Wikipedia:井戸端/subj/citationのsourceは「出典」より「論拠」と表現した方が良くないか

citationのsourceは「出典」より「論拠」と表現した方が良くないか

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「出典を示せ」といわれると、どうもどこかから何かを持ってこいというイメージが強く、転載による著作権侵害を助長しているような気がします。「論拠を示せ」といわれれば、文章は自分で書かないといけないことが語感的にわかりますから、転載も減らせるかもしれません。また、検証可能性が要求するsourceはquotationのsourceではなくcitationのsourceであることを考えると、Wikipedia:出典を明記するも「Wikipedia:論拠を明記する」の方が意義がわかりやすい気がします。もしも言い回しを変えるだけで転載を減らし、参照の後付けを促進できるのであれば、変えた方がいいかもしれないと思いますが、いかがでしょうか。--Akaniji 2009年12月12日 (土) 11:54 (UTC)[返信]

「出典」は出所である書物のことですね。「論拠」は議論の根拠のことですね。論拠の場合は、書籍に限りません。「出典」は、「私が見たから」とか「私が聞いたから」とかいうのではなく、出所となる「書物」が必要という意味です。だから、「論拠」よりも「出典」の方がその範囲が狭いのです。検証可能かどうかなどの問題もあり、「出典」が適切だと思います。--121.87.123.72 2009年12月12日 (土) 13:58 (UTC)[返信]
私も反対します。論拠としてしまうと逆に独自研究を招きそうです。johncapistrano 2009年12月12日 (土) 13:59 (UTC)[返信]
同じく、出典とすべきです。そもそも、「出典を示せ」と言われて、転載と引用の区別が出来ないような人が百科事典記事の編纂にあたること自体がおかしいのです。--ikedat76 2009年12月12日 (土) 16:07 (UTC)[返信]
出典でいいと思います。論拠が必要である、との場合はその情報が執筆者の第一次情報となり、証明を困難にさせますので、そもそも記事としては出典の必要が求められることはない、と思われます。著作権法でおかしい部分があるとの議論もあります。最終的には「無関係の第三者が見て百科事典の記事として有用である」というのを個人的には判断基準としますが……その出典先に個人情報公開に繋がる情報や、人権侵害に繋がる、犯罪に利用されるなどの不法行為に繋がる恐れのある情報が掲載されている場合、その出典のリンク先は公開情報と看做すのかの判断が難しく、二の足を踏みます。国家機関の公開情報である場合(たとえば特許情報の出典が必要な場合)などはどのように対処すべきか、難しいところではあります。ノート:ヲシテで関連する議論をしているのですが、どうも不毛です。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月13日 (日) 02:26 (UTC)[返信]
論拠[1]」や「根拠[2]」が示されても三大方針の一つであるWP:ORに抵触していたなら意味がないですよね。「出典[3]」に異議を唱え、別語を強いて挙げるなら「典拠[4]」でしょうか。とりたてて表現を変える必要もないとないと思いますが……。--Damena 2009年12月13日 (日) 07:36 (UTC)[返信]
johncapistranoさんの意見に賛同します。論拠を示せといった場合、長広舌の演説が始まってしまい、収拾がつかなくなる可能性があります。--Himetv 2009年12月13日 (日) 07:52 (UTC)[返信]
検証可能性の話題だと思いますので、示すべきは「論拠」ではなく「出典」です。極論すれば、その投稿をおこなったWikipedianがその投稿内容について全く理解していなくても、「信頼できる出典から適切に引用されていれさえすれば」Wikipediaの読者にとって調査の足がかりになります。(Wikipedia編集者間での)説得無用、(内容の正当性について)論証不要がWikipediaです。Wikipediaってのは結局緻密でおせっかい風味のリンクサイト的存在じゃないでしょうか。その情報についてはココ(出典)をみろ、概略すればこういうこと、という程度のことが書いてある風味では?--大和屋敷 2009年12月13日 (日) 16:05 (UTC)[返信]

  コメントThe wikipedianはAn editerであってA writerではないつーことですかね?--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月16日 (水) 02:43 (UTC)[返信]

自著作物の持込みをしてかつそれが信頼できる情報源でない限り、ほとんどの編集者は馬の骨ですからね。ノートとか依頼系での議論もかなり怪しいですね…。著作権的には著作者だが、方針によって外部で査読されていない独自研究は禁止されている、ぐらいですね。johncapistrano 2009年12月16日 (水) 03:02 (UTC)[返信]

たくさんのご教示をいただきありがとうございます。たしかに、出典としないと、独自研究を誘導しかねませんね。ただ、思うところはあって、検証可能性 verifiabilityという方針の目的についてです。出典、というかsourceないしreferenceを添える目的は、記述の正確性を検証できる文献を読者に提供することにあると思います。とすると、必ずしも直接的な「出典」でなくても良いのではないか、要約引用である必要はないのではないかという思いを抱いています。要約引用ですと著作権の絡みも発生してきますので(判例ありますよね)、むしろ要約引用としての「出典」というよりは、自分で書いた文章の裏づけとしての文献「参照文献」を添えるべきではないのか、とも思われます(先日のWCJ2009で長尾先生がおっしゃっていた「相互参照」ということです)。こんな話を持ち出したのも、五畿七道の「五畿八道」にreferenceをつけたことがきっかけです[5]。この際に付与した文献は出典ではありません。検証に供する文献です。そんなところから「出典を明記する」という方針文書はどうなのかな、本当にそれでいいのかな、と思って井戸端に話題を振ってみたしだいです。ここらへん、みなさんはどうお考えになりますか?--Akaniji 2009年12月26日 (土) 09:44 (UTC)[返信]

どう考えるかとお尋ねなのでお答えします。申し訳ないのですが、何を言っておられるのか全く理解できませんし、何をしたいのかも理解できませんし、何が問題なのかも理解しかねます。「引用」「出典」「文献」「参照文献」等々、キーワードは色々ありますが、文脈と文脈に応じた意味をAkanijiさんにおいて整理されることが先決ではないでしょうか。整理のつかないまま、ゴチャゴチャしたものを持ってきて整理してくれと言われてもなあ、というのが正直な感想です。--ikedat76 2009年12月26日 (土) 18:39 (UTC)[返信]
語句の典拠と文脈の典拠のお話しかと理解しました。文脈の典拠として「出典」を明示することと、あるWikipedia上の説明の語句(術語)について典拠を引っ張ってくるのは別かどうかというお話しだと思うのですが、全く根拠のない記述がなされているよりかは他の信頼できる文献や辞書などに記述されていることを明示しておくほうが親切だとは考えます。五畿八道についても、根拠のない主張などでなくちゃんと文献に記述されていることですよ、という解釈で宜しいのでは無いでしょうか。むろん厳密にはこれをもって満たされるのはその語についての検証可能性であって、文脈やWikipedia記述全体の検証可能性でないのは当然ですが。--大和屋敷 2009年12月27日 (日) 08:21 (UTC)[返信]
ちょっと語句の選び方などでAkanijiさんの書き込みの趣旨がわかりにくいところがあると思いました。
「要約引用」と「citation/情報源の明示」は違います。記述する事柄の根拠を示すためには、元となる著作物を「要約引用」する必要はなくて、その元となる情報源を示すことが望まれる。
「相互参照」というのは、百科事典の文脈では別項目への案内、ウィキペディアでは内部リンクや関連項目を指します。長尾さんの発言は、同一の事柄に書かれている複数の資料をそれぞれに参照するということになると思います。発言意図としては、ウィキペディアを書く上で、複数の資料を参照して、ひとつの情報源に依拠しないようにするということを求めたものでした。
それから、Wikipedia:出典を明記するは、出典を明記することを求める文書というよりは、「出典を明記することの必要性と参考文献の書き方について説明」する、もっと言えば、「明記する」ためにはどういうことをどう書けばいいかを説明するためのガイドラインだと認識しています。
で、Akanijiさんが書かれていることは、検証可能性周辺の話題ではなく、独自研究に関係することだと思いました。
書く内容によって、記述と情報源が直接対応するわけではないこともあると思います。そういう場合は、「検証に供する文献」から、執筆者の考え通りに「検証」できるのか、という問題がある。検証可能性の方針からは、「編集者が独自に検証できるからといって、それは(一般的な)検証可能性を満たしたことにはなりません」。邪馬台国が青森にあったことは以下の魏志倭人伝他の資料から検証可能だから書いてもいい、というわけにはいかないですよね(「邪馬台国は青森にある」と書いたものがあれば、今度は中立的な観点から適切な記述を考えることになります)。
独自研究を排除するために、「事実」だけではなく「意見、解釈、定義、論証」にも検証可能性が求められ、「発表済みの情報の新たな合成」は認められません。ただし、「現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査」は、「もちろん強く奨励されるべき」であり、アップルパイのような事例を例外としつつ、「特定の観点を推進するような」という前置きが付いている。「検証に供する文献」を示す場合は、その記述の確かさをどの程度担保できるのか、どのような視点で、どのように検証すればいいのか、というところも含めて、「脚注」として文献と共に注記を付ければ、記述されている内容と文献の記述、それらの位置づけを含めて、検証可能な情報源の提示と言えるものになるでしょう。
「五畿八道」については、「五畿七道」そのものの位置づけがいまひとつ曖昧なところがあって、ちょっと難しい。金坂2004で書かれているのは
では、地方を単位とする日本の地域区分はいつ始まったのか。明治31~32年の中学校地理教科書からである。そして、同36年の第一期国定地理教科書『小学地理』がこの立場に立ったことが決定的だった。それまでは古代以来の五畿七道の区分を踏襲し、これに北海道を加えて五畿八道とした畿道別区分が用いられ続けた。
ということでした。「五畿八道」という用例があったという点については、この記述を使うことはできるでしょう。丁寧に考えるなら、五畿八道に相当する区分が用いられているとしても、「五畿八道」という表現が用いられているかどうかは、明らかではないように思います。試しに近代デジタルライブラリー[6]で地理関係を検索すると、たとえば広教学校編『日本地理小誌』大阪:広教学校,明12.11[7]には、「畿内八道」という記述がありました。もう少し調べて実例を加えるのが好ましいと思いますが、用例があったということの二次的な情報源として金坂2004を使う分には問題なさそうに思います。
ただ、記事の本文としては「五畿七道(ごきしちどう)とは、古代日本の律令制における、広域地方行政区画である。」という文に続くことを考えると、七道と同様の地方行政区画として「北海道」が制定され、五畿八道と呼ばれるようになったとも受け取られます。金坂2004は、そういう主張をするものではなさそうです。五畿七道自体が「古代日本の」と限定されていますが、この制度が「制度として」近代まで続き、その制度として「北海道」という八番目の「道」ができたのか、それとも、この区分を「踏襲した」区分が近代まで使われていたのかということが、五畿七道#概要令制国北海道#名称を読む限りでは、はっきりしたことがよく分かりませんでした。金坂2004のみを情報源とするなら、ひとまずは脚注部分の書き方を「地域区分として用いられたことについては金坂2004」などとするか、本文を
北海道が置かれた後、明治30年代頃までは、五畿七道の区分を踏襲して五畿八道とする地域区分が用いられた。
または
北海道が置かれた後、地方を単位とする日本の地域区分が定着する明治30年代頃までは、五畿七道の区分を踏襲して五畿八道とする地域区分が用いられた。
と改めれば、項目内容の詳細に深入りせず、情報源の記述を超えない出典付与になると思います。--Ks aka 98 2009年12月28日 (月) 16:55 (UTC)[返信]

そうですね、大和屋敷さんのおっしゃるとおり、根拠のない主張などでなくちゃんと文献に記述されていることですよ、という解釈でいいのかもしれません。私もそこまで厳密に考えて文献を添えたわけでもありませんでしたし。Ks aka 98さんの細やかな配慮にはぐうの音も出ませんです、はい。そうですね、そこまで考えるとなお良いですよね…。五畿七道の五畿八道については、後日いただいたコメントを参考に書き換えようと思います。そして…要約引用についてなんですが。んー。何といいますか、出典を提示するという行為には必ず要約引用が付随するのではないかとも思うのです。ここらへんについては良さそうな本 ISBN 9784486017820を見繕ってあるので、時間ができたときにそれで勉強して、なおこの考えが払拭できない場合はまた井戸端にお邪魔すると思います。みなさん、ありがとうございました。ほかご意見ご教示いただければ、ぜひ引き続きよろしくお願いします。--Akaniji 2010年1月3日 (日) 00:19 (UTC)[返信]