V9990(E-VDP-III)は、アスキーヤマハが共同開発したVDPである。1991年に発表された[1]

V9990外観

もともとはMSX2+に採用されたV9958の後継チップとしてMSX向けのVDPとしてV9978の名称で開発が始まったが、開発に失敗して再設計の上、MSXとは関係のないVDPとして、名称を新たにV9990としてリリースされた[2]西和彦は、全く新しいVDPであり、テレビの中にコンピューターを入れる設計思想だと説明した[3]。パッケージは128ピンQFP

グラフィック画面は640×480ドット(いわゆるVGA)に対応した。これが家庭用TVで表示できる。さらに2画面重ね合わせができ、かつ独立全方向スクロール可能。16ドット四方のスプライトは125個同時表示可能となった。最大32,768色表示可能。また32,768色中16色表示のパレットモードも搭載。 漢字専用のPCG機能を備え、CPUを経由せずに漢字ROMから直接キャラクターパターンを読み出し、VRAMに展開することもできた。

動作速度はCOPYコマンドでV9958の23倍。またバスも高速化された。

1994年、オランダのサンライズ[4]がV9990チップを搭載したMSX用画像カートリッジGFX9000(グラフィックス9000)[5][6]を開発した。

開発経緯

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もともとは「V9978」というナンバリングで、1990年発表のMSXturboRないしはその後継で採用される予定でV9958との後方互換性を持ったVDPとして開発されていた[2][7][8]。MSX側でもV9978を制御するためのBIOSが試作されていたものの、当時導入された高密度のプロセスルールではV9958の機能を完全に再現することが困難であったため、後方互換性の維持とMSXへの採用は諦められた[2]。MSXに採用されなかった理由は、チップ自体がコストが高かったこと、V9958との互換性がないことからMSXに採用するにはV9990に加えてV9958の2つのVDPを搭載する必要が生じたため、MSX本体自体も高価格になることが見込まれたからである[2]

MSXへの採用が流れた時点で名称もMSXとの関連を連想されるV9978ではなくV9990と変更された[2]。前述の西和彦のインタビューを掲載した『MSXマガジン』では「このV9990がMSXに搭載される可能性は薄いようだ」としているが、その根拠として西の発言とともにVDPの番号が連続していないことを挙げた[1]

V9958と互換があるVDPとしての開発が間に合っていればMSXに採用されて、CPUのみが刷新されたMSXturboRでなくMSX3となっていただろうとされている[9][10]。アスキーに在籍した鈴木仁志もコードネームがTryXとされたMSXのプロジェクトでV9978かV9998とされたVDPの開発が間に合わず、MSX3に採用される予定だった超高速CPUのR800だけが活かされる形となったとしている[8]

出典

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  1. ^ a b 「V9990って、なに?」『MSXマガジン』1992年夏号、p.7
  2. ^ a b c d e 「V9978のひみつ 1チップMSXが完成した、その次にあるのは… MSX3のVDPを追え!!」『MSX MAGAZINE 永久保存版 3』アスキー書籍編集部編著、アスキー、2005年、pp.120-123
  3. ^ 「MSXの提唱者、西和彦が語る 未来のコンピューターはこうなる!?」『MSXマガジン』1992年夏号、p.7
  4. ^ [1]
  5. ^ The Ultimate MSX FAQ - GFX9000/Video9000 section”. 2013年5月7日閲覧。
  6. ^ MSX computer & club magazine(独) 71(Nov. 1994) p.36(レビュー)
  7. ^ MSXアソシエーション (2014年6月19日). “MSXを作れ!! ジェットヘリで来て発注するスゴい男たち:MSX31周年”. 週刊アスキー. https://weekly.ascii.jp/elem/000/002/623/2623813/ 
  8. ^ a b アスキー書籍編集部編著「MSX Magazine Technology Talk 超速コンパイラMSXべーしっ君たーぼとR800の秘密! 岸岡和也×鈴木仁志」『MSX MAGAZINE 永久保存版 2』アスキー、2003年、68頁。 
  9. ^ [2]
  10. ^ 「MSX・FAN読者の皆様へl」『MSX・FAN』1995年2月、90頁。 

参考資料

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