Wikipedia:査読依頼/キャンパーダウンの海戦における戦闘序列 20210410

秀逸な一覧の選考に出したいと思うので、誤訳などありましたら指摘願います。--Kameda kakinotane会話2021年4月9日 (金) 22:25 (UTC)[返信]

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価。
参考文献のうち、Clowes, William Laird[1899]はGoogleブックでまるごと無料で読めることが分かった(ページ割りは1997年版の検索結果と一致している)ので、脚注のうち3.4.7.に付いて検証してみました。
  • 3. オランダ艦隊監視任務についての記述が始まっているのは324ページの終わり頃から(主要部分は325ページでいいんですが)で、北海艦隊では反乱が原因で監視がほぼストップし、 Towards the end of Mayにはダンカン配下の有効な戦力は事実上2隻、74門艦ヴェネラブルと50門艦アダマントだけになった、とあります。にもかかわらずダンカンはテクセル沖の監視を放棄せず、「沖合にいる船に送信しているかのように繰り返し信号を出すことで、彼が十分に支援されているという印象をオランダ人に与え、彼が援軍を切望して待っている間、オランダ人を港にとどまらせました。」とあるのはいいのですが、実際の援軍は6月第2週から単艦または小グループで加わりはじめ、ようやくダンカンは敵に対処しうる立場になった、とあります。念のためにen:Battle_of_Camperdownを読んでも、5月頭に起きた反乱をダンカンは押さえ込むことに成功しており、本当の危機はノアの反乱後の5月15日以降の話であり、援軍の到着は6月10日と6月13日の2回が具体的に記述されています。For two monthsも海峡が無防備だったという話の根拠はいずこに……?
  • 4. 10月初めに、軍需品の不足と荒天で損害を受けたことから、ダンカンは「Captain Trollope of the Russell 74 with the Adamant 50 Beaulieu 40 Circe 20 and Martin 16」をオランダ人を監視するために残して、ヤーマスに戻った、とあります。そして10月9日の早朝にen:Hired armed cutter Black Jokeがヤーマスに現れて敵の出撃を伝えた。ダンカンは昼までに戦列艦11隻を出撃させて古巣(テクセル沖)へと順風で向かい、さらにその日の後半には「Powerful 74 Agincourt 64 and Isis 50」が艦隊に加わったとあります。10日午後にTrollopeからオランダ艦隊の進路情報を得たので海岸と平行に南進した。その結果、11日朝にオランダ艦隊と遭遇。一方のオランダ艦隊の動きは327ページに記載されており、「オランダ人は10月8日の午前10時に、東から北へのそよ風でテクセルを出発しました。フランスの作家によると、デ・ウィンター提督はダンカンに遭遇し、戦うために明示的に港を離れたが、彼の当面の目的はブレストでフランス人と手を組むことであった可能性が高い。」とあります。通商破壊とは一体……?
  • 7. 捕獲艦については、Embuscadeは座礁してオランダ人に再捕獲、Monnikendamが難破、Delftが14日の嵐で沈没したが、「他の捕獲艦はすべて英国の港に到着し、ジュピターはキャンパーダウン、ヘラクレスはデルフト、残りはもともとの名前でサービスに追加され、but none of them were ever again fit for sea.」という悪文になっていました。これだとthemとは「港に到着した捕獲艦全部」なのか、「残り」なのかが分からない。調べるとヘラクレスはen:Dutch_ship_Herculesを見ると兵員輸送船に使われ、ジュピターあらためキャンパーダウンはen:HMS_Camperdownを見ると戦後の1817年に売却されたとあります。ですので、themとは「残り」と解釈すべきであり、英語版の「none of the surviving Dutch prizes was ever suitable for active service again」は誤読の産物のようです(大元のClowesさんの文章が分かりにくいのが悪いと言えばそれまでですが)。
以上から、少なくともこの部分については、英語版の文章は出典の内容を正しく反映した物とは言いがたいようです。もしかすると別のソースを参照すると、事実関係としては英語版の記述内容の方が実は正しいのかもしれませんが、現時点では、こんなんでよー秀逸選考通過したなー、というのが正直な感想です。どうしたものでしょうかね。--シダー近藤会話2021年4月10日 (土) 17:52 (UTC)[返信]
自分の翻訳..というよりは原文自体に問題があるということですか。あと個人的に気になるのが「Damaged. First captured at 14:00, subsequently rejoined the combat and was captured again. Later became HMS Wassenaer」のところは当該艦船の記事のところを見ると「降伏したら味方から砲撃されたので再度オランダ国旗を上げて戦闘に参加した」という風に書いてあるのですが、この部分は書き換えた方がいいんですかね?--Kameda kakinotane会話2021年4月11日 (日) 01:18 (UTC)[返信]
原文は問題がアリアリという気はします。さて、en:Dutch ship Wassenaarに記載されている出典のうち、戦闘そのものの経緯について触れている文献は読めなかった(Googleブックでスニペットは見えるのだが、Wassenaarと検索してもヒットしない)のですが、戦歴全体を書いた本はちょうど項目がプレビューで読めたので、その内容を見るとNotesとして「2回捕獲された:オランダのブリッグ(単数形)から砲撃された後に旗を短時間再掲揚した」とあります。ただ、戦闘に参加したと言えるかは難しいところです。最初の降伏の原因はen:HMS Triumph (1764)と戦って艦長が戦死するほどの被害を受けたからで、そんな船がそうそう戦闘に再加入できたかは疑問が残るところです。念のためにClowesさんの本を読み直しましたが、旗を再掲揚したとは書いていても、戦闘に参加したとは書かれていませんでした。要するにrejoined the combat[要出典範囲]を付けられても仕方ない記述に思えます。そして2回目の降伏の相手はen:HMS Russell (1764)と書かれており、表を見てもラッセルの損害は負傷者7人だけです。想像ですが、戦って再捕獲されたのでなく、「艦長死んだしとてもじゃないが戦える状態じゃないから旗を降ろしたら、そのままトライアンフは戦いを求めて去ったけど、そこにやってきた空気読めないオランダ艦に砲撃されたので仕方なく旗を再掲揚したけど、ラッセルが近づいてきたので(あるいはラッセルに自ら近づいていって)とても戦える状態じゃないから旗を降ろすか降伏の使者をボートで送るかした」ではないでしょうか。余談ですが、戦列艦同士が打ち合ってるときは小型の艦船はそれに介入しないのが不文律(戦列艦の32ポンド砲の片舷斉射喰らったら戦列艦以外は船体強度的に即死なので当然)と思ってたので、そんなことあるんだなとちょっと驚きでした。--シダー近藤会話2021年4月11日 (日) 07:57 (UTC)[返信]
とりあえず明らかに自分の誤訳であるものは直しました。あとは上記の問題点をどうするのか悩むところです。--Kameda kakinotane会話2021年4月12日 (月) 03:02 (UTC)[返信]


【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
【感想】 ──専門外の方による感想。
  誤訳と言うよりはおもに原文の問題点(だと思う)なのですが、文章として分かりやすくはないかなと思いました。
  1. 「最大の海戦である。」のあとでパラグラフを変えずにいきなり背景情報の説明がヌルッと始まってしまう。
  2. 「1797年の初め」に何が起きたのかわからない。字面だけ追うと、バタヴィア艦隊がブレストに集合してフランス艦隊と合同して、そのブレストでアイルランド侵攻準備を行っていたように読めてしまう。あとでテセルから出港してなかったと言われて混乱する。
  3. イギリス海軍が海の上なら逃げられないという事実と安易な体罰行使の上に安住して、強制徴募(拉致)した人員に低待遇を強要するクソ組織で潜在的にはいつ反乱が起きてもおかしくないし、それがどう飛び火するか分かった物ではない、というのを知っている人間ならば問題なく読めるが、そうでないとなぜイギリス艦隊が機能不全に陥るのか分かりにくい。
  4. 「ダンカン率いる反乱に参加しなかった少数の戦隊」は字面だけだとダンカンが率いたのは反乱なのか少数の戦隊なのかがわからない。
  5. 戦争が起きたらイギリス海軍は敵海軍根拠地沖合に常時艦隊を展開して封鎖を行い、封鎖された艦隊は洋上に出られず満足な訓練を行えないことから練度がどんどん低下する。封鎖の最前衛となるイギリス海軍の小型艦船は常時港湾の視界内に位置して、港湾で起きた動きはすべて(陸上からは水平線の下で見えない)艦隊主力に信号旗で報告している、というのを知っている人間以下同文。
  6. 「nonsensical signals」の訳語を「でたらめの信号」とするのは誤訳とは言い切れないにせよ、微妙かと。字面では暗号表も何も関係なく適当に旗を上げ下げしていたようにも読めるが、実際には作戦行動とは無関係だが有意味の文(近況雑談とか適当な詩文とか)を信号中継艦とやりとりしてたという海洋冒険小説の定番シーンじゃないかと。
  7. ダンカン麾下の戦力が「少数の戦隊」「イギリス艦隊」「イギリス北海艦隊」と複数あるので、最後の物が固有名詞のen:North_Sea_Fleet_(United_Kingdom)でなく漠然とイギリスの北海における海軍戦力みたいに誤読してしまうかもしれない。英語みたいな定冠詞のある言語だと起きない問題ですな。.
  8. 「アイルランドへの侵攻計画は中止され、イギリス北海艦隊は再び戦力を回復した」だと、侵攻計画の中止と北海艦隊の戦力回復が関連しているようにも読めてしまう。キャンパーダウンの海戦だと時系列順に書かれているので誤読余地はないのですが。
  9. 「艦隊がグレート・ヤーマスにて戦力の補充を受けていた」だと、さっき「戦力を回復した」と書いてるのに変ではと思えてしまう。原文通り、物資を再補充していた、でいいんじゃないでしょうか。
  10. 「船体を狙うように訓練されていた」は、フランス海軍は効率的に敵戦力を奪うために帆装を破壊する砲撃に熱心だったが、イギリス海軍は発砲速度を重視して狙いやすくて大きな的である船体でもガンガン打ち込んだら木造船だから木片がバンバン飛び散ってそれに当たった水兵がバタバタ死傷するというのを以下同文。
ざっと目に付いたのはこのぐらいでしょうか。--シダー近藤会話2021年4月10日 (土) 05:53 (UTC)[返信]
ご指摘ありがとうございます。翻訳に迷ったところなので助かりました。ただ、5、6の部分については艦隊が実は反乱で動けないのを隠すために信号旗を上げて水平線の奥に主力がいるかのように装った、と解釈したのですがどうなんでしょうか。--Kameda kakinotane会話2021年4月11日 (日) 00:54 (UTC)署名忘れ、補記[返信]


一通り原文と見比べてみました。歴史や軍事については素人ですので、専門的な用語や固有名詞の音写については確認しておりません。一部、上のシダー近藤さんの指摘と重複があります。
  1. フランス革命戦争における最大の海戦である
    英語版原文の表現は「an important naval action」であり、「最大」とは書かれていません。どういう点で最大なのでしょうか? たとえばナイルの海戦を読んでみると、そちらの方が死傷者数は多く、その後の影響も大きいように見えます。en:Battle of Camperdownでは「the most significant action between British and Dutch forces during the French Revolutionary Wars フランス革命戦争中にイギリス軍とオランダ軍の間で行われた戦闘のうちで最大」と、かなり限定された書き方をしています。いずれにしても何らかの出典を付けるのが望ましいでしょう。
  2. 1797年の初め、バタヴィア共和国海軍の艦隊はブレストに集結、フランス大西洋艦隊と連合した上でアイルランド侵攻の準備を進めていた。
    この一文は、ブレストで実際に艦隊が集結を果たしたかのように書かれています。しかし原文の表現は
    In early 1797, the Batavian Navy was ordered to sail to Brest and unite with the French Atlantic Fleet in preparation for an invasion of Ireland.
    ですから、1797年初頭に起きたのは「バタヴィア海軍が~するよう'指令を受けたこと」です。実際にはバタヴィア艦隊はテセルに釘付けにされ、ブレストでフランス艦隊と合流することはできなかったのですから、これは単なる言葉尻ではありません。en:Battle of Camperdownでも「The rendezvous never occurred」とか
    De Winter decided that an attempt to join the French at Brest as the first stage of an invasion of Ireland was impractical and he abandoned the plan.
    などと明言されています。
  3. ダンカン率いる反乱に参加しなかった少数の戦隊が
    反乱を率いていたのがダンカンであるかのように読めます。たとえば「反乱に参加しなかった少数の戦隊がダンカンに率いられて」の方がいいでしょう。
  4. イギリス艦隊に対してオランダ艦隊は単縦陣を組んでこれを迎撃しようとしたが、沿岸域の浅瀬のために陣形に乱れが生じていた。
    後半の「沿岸部の浅瀬のために陣形に乱れが…」の部分が原文のどこに対応するのか分かりません。位置的には「which was conducted in a confused mass」かなと思うのですが。しかし、「conduct」の意味上の主語に当たるのはオランダ艦隊の「line of battle」ではなく、直前の「Duncan’s attack」でしょう。"conduct an attack" というフレーズは普通に用例が見つかりますが、"conduct a line of battle" という言い方はほとんどされないようです。「イギリス軍は戦列を乱しながらも攻撃を開始した」というように解釈してはどうでしょうか。この記事に載っている陣形図を見ても戦列が乱れているのはイギリス軍の方です。en:Battle of Camperdown#Duncan's attackの記述でも、イギリス艦隊が二隊に分かれたのは指揮の乱れによる偶然の産物であり、「the sudden, disorganised British attack」がかえって功を奏したというように書いています。
  5. ここでイギリス艦隊はオランダ艦隊の前衛と後衛を各個撃破するために二手に分かれた後に攻撃を開始し、
    前項に書いた通り、イギリス艦隊は確固たる方針があって隊を分けたわけではないようです。原文
    the British fleet separating into two groups that struck the vanguard and rear of the Dutch fleet,
    も「~するために二手に分かれた」という書き方ではありません。「結果的に~となった」「乱戦だった」ということを明確に表した方がいいと思います。
--Deer hunter会話2021年4月10日 (土) 06:03 (UTC)[返信]
importantの部分はかなり迷った挙句に、"an" importantとあったので最も重要なという意味なのかな?と考えて「最大」としたのですが、今見てみると誤訳ですね。その他のところもご指摘の通りだと思います。ありがとうございます。--Kameda kakinotane会話2021年4月10日 (土) 07:25 (UTC)[返信]
元記事の変更を確認しましたが、一点疑問が残っています。
オランダ艦隊は単縦陣を組んでこれを迎撃しようとしたが、イギリス艦隊は沿岸域の浅瀬のために陣形に乱れが生じていた。
「陣形の乱れ」が「沿岸域の浅瀬のため」だ、というのは、修正前の訳文に引きずられた誤訳です。原文は「The Dutch formed a line of battle in shallow coastal waters」ですから、単純にオランダ艦隊の方が「沿岸域の浅瀬に」「単縦陣を組んだ」というだけです。上で言及されていたClowes 1997の該当箇所も確認してみましたが、水深の浅さが艦船の動きを制限したとは書かれていません。イギリス側は艦船間の速力差によってもともと隊列が乱れていたのですが、オランダ艦隊が海岸に退避する前に戦闘に持ち込もうとして "straggling" で "somewhat confused" な隊形のまま全速で突入したようです。さらに霧がちな天気で通信が滞ったり、土壇場で命令の変更があったり、という経緯です。--Deer hunter会話2021年4月12日 (月) 09:42 (UTC)[返信]
この後の「the Dutch ships were more weakly constructed than their British counterparts with a shallower draught, a necessity in the shallow waters of the Dutch coast」とあるので勘違いしてしまったようです。すみません。--Kameda kakinotane会話2021年4月12日 (月) 22:26 (UTC)[返信]
【その他】 ──表記・文体など
  英語は私は解らないので、現時点の記事の内容のみに言及を絞ります。誤字・脱字の類は見当たらず。ただ、参考文献の項はいずれも赤リンクとなっています。本記事の元となっている英語版では、それぞれリンク先に記事がありますので、そちらのリンクを設定しておけばいいかと。--静葉会話2021年4月9日 (金) 23:13 (UTC)[返信]
  返信 (静葉さん宛) 赤リンクは{{仮リンク}}が適切に用いられており、他言語版へのリンクは推奨されないため(Cf. H:IL)、その点に関してはとくに変更の必要はないと思います。--Jutha DDA会話2021年4月9日 (金) 23:18 (UTC)[返信]
私がお伝えしているのは、「参考文献」の項の部分です。本文中は特に問題は無いと考えています。もっとも、参考文献に記載されている人物の英語版ページをそれぞれ確認しましたが、記事が充実しているとはとても言えないため、その参考文献の著者に関するリンクを設定する必要もないのかな、という印象ではありますね。--静葉会話2021年4月9日 (金) 23:45 (UTC)[返信]
  返信 (静葉さん宛) ああすみません、読み落としていました。たしかにそうですね。{{cite}}系テンプレート内では{{仮リンク}}は非推奨なので、悩みどころですね。--Jutha DDA会話2021年4月10日 (土) 00:47 (UTC)[返信]
  返信 (静葉さん、Jutha DDAさん宛) 当該箇所のリンクは外しておきました。他に改善点がありましたら教えてください。--Kameda kakinotane会話2021年4月13日 (火) 14:30 (UTC)署名補記[返信]