TA32 (水雷艇)
艦歴
編集イタリアの降伏により、1943年9月9日(8日[1])にジェノバでドイツが捕獲[2]。「TA32」となった[3]。
当初はドイツは「TA32」を夜間戦闘機指揮艦としようとし[4]、フライヤとウルツブルグレーダーに105㎜単装砲3基搭載とされることとなった[2]。しかし、艦艇不足からこの計画は取りやめとなって両レーダーの搭載はなくなり、105㎜砲4門、魚雷発射管3門などの兵装で1944年8月18日(または7月21日[5])に就役した[2]。「TA32」は第10水雷群 (10. Torpedobootsflottille[2]) に所属した[4]。
「TA32」は5度の機雷敷設と1度の陸上砲撃を行った[6]。
1944年8月30、31日夜、ジェノヴァから出撃して「TA24」、「TA29」とともにアルノ川河口付近への艦砲射撃を実施[5]。
1944年10月1日夕方、「TA32」は「TA24」、「TA29」と共にジェノヴァを出撃して機雷敷設に向かった[7]。だが、その途中でアメリカの駆逐艦「グリーヴス」の攻撃を受けた[8]。戦闘中に「TA29」と「TA24」が衝突して損傷したが、「TA32」は損害は受けず、3隻はジェノヴァへ引き返した[9]。
1945年3月17日、「TA32」はジェノヴァを出撃してコルシカ島の北に機雷を敷設した[10]。18日、他の場所で機雷を敷設した「TA24」、「TA29」と共に帰投中イギリスの駆逐艦「ミーティア」と「ルックアウト」に攻撃されて「TA24」とTA29は撃沈され、「TA32」も損傷した[11]。
1945年4月24日、ジェノヴァで自沈した[12]。
要目
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脚注
編集- ^ 『第二次大戦駆逐艦総覧』186ページ
- ^ a b c d "From Glasgow to Genoa under Three Flags", p. 87
- ^ Warships of the Royal Yugoslav Navy 1918-1945, p. 50
- ^ a b 『第二次大戦駆逐艦総覧』80ページ
- ^ a b "German TA Torpedo Boat at War", p. 138
- ^ "German TA Torpedo Boat at War", p. 133
- ^ The German Fleet at War, 1939-1945, p. 242
- ^ The German Fleet at War, 1939-1945, p. 243
- ^ The German Fleet at War, 1939-1945, pp. 243-244
- ^ The German Fleet at War, 1939-1945, p. 245
- ^ The German Fleet at War, 1939-1945, pp. 245-246
- ^ "German TA Torpedo Boat at War", p. 148
参考文献
編集- M.J.ホイットレー、岩重多四郎(訳)『第二次大戦駆逐艦総覧』大日本絵画、2000年、ISBN 4-499-22710-0
- Vincent P. O'Hara, The German Fleet at War, 1939-1945, Naval Institute Press, 2004, ISBN 1-59114-651-8
- Pierre Hervieux, "German TA Torpedo Boat at War", Warship 1997-1998, Conway Maritime Press, 1997, ISBN 0-85177-722-8
- Zvonimir Freivogel, Warships of the Royal Yugoslav Navy 1918-1945, Yugoslav Warships and their Fates Volume 1, Despot Infinitus, 2020, ISBN 978-953-8218-72-9
- Freivogel, Zvonimir (2014). “From Glasgow to Genoa under Three Flags – The Yugoslav Flotilla Leader Dubrovnik”. Voennyi Sbornik (Academic Publishing House Researcher) 4 (2): 83–88 2021年7月15日閲覧。.