Wikipedia‐ノート:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625
英語版へのリンクの形式
編集英語版へのリンクの形式を以下のように統一しました。これに伴い「(英語)」表記は削除しました。
- 文章中の単語・フレーズから日本語版にはない英語版プロジェクト文書・記事へのリンク → 訳して名前付きリンクとする
- (例)他者間の論争を調停し、仲裁しても…
- (例)スタートレックの兵器は百科事典の記事として…
- 日本語版にないプロジェクト文書名 → 訳さず英語名のまま(en:なし、カッコ書きで日本語を示す)
- (例)Wikipedia:Conflict of interest(利害の衝突)をご覧ください。
- 日本語版にない英語版の記事名 → 訳さず英語名のまま(en:なし、カッコ書きで日本語を示す)
- (例)ただしMacedonia (terminology)(マケドニア (用語))のように…
- 日本語版のない外部サイト → 訳さずそのまま
- (例)Wikinfoでは…
crystal ball
編集節題をいきなり変更するのもアレなので…。「占い」と訳されている crystal ball ですが、どうしたものでしょう。日本語での「占い」というよりは、vision が見えたりするわけですから、「予言の書」あたりかという気もしますが、それはそれで違う意味もありますし、かといって「水晶玉」では日本語としてわからんでしょうし…。--Jms 2009年7月20日 (月) 22:48 (UTC)
- 確かに「占い」だと吉凶に焦点が当たってしまうため、ニュアンスが違ってくる気がします。まだ「水晶玉」の方が分かりやすいかと。「予言の書」は押し出しが若干強過ぎる印象です。「ウィキペディアは未来を予測する場ではありません」くらいでいかがでしょうか。--Penn Station 2009年7月21日 (火) 03:16 (UTC)
- 個人的には「水晶玉ではありません」が好きですが適切でないというのも理解します。「新宿の母」とかもまずいですよね。うまくユーモラスに訳せないのであれば、 Penn Station さんの「未来を予測する場」くらいがいいと思います。--Aotake 2009年7月21日 (火) 14:46 (UTC)
- Jmsさんから反応がありませんでしたが、Aotakeさんからは賛同いただきましたので、とりあえず「未来を予測する場」に変更させていただきました。決してこの節名に固執しているという訳ではありませんので、もし不都合があれば再度議論いたしましょう。--Penn Station 2009年7月25日 (土) 08:18 (UTC)
「ニュースレポート」節について
編集■IP 114.51.151.94で翻訳に手をいれたものです。ニュースリポートについて再度翻訳しました。
まず、最初にお願いしたいんですが、ニュースレポートについては、あくまで特筆性についてですので、このルールを十分理解して、意味の表現、単語の選び方に留意しながら翻訳していただくよう強くお願いしておきます。
- historicalを歴史的と訳するのは間違いです。これはわかりにくいですが、時系列的と翻訳するしかないだろうと思います。Wikipedia:特筆性#特筆性は一時的なものではないについての言及なんですが、これはむしろ未来の状況の変化についての言及であり「歴史」と過去を示唆する表現は真逆の意味となります。
- 特筆性を考慮/重視の部分ですが、considerというのをどっちに倒すか、という問題があります。特筆性の問題についてはWikipedia:削除依頼/ショーン・オチンコで、毎回論争になるように、これは現在草案にすぎないものに、各自勝手な基準で「重視しすぎ」削除依頼が出されるために無用な混乱があるという現情があります。削除基準と同等に参照される、排除ルールの代表である本件については慎重に抑制的に記述されるべきであると考えます。「重視」すると書いてしまえば、特筆性にルールで想定している以上の意味を拡大解釈により、もたせかねないこと、事実、論争があり混乱をまねく箇所であるので、「重視」でなく「考慮」とよりニュートラルにしておくこと、を理由に「考慮」としています。
- an articeそれに関連する箇所を日本語に訳するときに注意してください。再度修正しました。これは「独立した単一の項目」という意味であり、「記事」とだけ訳すと、それは記事の一部分であるかのような誤解が生じます。特筆性とは「独立した単一の項目」として成立してもよいかどうか、という基準であり、ある記事のなかに加筆してもよいか、という基準ではありません。記事執筆/加筆の「材料」であるか単独記事の概念的な「基盤/土台」であるかにも大きな違いがあります。
これに限らず排他的根拠にされる代表格のような文書であるので、日本語としてのスムーズさにばかり目がいくあまり、重要な単語の意味を落としてしまい、その結果、拡大解釈された上で引用され、今後長期にわたり無用な議論をおこしてしまう利用者を育てかねないので、十分抑制的に、本来のルールの制限を超えないような表現に留意されることを再度お願いいたします。--114.51.9.175 2009年7月21日 (火) 06:13 (UTC)
■IP 114.51.151.94で翻訳に手をいれたものです。この特筆性の例示条項には、「速報性」の概念が若干入っています。事実、この改訂前の翻訳では、特筆性でなく速報性の禁止が過度にクローズアップされて、この条文をテコとして論争になりました。現在、Wikipedia:性急な編集をしないでは、議論の末に、ご覧のような、注意タグがあり「時事問題や製品情報などの最新情報について、いわゆる「速報的な」加筆をしても問題になりません」と記述されるに至りました。今回対象とする原文箇所において、WHILEーの意味は、ーButと違い、前段を「確かに〜なんだけれども」とまず肯定するニュアンスがしっかりあります。以上を踏まえ、速報性については、一旦しっかり肯定しておき、その条件化で制約がある、という意味的な構造を明確にしています。--114.51.9.175 2009年7月21日 (火) 06:52 (UTC)
- historical の訳は戻しました。「時系列的な特筆性」では(少なくとも私の日本語の知識では)何をいいたいのかさっぱりわかりません。historical を歴史的とするのは定訳だと思いますし、一般的な国語辞書(広辞苑や大辞林)でも「歴史に記録されるべきさま」(『広辞苑』第五版)のような定義がされており、まったく問題がないと考えます。新聞などでも「歴史的第一歩」や「歴史的大敗」のような表現は使われますし、それが別に過去のことを示唆するわけじゃないでしょう。--Aotake 2009年7月21日 (火) 14:46 (UTC)
- コメント historicalの訳ですが、私も「時系列的な特筆性」では多くの人が「?」となるだろうと思いますし、「歴史的」が必ずしも過去のことを示唆する訳ではないと思います。「歴史的特筆性」で意図するところは十分に伝わると考えます。--Penn Station 2009年7月21日 (火) 15:43 (UTC)
democracy
編集not democracy の見出しですが、「民主制」と変えたのを Penn Station さんが「民主主義の場」に戻されましたが、よろしければその意図をお聞かせいただけませんでしょうか。私としては「の場」の部分の意味がよくわからず、「民主制」または「民主主義」で充分だと考えたのですが、おかしいでしょうか。--Aotake 2009年7月21日 (火) 14:46 (UTC)
- 当初は「民主主義の場」だったのですね。最初から「民主制」となっていたかと思っていました…。変更した理由ですが、「ウィキペディアは民主制ではありません」が何かしっくりこなかったのです。原題は "Wikipedia is not a democracy" ですが、不定冠詞があることから、民主主義や民主制やといった概念ではなく、「民主主義国家」のような具体的なものであると考えました。とはいえ適当な訳語が見当たらなかったため、「民主主義の場」とした次第です(より正確には、「民主主義の(実践の)場」を意図しています)。--Penn Station 2009年7月21日 (火) 15:59 (UTC)
- 民主制というのは概念ではなく、政治形態や体制を指す語だと考えますが(『大辞林』『大辞泉』)、『広辞苑』第五版などは掲載していないようなので、それほど確立していない語法かもしれません。ですが、「実践の場」というのは、以前の、あるいは本文中に残る「実験の場」に引きずられすぎた解釈ではないでしょうか。英語版の見出しを素直に読むなら「ウィキペディアは民主主義ではない」あるいは「ウィキペディアは民主主義社会ではない」となると思います。またPenn Station さんの論理ですと、その次の not a bureaucracy は「官僚主義の場」と、 not an anarchy は「無政府主義の場」は訳すのが適当となるように思われますが、その点はいかがでしょうか。そんなにこだわる点ではないんですが…… --Aotake 2009年7月21日 (火) 17:22 (UTC)
- 他の節名については、単にまだそこまで見ていないだけなのですが、「ウィキペディアは官僚制ではありません」はやはり同様の印象を受けます(anarchyの方は「ウィキペディアは無法地帯ではありません」となっていますね)。いずれにしても間違いという訳ではないので、どれがベターかの判断になると思います。私の感覚ではやはり「…民主制ではありません」「…官僚制ではありません」には若干の違和感を感じてしまいます(私だけかな?)。ではシンプルに「…民主主義ではありません」「…官僚主義ではありません」でいかがでしょうか。--Penn Station 2009年7月22日 (水) 11:02 (UTC)
- そうですね。「〜制」への違和感もまったく理解できないものではありません。「〜主義ではありません」が簡潔でいいと思います。「無法地帯」も最初の「無秩序」から私が変更したんですが、ちょっと強すぎると思いますし、あまり納得がいっているわけではありません。anarchy は両義的なので訳すのが本当に難しいです。少しさぼりすぎかなとも思いますが、「アナーキーではありません」がいいのかもしれません。--Aotake 2009年7月22日 (水) 11:26 (UTC)
- ではdemocracyとbureaucracyの節名は「〜主義ではありません」に変更します。他の方から異論があった場合はまた別途、ということで。「無法地帯ではありません」の訳は、なるほどと思いました。確かに若干強い気もしますが、「アナーキーではありません」よりは分かりやすくて良いと思います。--Penn Station 2009年7月22日 (水) 11:59 (UTC)
英語版リンクについて
編集翻訳は数名の利用者さんにより、ブラッシュアップが順調に軌道に乗っているように思えますが、現在、かなりの部分が、英語版のリンクへ依存しています。とりあえず、目についたところとして、Wikipedia:執拗で嫌らしい指摘はしないをWikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625#ウィキペディアは官僚制ではありませんのサブセットとしてざっと翻訳はじめました。ちなみに、Aotakeさんが、「注意をしすぎない」とWPNOT内では穏当な表現に変更されましたが、これは、creepという、語感と文書概念の忌諱をそのまま継承するとすれば穏当すぎると感じますが、この改定案の表現としては意義を出さないこととします。しかし、文書タイトルはそのまま原文を継承しました。
他にもこれらの英語版でもWPNOTの補足文書として扱われている部分は、あくまでWPNOTの延長のエッセイ、草案という文書なので、今後この改定案と同時進行で目についた部分は、「英語版へ逃がさずに」どんどん翻訳していくべきであると考えます。模擬裁判にしろ、英語版に逃がしたままであると、そもそも日本語版にこういうあって当たり前の記事がないことすら気づけないし、違和感のある人は執筆する動機となるでょう。なるだけ本文のこまごましたところをブラッシュアップする何割かの労力で、英語版に逃げているリンク文書に着手していくべきであると考えます。--114.51.149.14 2009年7月22日 (水) 01:50 (UTC)
- 基本的な方向性としては賛成しますが、参加のスタンスやスタイルは人それぞれで、私的には一度に手を広げ過ぎない方がよいと考えています。ですが有志の方が作業されることは結構なことだと思います。--Penn Station 2009年7月22日 (水) 11:38 (UTC)
「官僚主義ではありません」節
編集「ウィキペディアは官僚主義ではありません」節を査読・修正しました。大きな修正は入れてませんが、冒頭の「Wikipedia is not governed by statute」を「ウィキペディアは規則によって運営されていません」から「ウィキペディアは規則第一主義ではありません」に変更しました。誤解を招く恐れもあると判断したためですが、問題がありましたら、あるいはより良い表現がありましたら、ご指摘願います。--Penn Station 2009年7月25日 (土) 08:33 (UTC)
- 官僚主義という節の文脈において、「法令で支配されている場所ではない」あるいは「法令で統治される場所ではない」という方向で再翻訳しました。要するに、「法治主義ではない」ということで、「Wikipediaのルール」とは、過去の議論の結晶(経緯の記述的)にすぎず、(規範的)法的意味合いは薄いということで、規則によって運営されていない、というのは誤解ではなく実際この文書の意味するところです。個人的にはコミュニティはもう少しこの辺は認識しておくべきであろうと思います。--114.51.37.170 2009年7月25日 (土) 10:10 (UTC)
- 多少直訳調に感じますが、元の表現よりはよいのではないかと思います。さらに「法治主義ではありません」としてもよいかもしれません。なお「誤解を招く恐れもあると」と言ったのは、「規則によって運営されていません」自体が誤解だと言っている訳ではなく、その文面から「Wikipediaのルール」(方針・ガイドライン)は無視・軽視してもよいと早合点する利用者が出てくる恐れがある、ということです。現在の文面であれば問題ないと思います。--Penn Station 2009年7月25日 (土) 10:46 (UTC)
- 「法令」ではなく「成文法」と訳すべきでしょう。この手の文書で「法治主義でない」とするのは誤解を招き兼ねないと思います、法治主義と法の支配の区別をこの手の文書の読者に求めるのはちょっと酷かと。--Jms 2009年7月25日 (土) 17:23 (UTC)
- 「成文法で支配されている場所ではありません」ということでしょうか。私は上記誤解のおそれがなければ特に異存ありません。--Penn Station 2009年7月25日 (土) 23:59 (UTC)
- 節題は「ウィキペディアは官僚主義ではありません」で良い (「が」良い、という意味ではなし) と思います。説明文では「成文法」とすべきだと思います。「官僚主義」というのは「形式的法治主義」の意味だと思いますが、一般的な理解としては「官僚主義」は「規則がんじがらめ」という意味で理解されるでしょう。--Jms 2009年7月26日 (日) 00:38 (UTC)
- ああ、紛らわしくてすみません。直前の発言は当該節の第一センテンスに関するもので、節名は現状でよいと思います。--Penn Station 2009年7月26日 (日) 00:57 (UTC)
- 「成文法」と訳すべきである、という見解に同意できません。理由はかんたんで「わかりにくいから」です。
- まず大前提として、この文書こそ、法令ではなくて、WP基本方針の理念をよりわかりやすい例示という形で文章を開いた例示集であるということをしっかり念頭におくべきです。この箇所に限りません。そして、節名「官僚主義ではない」というのも、ひとつの例示であり説明です。「官僚主義でありません」を解説するとき、身近な現実社会の「法令に統治されているわけではない」というのは、理解しやすいでしょうが、「成文法」などと急に言われても、なぜそれは法律や法令でなく「成文法」という法律用語が使われてるのか?とかそもそも説明の意図が伝わらないと考えます。そういう馴染みの薄い難解な用語を概念解説文書で乱用するのはよろしくない。「法治主義」にしても同様です。
- そもそも論として、Wikipedia is not governed by statuteのsatatuteというのは単なるNOT例示のひとつとしてピックアップされた単語であり、こういうものではない、という程度でありstatuteが一意で動かしがたい意味をもつ重要概念ではないことに留意すべきで、この概念説明の文脈では、せいぜい法令や法律で十分。正確さをとことん追求するにせよ、続くセンテンスで、WPのルールは規範的でなく法典でもない、と自己矛盾の危険を犯してまでもルールの束縛性を否定し、利用者間の議論、合意を優先することを宣言している文書であるのだから、どっちにしろ「法治主義」でも「成文法支配」でもそのいずれでもありません。--114.51.156.255 2009年7月26日 (日) 11:13 (UTC)
- 成文法という語は、日本の教育では中学校で習うものであって、わかりにくいということはないと思います。「規則によって運営されていない、というのは誤解ではなく実際この文書の意味するところです」「ルールの束縛性を否定し、利用者間の議論、合意を優先することを宣言している文書である」というのは、まさしく成文法によらないという意味だと思います。成文法でないと述べることで、慣習によるのだ、ということが同時に言えるのであり、それを単に「法令」としたのでは、この連想が働きません。--Jms 2009年7月26日 (日) 11:34 (UTC)
- 義務教育で習う、ということは、その言葉が概念解説に適した馴染みのある言葉である、という事と等価ではないでしょう。根本的な理念の理解において勘違いがおあるになるのではないか、と思いますが、WPの方針ガイドラインは、「過去、そして現在進行形で変化しうる、合意形成を記述的にまとめたもの」であって、成文法でもなければ、同時に「不文律/不文法あるいは慣習でもありません。「成文法じゃないです」と言われれば、「じゃあ不文律なんですか?書いていないことでも暗黙の了解で従わなければならない慣習はいっぱいあるのかな?」と普通思いますね。そうではないです。単にこの条項は「成文法」なる狭い概念ではなく、法典でない、それを軸にした官僚的システム運営ではない、フラットで合意形成を最優先とするという例示です。--114.51.27.96 2009年7月26日 (日) 12:06 (UTC)
- 成文法という語は、日本の教育では中学校で習うものであって、わかりにくいということはないと思います。「規則によって運営されていない、というのは誤解ではなく実際この文書の意味するところです」「ルールの束縛性を否定し、利用者間の議論、合意を優先することを宣言している文書である」というのは、まさしく成文法によらないという意味だと思います。成文法でないと述べることで、慣習によるのだ、ということが同時に言えるのであり、それを単に「法令」としたのでは、この連想が働きません。--Jms 2009年7月26日 (日) 11:34 (UTC)
(インデント戻し) かなり根本的なところ、おそらく法とはなにか、どうやって法として成立するのか、というあたりに認識の違いがある様ですね。で、statuate を「法令」と訳す、その「令」はどこから出てくるのでしょう。成文法と訳さないなら、「法律」ないし「規則」で良いのでは。「法典」というのは結局は成文法の体系なので、それも他の言葉に置き換えた方が良いですね、statutue を成文法と訳さないなら。--Jms 2009年7月26日 (日) 14:13 (UTC)
- 結局のところ、合意形成の記述的なまとめであっても「すでに書かれているルール」についての扱い、言及であるので、それが「成文法」あるいは「法令」あるいは「法典」ではない、と規範的ルールとしての側面を否定するのは自然だと思っています。しかしながら、すでに書いた通り、「成文法でない」と書いてしまうと、1.解説用語としてわかりにくい。2.対義語として「不文律である、慣習がある」という間違った連想がでてくる。という弊害があります。Jmsさんは、むしろコメントによると、成文法ではないが、不文律=慣習のしばりがある、という束縛のニュアンスを残そうとした考えが見受けられますが、成文法でも不文法でもなく、とにかく法律でない、オンタイムの合意が最優先されるという文書においていずれにせよ不適切である、ということですね。意味的には、法律、規則でも不文律を含有しやすい言葉でもかまわないですが、節のタイトルが、「官僚主義ではない」ということで、そのメタファーとしては、「法令」がもっとも相応しいだろうと考えた事によります。
- 官僚主義的ではない、というのは、だいたいどういうことについて話されているのか連想しやすい例示であって、実際のところ、官僚的に「成文」でも不文律でも慣例でも前例によってシステムを動かすものではない、ということから、この後者の前例主義、慣例主義ではないの概念も明示的に追加することにより例示の正確さが補足されると思います。前例、慣例主義の弊害(きちんとした議論にもとづく合意もないのに、一部の利用者の勝手な拡大解釈による官僚的締め付けがはびこった例はたくさんある)は官僚主義でないの一部として明示しておくべきである、と考えますが、今は翻訳フェイズであるので、微妙ですね。--114.51.8.173 2009年7月26日 (日) 21:01 (UTC)
- うーん。わたくの認識としては、現在のウィキペディアは法ができあがってゆく過程に相当しており、では何もかもいちいち合議しなければ始まらないかというと、ある程度の経験は方針文書やガイドラインとして蓄積しているわけで、成文法まではもちろんゆかないしそれほどの拘束力もないけれども、まったくの無法地帯ではない、いうなれば慣習が不断の再評価を受けつつ積み重なっている段階にあるととらえています。これは、ウィキペディアもいずれは成文法に支配された場になる、という意味ではなくて、実際の社会との対比において、成文法と無法地帯の中間だ、という意味です。さて、用語の話。「きまり」「規則」「法律」に対して、「法令」というのは、かなりの専門用語だと思うのです。成文法、慣習法といった語句とおおよその違いは知っていても、「法律」と「法令」の区別がない人はしばしば見かけます。官僚制度からの連想で「令」というのはわかりましたが、それは bureaucracy ではなく官僚制度という言葉に引っ張られているのではないかと思います。規則の細部にとらわれるな、四角四面にやるな、柔軟にゆけ、という意味での not a bureaucracy であり、それを官僚主義と訳してしまうのがいけないのかもしれません。「官僚」という言葉自体が官僚的なのかも。bureau の本義に戻って「事務的」とか「手続き的」とか、そういった訳にするのが良いかもしれません。--Jms 2009年7月26日 (日) 21:37 (UTC)
- とりあえず「ウィキペディアはきまりで縛られているわけではありません。」ともっとも広義に抽象的にばらしました。きまり、ならば、成文法、慣習法ともに包括するし「わかりやすい」し「官僚主義ではない」とも親和性があると思うので。たしかに、すべてオンタイム合意形成に依存するわけではないですが、見解の不一致がおこったときに、過去の合意形成のまとめを参照するのは、成文法、慣習法のいずれでもないわけで、同時に無法地帯でもありません。
- この文書の根本的性格というのは、むしろ憲法の精神のようなものであって、制約を課す対象は、一般利用者(国民)でなく、むしろ特に運営に携わる利用者(国家、行政、立法)への牽制ですね。つまり、無法地帯ではない、と当たり前のことを文中で示するよりも、本義はきっちりぶれないように示す必要があると思います。ちなみに、法ができあがってゆく過程、という捉え方自体にわたしは同意できません。それは例えば、成文にせよ、慣習にせよ、それを法律、ルールであるから従えと、意義のある新参者でもなんでも相手に否応なしに強弁する常連利用者の官僚的態度などを牽制するものであり、中間とかそういう論点では本質的にないと考えるからです。--114.51.8.173 2009年7月26日 (日) 21:58 (UTC)
- うーん、それは法とは何か、なぜ法は法たりえるのか、という前提の違いだという気がしますねぇ。大陸法的か、英米法も含んでいるかという観点の違いという気もします。「見解の不一致がおこったときに、過去の合意形成のまとめを参照するのは、成文法、慣習法のいずれでもない」って、それこそ慣例法、判例法の運用ではないかと。「憲法の精神のようなもの」というのもまさしくコモン・ローの背景にあるものでしょう。まぁそういう点はさておき、たとえば、「いわゆる半角片仮名は使わない」などというのもあるので、「ルールであるから従え」な部分もあるわけです。--Jms 2009年7月28日 (火) 19:45 (UTC)
- まあ、別にこういうコミュニティの意思決定、運用が法体系的にはどういう分類になるのか、というのはどこかに分類可能なのでしょうが、私が言っているのは、いずれにせよ、そういう「法」である、と強調すること、あるいは慣例法にしろ法の束縛のニュアンスを強調する文書ではない、ということです。憲法の精神のような者、と書いたのは、文脈から理解不能なわけはないと思いますが、文書が束縛しようとしている対象が「そういうルールに従うとみなされる一般利用者」相手ではなくて、「ルールを作ったり、運用する管理的性格をもつ利用者」に書かれているということです。「不文律がある」「慣例法によって運用されている」と示唆することはこの文書の目的ではありません。慣習によって運用されている、とこういう頻繁に参照されるページで安易に認めて「お墨付き」を与えてしまう弊害としては、たとえば、よくブロック依頼などでみかける、「ブロック被依頼者がその依頼ページで反論すれば審議妨害としてブロックされても文句は言えない」[1]というような、ごく一部のこういう依頼常駐している利用者間のあいだで「盛り上がった風潮」を慣例であるから従えと恫喝するような行為については、まさにこの文書の官僚主義ではない、という牽制の対象です。この場合、そういう風潮を慣例つまり従うべき不文律としてコミュニティが是としている証拠などないこと、きっちり「では過去にそういう明示的合意はあったのですか?」と安易に慣例を振り回す利用者にたいして、ちゃんと意義が出せるような環境は担保しておくべきであるという側面もあります。つまり、過去に合意形成があったことは尊重はするが、その字面は聖書や法典のように解釈論争してまで堅持するような性格のものでもないし、同時に、だからといって慣例だの不文律だの振り回してよいわけでもない、とそういう利用者の「管理的態度」「官僚主義」を牽制するものであり、運営手法がどういう法的分類になるか、とかそういう議論はどうでもよいです。--114.51.136.33 2009年7月29日 (水) 01:59 (UTC)
- うーん、それは法とは何か、なぜ法は法たりえるのか、という前提の違いだという気がしますねぇ。大陸法的か、英米法も含んでいるかという観点の違いという気もします。「見解の不一致がおこったときに、過去の合意形成のまとめを参照するのは、成文法、慣習法のいずれでもない」って、それこそ慣例法、判例法の運用ではないかと。「憲法の精神のようなもの」というのもまさしくコモン・ローの背景にあるものでしょう。まぁそういう点はさておき、たとえば、「いわゆる半角片仮名は使わない」などというのもあるので、「ルールであるから従え」な部分もあるわけです。--Jms 2009年7月28日 (火) 19:45 (UTC)
- うーん。わたくの認識としては、現在のウィキペディアは法ができあがってゆく過程に相当しており、では何もかもいちいち合議しなければ始まらないかというと、ある程度の経験は方針文書やガイドラインとして蓄積しているわけで、成文法まではもちろんゆかないしそれほどの拘束力もないけれども、まったくの無法地帯ではない、いうなれば慣習が不断の再評価を受けつつ積み重なっている段階にあるととらえています。これは、ウィキペディアもいずれは成文法に支配された場になる、という意味ではなくて、実際の社会との対比において、成文法と無法地帯の中間だ、という意味です。さて、用語の話。「きまり」「規則」「法律」に対して、「法令」というのは、かなりの専門用語だと思うのです。成文法、慣習法といった語句とおおよその違いは知っていても、「法律」と「法令」の区別がない人はしばしば見かけます。官僚制度からの連想で「令」というのはわかりましたが、それは bureaucracy ではなく官僚制度という言葉に引っ張られているのではないかと思います。規則の細部にとらわれるな、四角四面にやるな、柔軟にゆけ、という意味での not a bureaucracy であり、それを官僚主義と訳してしまうのがいけないのかもしれません。「官僚」という言葉自体が官僚的なのかも。bureau の本義に戻って「事務的」とか「手続き的」とか、そういった訳にするのが良いかもしれません。--Jms 2009年7月26日 (日) 21:37 (UTC)
evolve
編集Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか/改定案090625#ウィキペディアは未来を予測する場ではありませんの、推論、憶測、「将来の歴史」項の evolve の訳はどうしましょう。本義的には evolve は involve の反対、つまり内側にあるなにものかが表に出てくる様子、たとえばセミが羽化する際に羽が伸びるような様子を指すので、発展とか展開という意味なのですが、進化と訳してしまうと確かに価値判断を連想することはあるでしょう。発展というのにも価値判断が伴うと言われれば伴う気がしますが、かといって「変化」というのはちょっと違う気がします。--Jms 2009年7月26日 (日) 15:39 (UTC)
- 'While scientific and cultural norms continually evolve, we must wait for this evolution to happen, ...'と、evolutionと書かれておりそれは「進化」ですね。進化の項目をみればわかりますが、「さらには文化的伝達による累積的変化を進化に含める場合もある[5]という。」とあり、また「進化に関する誤った理解」節には、「進化は進歩ではない」と注意もあり、これは英語から和訳する言葉のチョイスの問題ではなくて、「evolution(進化)」原語自体が内包する問題のようです。ですから、わざわざ原語自体に価値判断、解釈論争のような誤解をはらむ言葉をそのままひきずって直訳するよりも、せいぜい、合理的な理由がある連鎖反応による変化、つまり価値判断としてはニュートラルな「展開」がよいと思います。--114.51.8.173 2009年7月26日 (日) 21:35 (UTC)
- いいえ、evolution を「進化」と訳してしまう、訳語選択の問題です。あるいは「進化」という言葉が特定の意味でのみ使われ、そのことによって、evolve の意味とは日本語においてかけ離れてしまったというか。辞書には evolution の訳として「展開」もあります (リーダーズではそちらの方が進化より優先です) し、「展開」でよいでしょう。おそらく、「進」という字がいけないのでしょうね。--Jms 2009年7月26日 (日) 21:44 (UTC)
- 訳語ではなくevolution原語自体に誤解をはらむ要素があるのは進化の進化に関する誤った理解/進化は進歩ではない、にある通りです。>エラズマス・ダーウィンはこの前成説のプロセスを指す"evolution"を系統発生のプロセスを指す語に援用したが、「進歩」も「前成説」も「進化」とは相容れないものであったので、チャールズ・ダーウィンは「種の起源」(初版)の中では"evolution"という語を使うことを避け、"descent with modification"(変化を伴う由来)という語を使っていた。その後、ハーバート・スペンサーらの宣伝によって、「進化」を意味する語として"evolution"が定着したが、この語が「進化=進歩」という誤解を産むタネになってしまった[35]。(進化)--114.51.8.173 2009年7月26日 (日) 22:09 (UTC)
- 議論しても仕方ない気がしますが、「evolution原語自体に誤解をはらむ要素がある」というのは、和訳する言葉のチョイスの問題であることを排除しません。原語自体の問題ならば、 evolution の可能な訳語のどれをとっても誤解されるでしょうが (そしてそれは誤解ではなく、不適切な原語の選択なわけですが)、「誤解をはらむ要素がある」ならば、和訳の選択によっては誤解を避けられるのであり、そうならば和訳する言葉のチョイスの問題でしょう。evolution という語を「進化」とのみ訳すことが問題なのです。--Jms 2009年7月26日 (日) 22:36 (UTC)
- Jmsさんの説明にある「内側にあるなにものかが表に出てくる様子」ということから「萌芽」に近い言葉があれば利用できるのではないかと考えましたが、実際にevolveが使われている箇所では何らかの「変化」を説明する言葉として使用しています。「推移」や「変遷」「変貌」ではどうでしょうか?--Sweeper tamonten 2009年7月27日 (月) 00:54 (UTC)
- 議論しても仕方ない気がしますが、「evolution原語自体に誤解をはらむ要素がある」というのは、和訳する言葉のチョイスの問題であることを排除しません。原語自体の問題ならば、 evolution の可能な訳語のどれをとっても誤解されるでしょうが (そしてそれは誤解ではなく、不適切な原語の選択なわけですが)、「誤解をはらむ要素がある」ならば、和訳の選択によっては誤解を避けられるのであり、そうならば和訳する言葉のチョイスの問題でしょう。evolution という語を「進化」とのみ訳すことが問題なのです。--Jms 2009年7月26日 (日) 22:36 (UTC)
- 訳語ではなくevolution原語自体に誤解をはらむ要素があるのは進化の進化に関する誤った理解/進化は進歩ではない、にある通りです。>エラズマス・ダーウィンはこの前成説のプロセスを指す"evolution"を系統発生のプロセスを指す語に援用したが、「進歩」も「前成説」も「進化」とは相容れないものであったので、チャールズ・ダーウィンは「種の起源」(初版)の中では"evolution"という語を使うことを避け、"descent with modification"(変化を伴う由来)という語を使っていた。その後、ハーバート・スペンサーらの宣伝によって、「進化」を意味する語として"evolution"が定着したが、この語が「進化=進歩」という誤解を産むタネになってしまった[35]。(進化)--114.51.8.173 2009年7月26日 (日) 22:09 (UTC)
- いいえ、evolution を「進化」と訳してしまう、訳語選択の問題です。あるいは「進化」という言葉が特定の意味でのみ使われ、そのことによって、evolve の意味とは日本語においてかけ離れてしまったというか。辞書には evolution の訳として「展開」もあります (リーダーズではそちらの方が進化より優先です) し、「展開」でよいでしょう。おそらく、「進」という字がいけないのでしょうね。--Jms 2009年7月26日 (日) 21:44 (UTC)
- 議論ありがとうございます。「変化」を選択した時には、基本的には、日本語の一般的な中辞典の語義を確認しながら、進化や展開は避けたいと判断しました。動詞のところだけを見れば「展開」はいい選択だと思うのですが、「基準が展開する」という言い方には、私は違和感があります。その点では、Sweeper tamontenさんのご提案くださっている、推移や変遷のほうがしっくりきませんか。--Aotake 2009年7月27日 (月) 08:28 (UTC)
- norm は「基準」でよいのかしらん、駄洒落を言うつもりはないけれど、「科学や文化の深化」といった手もあるかと。--Jms 2009年7月27日 (月) 09:55 (UTC)
- まあ、"While scientific and cultural norms continually evolve" は「科学や文化の水準は発展していく」といった意味にとるのが一番素直だとは思いますが、できればこういう文にはしたくないです。規範という訳語もあるし、ここでは paradigm に近い意味と考えて「考え方」「あり方」のように訳してもいいかもしれないし、そうとなれば、Jmsさんご提案のように norm の訳を避けるのも手かもしれません。--Aotake 2009年7月27日 (月) 22:32 (UTC)
- 「科学や文化のあり方は絶えず推移していくものですが」と変えてみました。normという社会学用語とevolveをひっつけて考えてみてせいぜいそういう意味であろうし、日本語表現として自然だろうと思います。--114.51.143.182 2009年7月28日 (火) 05:34 (UTC)
- まあ、"While scientific and cultural norms continually evolve" は「科学や文化の水準は発展していく」といった意味にとるのが一番素直だとは思いますが、できればこういう文にはしたくないです。規範という訳語もあるし、ここでは paradigm に近い意味と考えて「考え方」「あり方」のように訳してもいいかもしれないし、そうとなれば、Jmsさんご提案のように norm の訳を避けるのも手かもしれません。--Aotake 2009年7月27日 (月) 22:32 (UTC)
- norm は「基準」でよいのかしらん、駄洒落を言うつもりはないけれど、「科学や文化の深化」といった手もあるかと。--Jms 2009年7月27日 (月) 09:55 (UTC)
walk-through
編集walk-through についてなんですが、たしかにリハーサルという意味もありますが、「立ち稽古」や「予行演習」というのはしっくりこないように思います。ウィキペディアの記事が「立ち稽古」や「予行演習」のように書かれていてはいけない、と言われても、どんなものを指しているかはっきりしないと思うのですが、いかがでしょうか。New Oxford American Dictionary に第一義として "a careful demonstration or explanation of the details of a process or procedure" とあるように、原文の walk-through はもう少し広く、手順を一歩一歩解説するようなものを指していると思います。個人的にわりとよく見かける walk-through はゲームの攻略ネタバレですし、enwp の en:Walkthrough と言語間リンクしている「攻略」や「攻略法」はわりといいと思うんですが、game guide の訳に「ゲーム攻略法」をあてたいし……--Aotake 2009年7月27日 (月) 22:32 (UTC)
- 「予行演習」が良いと思っているわけではありません、あくまでとりあえず訳。エクレアの定義が新解さんな Chambers ISBN 9780550101853 だと第一義は a tentative practice で、リハーサルの類は esp. 扱いです。tentative というのと details というのがいまひとつ整合しませんね。一通りざっと、なのか、一つ一つ確実に、なのか、あるいはどちらでも良いのか。チュートリアルや操作説明書とどう対比させているのか。このあたりがピンと来ません。「walk-through はゲームの攻略ネタバレ」というのは、自分で調べないでお手軽にという意味で「一通りざっと」なセンスという気がしないでもありませんが、どうでしょう。The Three-Minute Classroom Walk-Through: Changing School Supervisory Practice One Teacher at a Timeなどというのもどちらかというと「お手軽に」な感じ…いやこれこそリハーサルやら予行演習の意味かしらん。訳しにくければ省略という荒技もありますが、どうしたものでしょうね。え、「虎の巻」? ソレだ。--Jms 2009年7月28日 (火) 00:04 (UTC)
- シンプルに「手順書」としてはいかがでしょうか。ここでのwalk-throughですが、tutorials, walk-throughs, instruction manuals, game guides and recipesという並びからしても、Aotakeさんのおっしゃるように手順をひとつひとつ(1から10まで)事細かに解説したもの、という意図だと思います。「攻略」だと目的に焦点が当たり過ぎ、「虎の巻」だと秘伝やあんちょこといったように少しニュアンスが違ってくる気がします。--Penn Station 2009年7月28日 (火) 03:40 (UTC)
- en:Walkthroughの概要にも書いてありますが、この場合の用法は、初学者、初見者が対象で、彼らにとって新しい事柄を、著者、解説者が初学者と一緒に、初学者目線で、全体像を一気にざっと通して案内してみせるという概念、ことばです。日本語でより馴染みの深い言い方でいうと「オリエンテーション」ですね。これをテキストベースでやりますよ、ということです。「オーバービュー」と言い換えてもいいでしょう。広義には、「京都への旅行案内の概略」など、次の条項の旅行ガイドもwalkthroughであるといえるし、HOWTO本の特に最初のまとめはwalkthroughです。すでにこの言葉がなくても、十分網羅されており概念欠損はないし、特に重要ではないですが、あえていうと「初めての○○」くらいの訳がいちばん気がきいてると思いますが。--114.51.143.182 2009年7月28日 (火) 05:07 (UTC)
- 「便覧」には全体的な意味があるようなので使えるのではないかと考えています。--Sweeper tamonten 2009年7月28日 (火) 07:34 (UTC)
- そう、「初めての○○」とか「できる××」というイカニモなものにしたかったのですが、さすがにアレだなぁ、というところで教科書ガイドからの連想で虎の巻と思ったのです。walk-thorough と「オリエンテーション」は別でしょう、新入社員オリエンテーションで退職手続きを教えるわけではありませんから。walk-through をオーバービューと言うと言い過ぎでしょう、オーバービュー的だというのは walk-through の一側面ではありますが、practical という意味をオーバービューから読み取るのは難しいかと。旅行案内はここでの意味での walk-thorought ではないでしょう、旅行にきまった方法論があるわけではないのですから。基本的に並列例示されているものは (排他的かどうかは別として) 区別してとらえる様に訳出すべきですが、要は、英語で意図されている例示に対応する日本語があるかどうか、ということかと。--Jms 2009年7月28日 (火) 19:45 (UTC)
- いったい何をそんなに違う違うと否定されているのか理由がさっぱりわかりかねますが、しっかり概念の要旨と用法を示した上で、感覚的に理解の補助になりうる類義語の候補を挙げただけにすぎません。すべてのことばは100%ぶれなく意味が一致するなんてことはありえないわけで、参入者学習者にとっての新規事象の全体像を解説者の鳥瞰的視点でなく、参入者目線で全体を通し案内する、という要点において、オリエンテーションというのはもっとも近い類義語であると考えます。オーバービューとは文字通り、鳥瞰概念ですが、新規参入者へ全体像を示す手法で使われることばです。旅行についても「はじめての京都」Walkthrough Kyotoというガイドブックがあってもなんら違和感はないことでしょう。とりあえず、もとの「手取り足取りの解説」は、特に初心者対象の解説と暗喩していることから概念的に正しく「予行演習」と置き換えたことはまったくの誤りです。「虎の巻」にしても同様で「初心者相手」に「全体像」をざっと一気にみせて案内するという概念とまったく一致しないので正しくありません。--114.51.168.161 2009年7月29日 (水) 01:00 (UTC)
- そう、「初めての○○」とか「できる××」というイカニモなものにしたかったのですが、さすがにアレだなぁ、というところで教科書ガイドからの連想で虎の巻と思ったのです。walk-thorough と「オリエンテーション」は別でしょう、新入社員オリエンテーションで退職手続きを教えるわけではありませんから。walk-through をオーバービューと言うと言い過ぎでしょう、オーバービュー的だというのは walk-through の一側面ではありますが、practical という意味をオーバービューから読み取るのは難しいかと。旅行案内はここでの意味での walk-thorought ではないでしょう、旅行にきまった方法論があるわけではないのですから。基本的に並列例示されているものは (排他的かどうかは別として) 区別してとらえる様に訳出すべきですが、要は、英語で意図されている例示に対応する日本語があるかどうか、ということかと。--Jms 2009年7月28日 (火) 19:45 (UTC)
- 「便覧」には全体的な意味があるようなので使えるのではないかと考えています。--Sweeper tamonten 2009年7月28日 (火) 07:34 (UTC)
manual
編集「マニュアル」が「取扱説明書」に変更されましたが(「ウィキペディアはマニュアル、ガイドブック、教科書、学術雑誌ではありません」節の箇条書きの見出し)、もしそうなら節名もいっしょに変更すべきかと思います。ただ節内のinstruction manualsの訳語と重複していますし、「取扱説明書」(家電等の製品に付属するものを想像する)にゲーム攻略法やレシピや上記手順書等も含むのは少し違和感を感じます。「マニュアル」という言葉は十分市民権を得ているし分かりやすいと思いますが、いかがでしょうか。
また、もし「マニュアル」に漢字をあてるなら、「チュートリアル」はどうなのだろう?とも思います。「マニュアル」同様私はカタカナでよいと思いますが、訳すとすれば「手引書」や「指南書」あたりでしょうか。--Penn Station 2009年7月28日 (火) 03:12 (UTC)
- 同じ考えです。「マニュアル」は、チュートリアルにせよ、ウォークスルーにせよ、取扱説明書にせよレシピにせよ、包括的に表現している言葉で、おっしゃるとおり、取扱説明書と狭義に和訳してしまうことで、解説要素と重複ループするので、「マニュアル」へ戻しました。--114.51.143.182 2009年7月28日 (火) 06:06 (UTC)
- 「取扱説明書」としたのは instruction どうするのよ、というのと、Wikipedia:表記ガイドが方向性としては片仮名語抑制傾向であることによります。標準名前空間ではないので表記ガイドの対象外ではありますが、公式な方針や考慮すべきガイドラインは標準名前空間に準じて扱う位でもよかろうと考えています。片仮名抑制にはこだわるわけではありませんし、「チュートリアル」はそもそも定着した訳語はないと思いますが、その一方で、ちょっとばかり片仮名語が多すぎるという印象も否めません。--Jms 2009年7月28日 (火) 19:45 (UTC)
straw poll
編集straw poll の訳はどうしましょう。リーダーズ英和辞典は straw vote [poll] に「(投票前にする) 非公式世論調査」という訳をあてています。本文は vote と poll を意図的に使い分けている様に「も」読めます。poll の語源は人頭の意味の polle、vote の語源は wish を意味する votum だそうです。Chambers では poll の第一義は a regeister, esp. of voters であり、vote の第一義は an expression of a wish or opinion in an authorized formal way となっています。ウィキペディア的には、アンケートでしかない調査を「投票」と呼んでいるのは誤解を招き兼ねず問題だと思っています。それもあって、本文の趣旨からすれば、vote に投票、polle にそれ以外の語をあてて区別する方が適切ではないかと思います。--Jms 2009年7月31日 (金) 23:05 (UTC)
- Wikipedia:投票の指針に調査投票について明示されています。この条項が投票についての記述文書であり、リンク先が、その投票の指針である以上、わずわざ投票という言葉をはずすというのは不自然すぎます。趣旨からしてもvoteもpollも投票の別の表現にすぎないでしょう。投票行為に拘束力をもたせて少数派意見を交える合意形成を軽視し票数で押し切ることを牽制している「民主主義、多数決でない」文書であって、意向調査に弊害があるのではなく、あくまで投票の濫用に弊害があるということです。だから、そのまま普通に調査投票(原理的にWPの投票はすべて調査投票)明示の方向で。--114.51.24.14 2009年7月31日 (金) 23:22 (UTC)
- リンク先連動了解。en:Wikipedia:Straw_pollsを見ると vote と poll を定義しているので、むしろWikipedia:投票の指針に手を入れるべきかもしれません。いずれにせよ表現連動でゆきましょう。--Jms 2009年7月31日 (金) 23:25 (UTC)
- っと、Wikipedia:投票の指針のリンク先en:Wikipedia:Straw_pollsは合意不成立で、en:Wikipedia:Polling is not a substitute for discussionを参照すべきなのか…。まあいずれにせよリンク先連動で。--Jms 2009年7月31日 (金) 23:28 (UTC)
offensive
編集offensive に不快にさせるという訳をあてることは確かにありますが、不快というのは語感として微妙に違う気がします。たとえば「気に入らない」というのは不快の一つだと思いますが、「気に入らない」原因となるというのは offensive というのとは微妙に違う気がします。まあ、displease ではあるので、不快で間違いというわけではないのですが…。--Jms 2009年7月31日 (金) 23:18 (UTC)
- ショックサイトの画像、動画なんかは、offensiveだと普通に表現されますね。不快で必要十分であろうと思います。このoffence(攻撃)とは心身穏やかな状態を攻撃的に乱す=不快、気に入らない、であって、個人を攻撃的に表現する=侮蔑、ということではないです。またここを侮蔑と狭義に訳すと文書全体のバランスが損なわれます。Reporting Offensive or Illegal Internet Contentつまり、不快、違法なインターネットコンテンツ、というようにoffensiveとは侮辱という限定された表現でなく不快という広義の用法が一般的です。--114.51.24.14 2009年7月31日 (金) 23:31 (UTC)
- 「offensive なもの」というのは「不快感を与えるもの」の部分集合とわたくしは考えているのですが、その点はいかがでしょう。--Jms 2009年8月1日 (土) 09:23 (UTC)
場と場所
編集細かい話です。現在「場」または「場所」を含む節には以下があります。
- 2.2 ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません
- 2.4 ウィキペディアはリンク、画像、メディアファイルのミラーサイトや保管場所ではありません
- 2.8 ウィキペディアは未来を予測する場ではありません
- 2.9 ウィキペディアは情報を無差別に収集する場所ではありません
このうち「保管場所」はいいとして、「情報を無差別に収集する場所」は他に合わせて「情報を無差別に収集する場」とした方が良いかもしれません。--Penn Station 2009年8月2日 (日) 07:54 (UTC)
- どちらでもよいです。むしろ、どちらでも良いというスタンスが担保されるならば、適当に置き換えていただいて良いと考えます。逆に、この種の細かい用語表現はそろえたほうがよい、という前例にならうべきというように後々連鎖的に議論が巻き起こるのであれば、あえて現状維持で。--114.51.143.113 2009年8月2日 (日) 12:44 (UTC)
- どちらでもよいということで、2.9節を「場」に変更しました。細かい点ですが節名なので念のため確認させていただきました。本文中の細かいところは随時修正ということで。--Penn Station 2009年8月3日 (月) 10:59 (UTC)
what technically can be done
編集「ウィキペディアは紙製の百科事典ではありません」節の what technically can be done が「技術的に可能なこと」とされましたが、thechnically を特に規則などに従うという文脈で「厳密には」という意味で使うことがよくあります (英和辞書にも記載あり)。この場合は「技術的に可能なこと」ではなく「禁じられていないこと」と解釈すべきだと思いますが如何がでしょう。--Jms 2009年8月2日 (日) 20:48 (UTC)
- これは、紙製でなくネット上の電子メディアである、という条項なので、電子メディアは紙メディアの制約がないため、容量、柔軟性その他技術的な可用性が拡大された、しかしそういう技術的可用性の拡大=掲載してもいいコンテンツの範囲の無制限な拡大ではない、という文脈で明らかに現状維持ですね。technicallyっていうのはむしろこっちが源泉の意味であり、厳密には、とかいうのはその派生用法で、それは今回のケースにはあてはまりません。--114.51.15.159 2009年8月2日 (日) 22:01 (UTC)
- (競合しましたがそのまま) 文章の流れを考えますと、まず、ウィキペディアは紙でできていないので、practical limit はない、と述べた後に、 "However, there is an important distinction between what technically can be done, and what reasonably should be done, which is covered in the Content section below." と書かれています。したがって、技術的にはいろいろできる、が技術的にできることと、常識的に、分別をわきまえてすべきことには important distinction がある、と言おうとしていると思います。確かに technical には「ルールや規則を厳密に解釈すると」という語義がありますし、そこから technically にも「厳密に言えば」という語義がありますが、まず、これは一般的には文修飾の用法です。また、辞書的な用法からはみでていると仮定しても、これからルールの話をしようというのに、「厳密に解釈すればできること」あるいは「建て前上できること」と常識的にやっていいことは違う、と言い出すのは話のつながりが悪いと思います。わざわざそのように解釈する必然性はないのではないでしょうか。まあ、改定案を英語版の訳のままにとどめておく必要はないので、強くこだわるわけではありませんが。--Aotake 2009年8月2日 (日) 22:13 (UTC)
- なるほど。ついでに。後続する reasonably の訳ですが、理性的というよりは合理的あたりかと思いますが如何でしょう。字義通り reason-able という意味だと思いますが、理性的というのは語感としてちょっと違う気がします。理性的というのがより行為者ないしその心理過程に近いのに対し、合理的というのがより行為そのものないしその結果に近いと考えています。--Jms 2009年8月2日 (日) 22:44 (UTC)
- まず最初に思い浮かんだのが合理的でしたが、合理的というのはある条件下で行動が論理的に一意に決定されるという意味が強いと思い、むしろ以下に指し示すWPNOTの規範の範疇で理性的に行動してください、という意味なので、理性的と訳しました。--114.51.15.159 2009年8月2日 (日) 22:55 (UTC)
- technically can と reasonably should の対比という意味では、結局は行動に関する規程なので理性的でも可という気はしますが、reason-able という字義からは違和感が残ります。穏当な、妥当な、道理にあった、筋の通った、無理のない、もっともな、といった訳もありますが、どれも一長一短ですね。広辞苑だと合理的を「もっともらしく理由づけること」とも説明しているので、「(百科事典として) 説明がつく」あたりでも良いかもしれません。--Jms 2009年8月2日 (日) 23:30 (UTC)
- 私は「分別をわきまえた上で行うべきこと」あたりがよいと思いますが、挙げられたいずれでも特に問題はないと思います。--Penn Station 2009年8月3日 (月) 11:31 (UTC)
- technically can と reasonably should の対比という意味では、結局は行動に関する規程なので理性的でも可という気はしますが、reason-able という字義からは違和感が残ります。穏当な、妥当な、道理にあった、筋の通った、無理のない、もっともな、といった訳もありますが、どれも一長一短ですね。広辞苑だと合理的を「もっともらしく理由づけること」とも説明しているので、「(百科事典として) 説明がつく」あたりでも良いかもしれません。--Jms 2009年8月2日 (日) 23:30 (UTC)
- まず最初に思い浮かんだのが合理的でしたが、合理的というのはある条件下で行動が論理的に一意に決定されるという意味が強いと思い、むしろ以下に指し示すWPNOTの規範の範疇で理性的に行動してください、という意味なので、理性的と訳しました。--114.51.15.159 2009年8月2日 (日) 22:55 (UTC)
- なるほど。ついでに。後続する reasonably の訳ですが、理性的というよりは合理的あたりかと思いますが如何でしょう。字義通り reason-able という意味だと思いますが、理性的というのは語感としてちょっと違う気がします。理性的というのがより行為者ないしその心理過程に近いのに対し、合理的というのがより行為そのものないしその結果に近いと考えています。--Jms 2009年8月2日 (日) 22:44 (UTC)
- うまく説明しきれないかもしれませんが、訳を変えた意図を説明します。reasonably should be done というのは、各人が行動する上での心構えのことを言っているのではなく、「なされるべきこと」の妥当な、常識的な、許容できる範囲のことを示していると思います。「分別」ということば自体に反対はないのですが、「分別をわきまえて行う」というと、各人の心構えをいっているような気がしませんか。--Aotake 2009年8月3日 (月) 13:57 (UTC)
- なかなか微妙なところですね…。Jmsさんも触れられていますが、結局当該文の意図は、利用者のあるべき(期待される)心構えを説いているのだと思うので、それが伝わるならどのような表現でもよいと思っています(「理性的」には若干ひっかかっりを覚えますが…)。--Penn Station 2009年8月4日 (火) 03:55 (UTC)
- 私なら『しかしながら、技術的に可能とされていることと論理的に求められていることの間には重要な違いがあり、それは以下の「内容」節で説明しています。』とします。英文は与えられた力をちゃんと利用してもらいたいという意味だと思います。reasonablyは自分なりに論理を組み上げて作業してもらいたいということでしょう。ともかく中学生にも分かる程度のやさしい表現にしたいとは思うのですが・・・。--Sweeper tamonten 2009年8月4日 (火) 14:15 (UTC)
- なかなか微妙なところですね…。Jmsさんも触れられていますが、結局当該文の意図は、利用者のあるべき(期待される)心構えを説いているのだと思うので、それが伝わるならどのような表現でもよいと思っています(「理性的」には若干ひっかかっりを覚えますが…)。--Penn Station 2009年8月4日 (火) 03:55 (UTC)