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地方議会議員の特筆性について
編集以下の地方議会議員の特筆性を疑わしく感じています。量が多いので井戸端での削除の議論を提起したく思います。
- 水野文也 - 千葉県議会議員(元職)
- 木内博 - 神奈川県議会議員(元職)
- 川口三郎 - 茨城県議会議員(元職)
- 磯崎久喜雄 - 茨城県議会議員(元職)
- 青木来三郎 - 茨城県議会議員(元職)
- 黒田太郎 - 愛知県議会議員(現職、1期)
- 寺西睦 - 愛知県議会議員(現職、2期)
- 増田裕二 - 愛知県議会議員(現職、1期)
- 佐藤敦 (政治家) - 愛知県議会議員(元職、1期)、名古屋市会議員(現職、1期)
- 広沢一郎 - 愛知県議会議員(元職、1期)
- 則竹勅仁 – 名古屋市会議員(元職、3期)
その他の議員について。
- 「日本ホルスタイン登録協会会長」という肩書きがあるにはありますが、「群馬県政の大物である」という記述が無出典なので怪しく思います。
- 山口武平 - 茨城県議会議員(元職)
- 「全国都道府県議会議長会長」「14選全国タイ」「茨城県議会黒い霧事件有罪」という点で「存続」になる要素はあるかと思います。しかし私では判断できません。
なお、小川一成(茨城県議会議員)、長峰宏芳(青森県議会議員)は、削除議論を経て「存続」が決定しているようです。
議長を務めただけでほかにとくに何もなし、というのは特筆性はないかとと思います(これって同語反復ですが)。第19回統一地方選挙が近づいていますので、活発なご意見を待っています。--パームまゆみ(会話) 2019年2月5日 (火) 12:02 (UTC)
- コメント 「地域の信任を公正な手段(選挙)で受けた結果として当選した」という結果、地域施策に発言権を得て様々な政治活動に参画する『ごく普通の一般人では実現し得ない、多くの民衆に支持された限られた機会を得て実際にそのように活動した』という実績が「永久保存される公文書および新聞紙面地方版から完全に検証可能である」ため、『通常は、特筆すべき人物実績として』十分であると思います。
- その上で、列挙されておられる記事群の殆どが議員としての活動に触れておらずその来歴の列挙で終わっている記事の殆どは『人物に特筆性がないのではなく、記事を執筆する側の執筆力、資料収集力が拙い故に総じて短い記事になっている』という点で、日本の公立学校記事や路線道路の乱立と同様に「 一方的に執筆者側の問題 」だと個人的には思います。
- ──以前井戸端で学者記事を書く際に「読者向けとして」必須項目と考えられる実績加筆の指針について議論がありましたが、こちらも同様に、「政治家を書く際の最低限の指針」、つまり「特筆すべき議員の実績は個々人の学歴、出身地などではなく政治家として政治に参画した案件の中でどのような立ち位置にあり、議員の発言や行動がどのように地域施策に『政治的に』影響を及ぼしたかという政治影響力を第一とすべき(国家主席と比較し影響力が小さいことは当たり前として、それでも地域内で一般市民と比較し少なくない影響力を時に長期的に持つことを念頭に書くべき)」という点が執筆者側の観点からすっぽりと抜けていることが問題の根本であり、そういった立項最低限指針を明確にした後であれば「多くの信任を受けた議員であっても」ウィキペディアとして立項するに足りない政治家であればWP:DEL#E、という判断をコミュニティで共有しやすくなるのではないか、と思います。
- ……議員記事に関してのマクロ目線での特筆性基準に関するガイドライン作りということですから、プロジェクト:政治向けの議題ではないでしょうか。--Nami-ja [会話 履歴] 2019年2月7日 (木) 08:31 (UTC)
- コメント 存命人物であること、選挙戦の候補であることなどを考え合わせると取扱の難しい主題ですね。特定の候補者だけを記事化したり、逆に「この人物には特筆性がない」と切り捨てるのは、選挙が近いという状況下では(法に触れるかどうかはともかく)慎重であるべきとは思います。
- そこらへんを棚上げした場合には、Nami-jaさんのご指摘のように、「記事を執筆する側の執筆力、資料収集力が拙い」というところがあるでしょう。最終的には個々人の個別的な状況次第ですが、候補として推されたり当選するからには、なにかそれなりの事績があり、「地方議員」以前に既に何かしらの特筆性を獲得しているということはありえるでしょう。経済人として、とか。例示されている人物の中にも、議員以外の活動がある方もいますし。反面、大学を出て議員秘書を経て立候補、みたいな場合には「議員以前」に特筆性が成立している見込みは低いかもしれませんね。
- 「特筆性」の基礎として、特筆性は「ある/ない」の二元論ではなく、「大/小」の値を取る概念であることは確認しておく必要があるでしょう。そのうえで「どのぐらいの大きさだと単独記事として認めるか」の判断をすることになります。「市議・町議・村議」は、国や県レベルの話題の中では取るに足らない存在かもしれませんが、「大字」や「1神社」、「市道」「小学校」などの記事のなかでは重要な存在になるかもしれません。
- 私は地方の記事を書くのに、都道府県別百科事典や市町村史誌類を多用します。これらを見ると、1「町議」に過ぎない人物が単独項目として採録されているものがあります。かといって全議員が記事化されているわけでもなく、国会議員でも全員が載っているわけでもありません。要するに、選別しようとすると、特筆すべき事績があるひとと、そうでない人がいるとうことなのでしょう。
- いずれにせよ、「議員であるという事実」だけに立脚するのではなく、その人物を中心に採り上げたしっかりした情報源をきちんと示して十分に書けるならば、単に「地方議員だから一律削除」みたいな即断も避けるべきでしょう。粗雑に記事を濫造するのはたしかにイヤですが、粗雑に削除するのも同じようにイヤだなと思います。--柒月例祭(会話) 2019年2月7日 (木) 09:17 (UTC)
- たとえば例示の高島照治氏は、『群馬新百科事典』(2008年)p483に単独項目として記事になっています。--柒月例祭(会話) 2019年2月7日 (木) 09:36 (UTC)
- 『嬬恋村誌』には顔写真付きで出ていました。--柒月例祭(会話) 2019年2月7日 (木) 16:13 (UTC)
- 返信 Nami-jaさま、『日本の公立学校記事や路線道路の乱立と同様に「 一方的に執筆者側の問題 」だと個人的には思います。』というご意見には目が開かれる思いがしました。ありがとうございます。「プロジェクト:政治」というものがあることは今回初めて知りました。論点(争点)をもう少し明確にした時点で、また検討してみます。
- 㭍月例祭さま、高島照治につき、参考資料をご提示頂きありがとうございました。『群馬新百科事典』『嬬恋村誌』などを元にして記載が増えれば、おっしゃるとおり、「地方議員だから一律削除」みたいな即断は避けられるかと思います。また、「ある/ない」の二元論から離れたところで考えるべきということですね。了解しました。今回問題提起した理由の一つを書きます。それは、Wikipediaを見た第19回統一地方選挙候補者の関係者が「あいつの記事があるのに、なんでうちの先生の記事がないんだ」と思うに任せて書いて行って、ひいては新規作成合戦みたいな状況になったらどうしようと思ったからです。ただそれは「なったときに考えればいい」ということかな、と理解しました。--パームまゆみ(会話) 2019年2月8日 (金) 00:31 (UTC)
- コメント ウィキペディアの「特筆性」に関する議論はしばしば誤解されており、その理由としては、ガイドラインがいまだ不十分で中途半端な内容だということがあります。ガイドラインの冒頭文には「特筆性のあるなしは記事の出来とは関係がありません。」と書かれていますが、このことは軽視されがちです。どういうことかというと、例えばアイザック・ニュートンとか富士山、虹などでもかまわないのですが、そのような記事がもし出典なしできわめて貧弱な内容で立てられたとした場合、内容がダメだから特筆性がないかといえば、それは違いますよということです。逆に、出典や記述がそれらしくまとまって書かれていたら、だれも知らないような項目名でも特筆性があるのかというと、それも違う。出典や記述が嘘かもしれません。英語版には「特筆性は記事の内容で決定されない」という節があって説明されているのですが、英語版をたたき台に改訂すべきという私の提案は残念ながら実りませんでした。
- 話を戻しますが、記事の特筆性については、基本的には記事の主題・対象ごとに見ていくしかありません。人物記事であれば、その人物がなにを成し遂げたのか、業績が中心となるべきであり、肩書は付随的要素です。言い方を変えれば、大臣でも村会議員でも、業績や著名性はさまざまです。便宜的にある程度の横並びや一定の目安としてのラインを引くことまでは否定しませんが、機械的な判断によって重要な記事が落ちたり、見るべき業績のない人物記事が立てられたりするデメリットがあることは認識すべきでしょう。柒月例祭さんも指摘しておられますが、一律に立てるのも一律に削除するのも誤り、ということは明確にしておきたいところです。--みっち(会話) 2019年2月8日 (金) 11:31 (UTC)
- 返信 みっちさま、コメントありがとうございました。私ももちろん「一律に立てるのも一律に削除するのも誤り」という立場に立っております。皆さんお忙しい中、時間をつくって個別に記事を見ていく作業は大変とは思いますが、それが大前提ですよね。ちなみに、名古屋市会議員の「佐藤敦 (政治家)」は2月8日に理由も明かさずに辞職願を提出したようです。--パームまゆみ(会話) 2019年2月13日 (水) 15:14 (UTC)
- コメント その政治家さんも「名古屋市中区全人口8万8千余人のうち8千票余り、10%の信任票を得た」という点のみだけでそこら辺の一般人よりも遥かに知名度が高いことの端的な証明(国家公認地区人気投票と考えれば自明)と成り得ますし、「理由も明かさずに辞職願を提出した」という事実は一般的な政治家とは明確に異なる差異であり、特記解説して然るべき事柄なので、もう少し掘り下げられると思いますよ。
- 上でも少し述べましたけども、中日新聞の記事内容がとても噛み砕いて書いてあって政治素人でも分かりやすいと思いますが、河村たかし、減税日本、広報紙「市会だより」、浅井康正、坂野公寿、とかなりの解説分量を割けそうなキーワードが出ていますね。
- 政治ど素人の一般人目線だと辞職理由(ゴシップネタ)に着目しがちだけども、政治目線での記事に書くならば減税日本派閥に関する影響や市政に対する中区後継候補がいなくなった(つまり政党として次の選挙時に大きく影響を及ぼす)みたいな「政治視点から読み取り、その出典文献を多数集めて中立的に解説すべき」だと思います。なので、特筆性、ちゃんとありますよ。 / もしかしたら減税日本#名古屋市政と部分的に重複するかもですが、当該議員が政治家として一時期だけでも影響力を発揮していた『政治的な実績』があるからこそ、中日新聞その他がわざわざ取材費用をかけて取材している、とも言えますし、こういった報道の中で理由以外に着目できないのは「執筆者側の政治的な素養(影響波及範囲そのものの知識)が薄いから」だと思います(柒月例祭さんやみっちさんが仰っておられる通り、これも佐藤氏の足跡の一部分を切り取って見ているに過ぎないのですが)。--Nami-ja [会話 履歴] 2019年2月16日 (土) 17:01 (UTC)
- 基本的に、同じ地方議員でも市区町村議会議員と都道府県議会議員は扱いが違ってしかるべきではないか、と思います。例えば自民党の場合、都道府県連を実際に差配するのは都道府県議会議員であり、つまりは衆院議員の公認を左右するのも都道府県議会議員に他なりません。言ってしまえばその辺の農家のおっちゃんや会社の社長さんに毛が生えた程度でもなれる(もちろん県議だって本業を持っている方が大半ではありますが)市区町村議会議員とは政治的な立場が圧倒的に異なります。「都道府県議会議員ならばそれなりに特筆されるべき業績を当然残している(残すことが期待される)はず」であり、「都道府県議会議員なのになにも特筆すべき業績がないとしたら、それこそが特筆すべきことである」のです。まあ、言ってしまえば出演本数10本かそこらのAV女優やらろくに試合に出ていないプロ野球選手よりは、都道府県議会議員であるというだけで明らかに特筆性があります。何も前者を削除しろということではなく、後者だって前者と同じくらい情熱を注いで調査すれば立項するに足る資料は集まるでしょうということです。まして、公職である以上誠実な調査のしやすさは前者よりも圧倒的にハードルが低いはずなので。ハードルを越える情熱の問題ですね。--Rasalghul(会話) 2019年2月20日 (水) 11:48 (UTC)