | 北村唯一(病院長) |
開設年月日 | 1930年11月5日 |
所在地 |
〒135-0002 |
位置 | 北緯35度41分23.6秒 東経139度48分42.7秒 / 北緯35.689889度 東経139.811861度 |
二次医療圏 | 区東部 |
PJ 医療機関 |
由来
編集あそかとは無憂華と書き、仏教三大聖樹の一である無憂樹(サンスクリット語でアソカ)のことを指す[1]。会の名は創始者・九条武子(大谷光尊の次女)の歌集『無憂華』(1927年出版)にちなんで武子の歌の師である佐佐木信綱が命名した。
沿革
編集関東大震災において西本願寺が日比谷と上野に救護所を設置し、宗主・大谷光尊の次女・九条武子を中心として医療活動を行った。武子は詩集『無憂華』の印税を病院建設のために提供。翌年に武子は病没したが、義姉の大谷紝子が遺志を引き継ぎ、あそか会を設立した[1][2]。
1930年11月に病院が開設、翌年4月に開院式が行われた[3]。用地は同潤会から深川区猿江裏町168番地(現在地)の200坪を借り受け、建物は震災の教訓から鉄筋コンクリート3階建とした。病床数は34床、診療科は内科・外科・小児科・産婦人科・耳鼻科・眼科・歯科。診療は有料診療と無料診療の二本立てで、生活保護法の制定までは自治体発行の施療券を持参したものに無料診療を行っていた[注釈 1]。貧困層への医療提供という歴史は現在も生活保護法指定医療機関・無料低額診療事業実施医療機関として引き継がれている[4]。
2015年7月に、同病院の母体である社会福祉法人あそか会の元常務理事荻原勝による20億円にのぼる巨額の公金横領が発覚し、元理事長の近衛正子(大谷光明・紝子次女、近衛文隆未亡人)を含む理事9名が解任された[5][6]。同月に伯鳳会グループ入りし、古城資久が理事長に就任した[6]。
年表
編集診療科
編集医療機関の指定等
編集交通アクセス
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 開設当時、東京で貧困層への診療を行っていた病院としては、東京都済生会中央病院、泉橋慈善病院(現在の三井記念病院)などが挙げられる。
出典
編集- ^ a b “[建築懐古録]あそか病院南病棟 “仁術”の気配り随所に”. 読売新聞 東京朝刊. (1988年11月7日)
- ^ “歴史”. 社会福祉法人あそか会. 2022年2月17日閲覧。
- ^ “あそか病院きょう開院式/東京・深川”. 読売新聞: p. 7. (1931年4月26日)
- ^ 『あそか会六十史』社会福祉法人あそか会、1990年。
- ^ 社会福祉法人あそか会 巨額の公金横領の真相(上)(中)(下)月刊『集中』2015年9月1日、2015年9月28日、2015年10月28日
- ^ a b “社福のカネ、遅れる法整備 「あそか会」元役員の親族企業に8億円”. 朝日新聞 朝刊. (2015年11月16日)
- ^ “小児科が消えていく 患者減で採算悪化、広がる廃止・縮小 親ら存続求め署名 ”. 読売新聞 東京朝刊. (2000年3月23日)