Wikipedia:井戸端/subj/出典が百科事典という危うさ
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出典が百科事典という危うさ
編集中国の粉ミルク汚染のニュースからメラミンを検索、同記事経由でメラミン樹脂の記事を見たら、「==出典== * 世界百科事典、平凡社」。解説本文がJA:GFDLをクリアしているのかどうかドキッとさせるストレートな記載。「世界百科事典、平凡社」で検索したところ、同じ化学物質関係記事で塩化アセチル次亜塩素酸異性化酵素の3本が引っかかりました。化学系のエディターさん、これらの記事は大丈夫なんでしょうか?--トリビアル ブラウザー 2008年9月13日 (土) 13:44 (UTC)
- ご心配なら、具体的にどこが著作権侵害であるかを明示してノートで質問されるなり、{{Copyright}}で問題提起されれば良いと考えます。科学的真実自体は著作権の対象にはならず、その表現方法や編集権侵害があったかどうかという審査になります。--あら金 2008年9月13日 (土) 21:27 (UTC)
- たしかに、単なる科学的事実を書いた場合には、たとえたまたま似通った表現があっても創作性は認められないだろうとおもいます。
- ただ、百科事典はもともとほかの出典を要約したものなんで、それをさらに出典とするというのは、一般に記事の書き方としては感心しないものではあるとおもいます。これを見て、「孫引きでもとにかく記事を書けばいいんだな」と勘違いするひとがでるかもしれない (「やむをえずスタブを書いている」という明確な意識があればまだいいのですが)。上で質問されているかたは、このことを心配しているのだとおもいました。
- あと、出典の示しかたとして、百科事典の名前と出版社だけというのはどうかなあ。出版年、参照した (巻と) ページ、その項目を執筆した著者名くらいは、書くべきでは。また、単行本よりはるかに改訂の機会が多いので、版も書いたほうがいいかもしれません。 --Hatukanezumi 2008年9月13日 (土) 23:33 (UTC)
- 加筆する機会があれば訂正しますが、CD-ROM版なのでページ概念はないです。また百科事典は単行本と異なり十数年(平凡社の場合この四十年で初版から1998年版に改定されたきりです。なので表記は出版年ではなく版の番号です。とりあえず2版とするのではなく著作権クレジットのままで表記しています。)ここからは意見ですが、推測や憶測で執筆するよりは出典をつけて(コピペではなく)要約編集して孫引きをするというのが三大方針の趣旨と存じます。--あら金 2008年9月14日 (日) 08:19 (UTC)
- 「孫引き」の意図するところがいつの間にかずれてるみたいですね。なんだかかえって周囲に誤解を振り撒きそうな返答を惹起したようですので、わたしは黙ります。 --Hatukanezumi 2008年9月14日 (日) 09:45 (UTC)
- 加筆する機会があれば訂正しますが、CD-ROM版なのでページ概念はないです。また百科事典は単行本と異なり十数年(平凡社の場合この四十年で初版から1998年版に改定されたきりです。なので表記は出版年ではなく版の番号です。とりあえず2版とするのではなく著作権クレジットのままで表記しています。)ここからは意見ですが、推測や憶測で執筆するよりは出典をつけて(コピペではなく)要約編集して孫引きをするというのが三大方針の趣旨と存じます。--あら金 2008年9月14日 (日) 08:19 (UTC)
(コメントのまとめ)
- 何であれ、検証可能な情報源に基づいて出典付きで執筆することが期待されています。
- コピペは著作権違反なので、記事の文意に沿った形に改変し、情報源を添えて加筆することが期待されています。(可能であれば執筆前に複数の情報源を比較することが良い結果につながります)
- 情報源についての疑問(妥当性や著作権)は該当部分執筆者の利用者ぺージで聞くのが(書いた当人が一番その情報源の存在に詳しいですから)一番良い結果が出ます。テンプレートを張って放置とか、いきなり削除とか対話を欠いた手段をとると大抵もめます。
怪しいとか危ういとかは情報源を検証せずに判断することは出来ないので、(良くもないですが)「スタブ」や短い記述が悪いというのも一つのPOVにすぎないと考えます。なので検証は記事毎に個別にならざるを得ないと考えます。(一般論で総括できないのではないでしょうか)--あら金 2008年9月14日 (日) 11:06 (UTC)
ま、一般論として。
百科事典というのは、信頼できる情報源のひとつですし、われわれは百科事典を作ろうとしているのですから、書こうとしている記事で、百科事典に項目があるようなものは、一度確認しておくべきだと思います。記事の構成の仕方や、扱う範囲などについては、十分参考になるでしょう。ただし、あからさまに競合する媒体ですから、百科事典を情報源として、そのまま別の百科事典の記事を書くというのは、著作権は別にして、道義的に避けるべきものだと思います。一般的な事物、特に日常的に用いることが多いけれど、学術の対象として扱われる事があまりなかったような事物については、一般的な定義や概説の一部として、たとえば専門的な情報源ではこう説明されているが、一般的にはこう説明されている、というような場合に、既存の百科事典の記述を用いるということはありえるでしょうし、場合によっては十分信頼できる情報源が少なく、他の百科事典に頼らざるを得ない情報もあるかもしれません。そのへんは、個別に判断・対処していってください。
引用などの例外的な場合を除いて、その表現をそのまま用いていれば、著作権侵害となりますし、GFDLでリリースすることはできません。これは、百科事典か、どこかのブログか、といった情報源の性質を問うものではありません。--Ks aka 98 2008年9月15日 (月) 07:10 (UTC)
- 他のメディアの表現ではなく、それがしめす科学的真実(概念)を説明する際に先行して出版された情報源を示すこと(検証可能性を明示するということ)を学術的は「引用」という用語をもちいます。そしてそれは「著作権法が定義するとこの引用」とは漢字は同一ですが意味するところはまったく異なります。前者は科学的真実の根拠を示すという意味ですが、後者は著作権を担保した内包手続きです。科学的真実自体はどこに書いてあろうとも著作権は設定されることはないので翻案には該当しないと考えます。一方、文学や芸術においてはプロット・シナリオや構図・意匠は著作権が設定されるのでそれを見ていじると(つまり「パクる」と)翻案になり著作権法による制限を受けます。なので科学的真実を引用する(前者の意味)のと実際の文章・体裁を引用する(後者の意味)のでは行為の意味が違いますし、(文章・体裁を継承しない以上)編集結果が異なってきます。--あら金 2008年9月15日 (月) 09:11 (UTC)
- さうですね。諸外国の外字事典を訳せゴマで訳して上手な日本語に改革すればいい記事になると思います。ここの海外版から訳すときは出典書くことが推奨されるようですが、紙事典の訳なら出典書く必要もありませんから。聴かれたら答えればいいだけですよね?--218.45.107.171 2008年9月23日 (火) 17:53 (UTC)
- 「引用」か、(説明・感想を含まない)事実そのものまたは科学的概念を文章から抽出する以外の訳は権利の消失か著作者の同意が確認できなければ「翻訳」または「翻案」として著作同一性に関する著作権違反のクレームを指摘する人が現れると存じます。--あら金 2008年9月23日 (火) 20:54 (UTC)
「科学的真実自体はどこに書いてあろうとも著作権は設定されることはない」の根拠はなんでしょうか?科学的真実自体やアイディア自体には著作権や特許権は発生しないでしょうが、それを文章にした段階では、著作権は発生するはずです。ほかの理由で著作権が消失していたとしても二次的に著作権が発生することがあります。たとえば、死後50年たった作曲家の作品の楽譜を私が書いたとしても私に著作権は発生するはずです。でないと、科学的真実を伝えようとしているネイチャーの科学論文やヤマハの販売するクラシック音楽の楽譜はコピーし放題になっています。わが国の法律では
- 著作権法32条の1. 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
とあります。Wikipediaの編集の目的上正当な範囲というのは判断しにくいですが、科学論文に対しては科学論文を引用するときの態度でよいと思います。それは、科学論文の中で他の科学論文の文章を抜きだしてくること(出典を明示して)が慣行として行われているし目的上必要であること、Wikipediaの、人類の知識を集めるという目的は科学研究と一致しているからです。でも、それ以外の著作(たとえば販売する目的で編纂された百科辞典)に対してはそれなりの態度で臨まないといけない、百科辞典を編纂するときに百科辞典をコピーするようなことは慣行とは認められないでしょう。それは新聞が新聞をコピーするのに類似しています。○○新聞の記事として△△新聞の記事として掲載して、出典○○新聞×日朝刊と掲載すれば許されるか?それに近い行為を行っているblogとかは確かにありますが、それは新聞じゃないから訴訟されにくいというだけのことだと思います。 --H335 2008年9月23日 (火) 23:37 (UTC)
- これにあるように科学的真実自体には著作権が設定できないが、表現方法に創作性がある場合は表現方法に対して著作権が設定されうるということです。「食塩は水に溶ける。溶解度は水温が高いほど大である。」には創作性がない科学的真実の表現方法ですが、「飽和食塩水を作成する為に、45分以上太陽光線を照射する」と書かれていれば太陽光線の照射が水温を上げるための科学的原理の一つであっても他の著作物では見られない固有な表現方法をとっていれば固有であるという点で創作性が発生します(そういう著作権が設定される文書表現は著作権の引用の要件を満たしているかどうかが問われます)。そういうものです。だから一般論がどうこうではなく、二つの著作物を相互に比較して表現方法を検証しなければ結論は出ません。--あら金 2008年9月24日 (水) 02:27 (UTC)
- H335 さんご例示の例ですが、著作権法による保護期間(日本では50年など)が過ぎているのであれば、ネイチャーも楽譜も「コピーし放題」という認識で間違いないのではないでしょうか。例えば Image:Nature cover, November 4, 1869.jpg がコピーされてコモンズにあります。プロジェクト・グーテンベルクというものもあります。ただし単純な写しではなく、なんらかの創作性を持つ変化が加えられれば、話は別になると思います。
- なお、科学の分野では、他の論文の記述をそのまま持ってきて「引用」とすることは普通ありません。単純な記述であれば似たようなものになることもありますが、普通は、対象となる事実を自分の言葉で書き表します。「これこれという説・現象が誰々によって報告されている」「AはBである(うしろに参考文献の番号を入れる)」のように書いてあります。
- --Calvero 2008年9月24日 (水) 15:55 (UTC)
- 二次的に著作権が発生する例のつもりでした。まず、50年たっていないネイチャーの記事はコピーし放題ではありません。故にネイチャーは商売ができます。次に、死後50年以上たったショパンの楽曲の楽譜を新規に起こした場合、その楽譜もコピーし放題ではありません。ショパンの直筆の楽譜はすでにコピーし放題でしょう。故にヤマハは楽譜を売っています。
- あと科学論文でも1文ないし2文程度ならまるごと一緒の文章になることがあると思います。ちなみに今回の件は「AはBである(うしろに参考文献の番号を入れる)」のように書いてあります。とくに辞典の見出しのような重要な部分で参考文献と書けば許されるのか、あるいは許されないのかという問題です--H335 2008年9月26日 (金) 01:51 (UTC)
- 平成15年(ワ)第6252号 損害賠償等請求事件(大阪地裁)を引用すると「同一の自然科学上の知見が記載されているとしても、自然科学上の知見それ自体は表現ではないから、同じ知見が記載されていることをもって著作権の侵害とすることはできない。また、同じ自然科学上の知見を説明しようとすれば、普通は、説明しようとする内容が同じである以上、その表現も同一であるか、又は似通ったものとなってしまうのであって、内容が同じであるが故に表現が決まってしまうものは、創作性があるということはできない。もっとも、自然科学上の知見を記載した論文に一切創作性がないというものではなく、例えば、論文全体として、あるいは論文中のある程度まとまった文章で構成される段落について、論文全体として、あるいは論文中のある程度まとまった文章として捉えた上で、個々の文における表現に加え、論述の構成や文章の配列をも合わせて見たときに作成者の個性が現れている場合には、その単位全体の表現として創作的なものということができるから、その限りで著作物性を認めることはあり得るところである。」(p.4)です。
- 平成17年(ネ)第10102号(知財高裁)を引用すると「もともと編集著作物において保護の対象となる「素材の選択又は配列の創作性」は,「具体的な素材についての具体的な編集者の特定の思想・目的に基づく選択・配列の独自性」である。すなわち,具体的な編集物における具体的な選択・配列等に,当該編集者の特定の思想・目的に基づく創作活動が表れているからこそ保護されるのであり,保護の対象はその「当該編集者の独特の思想・目的」にこそある。そして,当該編集物につき保護されるべき著作者人格権もまた,当該編集者の独特の思想・目的に起因するものである」(p.2)
- なので表なり段落なりのまとまった単位で、他では見られないような独特の思想・目的をもって自然科学上の知見が選択・配列されていれば編集著作物の保護の対象になるということだと考えます。なのでAとB(…とZ)との関連や論旨が(誰が見てもその様に)容易類推されるような基準での選択又は配列されている場合は独創的な編集であるとは言い難いと考えます。--あら金 2008年9月26日 (金) 03:13 (UTC)
- 次の部分ですが、
「 次に、死後50年以上たったショパンの楽曲の楽譜を新規に起こした場合、その楽譜もコピーし放題ではありません。」 - 編曲したり、何か特殊な記法を使っていたりしない限り、日本著作権法上は、個々の曲に限ればコピーし放題でしょう。二次的著作物となる可能性がまったくないとは言えませんが、そこには二次的著作物を作る人の何かしらの創作性がなくてはなりません。
- なお、ヤマハの楽譜から複製してよい、と言ってるわけではありません。もちろん、編曲してあり、創作性が認められれば、二次的著作物にあたります。ヤマハのビジネスのメカニズムは良く分かりませんが、ああいう販売されている楽譜は、編曲者の名前が書いてありませんでしたっけ? そうすると、編曲による著作権を侵害するおそれがでてきます。--mizusumashi(みずすまし) 2008年9月28日 (日) 07:25 (UTC)
- 私の誤りの可能性が高そうです。ただなんらかの方法で権利主張されていたと記憶しています時間のある時に追って調べてみます。--H335 2008年9月28日 (日) 22:22 (UTC)