RA$H
RA$H(ラッシュ)は、1980年代末から90年代初頭まで活動していた日本の男性ダンスアイドルグループ。1985年デビュー、1992年解散。当時の所属事務所はエムツー企画、レーベルは徳間バーボン。
概要
編集原宿歩行者天国でストリートダンスを踊っていたメンバーが所属事務所の社長である宮沢光子(宮沢りえの母親)にスカウトされ、グループを結成。
1985年、「歌って踊ってお笑いも出来るダンスユニット」としてデビュー。音楽プロデュースはSugarのウエディング・ベルなどを手掛けた古田喜昭が担当。
当初はラップグループであったが、徐々にパフォーマンスグループへと変化していき、イベントやライブ活動で人気を得た。フジテレビの「オールナイトフジ」にレギュラー出演し、コントなどを披露した。
メンバー
編集- 野沢トオル
- 映画『フラッシュダンス』を見て原宿歩行者天国でストリートダンスを始め、スカウトをきっかけにRA$Hを結成。グループ解散後、KANのコンサートツアー・サポートメンバーとなり、ダンサー&コーラスとして活動。1998年に演劇集団「GEKIDAN! Gee−ホイズ」を結成し[1]、本格的に演劇活動を始動。2008年〜2016年、「劇団ベニバラ兎団」に加入し、俳優、劇作、演出を担当。俳優活動の一方で、作家、演出家として舞台やコンサートの演出も手掛ける。ハロー!プロジェクトとの関わりも多く、アンジュルムのコンサートディレクター、BEYOOOOONDSのコンセプトディレクターも務めている。
- 本木 茂
- 1988年、RA$Hとは別にRAPグループ「MC仁義&DJ−893」(後のGM-KAZ)を結成。1990年、RAPグループ「ZINGI」結成し、1stアルバム『ZINGI』(FILE RECORD)を高木完プロデュースでリリース[2]。現在は、MC仁義(GERU-C閣下)としてアニソンDJ、アニパンクのボーカルとしても活動している。
- 石嶋和雄
- グループ解散後、G.M-KAZとしてZINGIのDJ/トラックメーカー/プロデューサーとして活躍。近年はエンジニアリングも精力的に手掛けており、自身のスタジオであるP-STUDIOを拠点にKREVAや童子-Tなどの作品に参加している[3]。
- 神林昇
- ボーカル担当
- 梅沢政人
- 斉藤修一
ディスコグラフィー
編集- Mutant Japmen(1990年10月24日) - TOST-2584
作詞:SHIGERU-J 作曲・編曲:RAPHLES.K(林田健司) ※林田健司「運命はノン・ストップGo Go Go」と同一曲
出演
編集- カックラキン大放送!!(日本テレビ) - レギュラー(1985年〜1986年頃)
- オールナイトフジ(フジテレビ) - レギュラー
- 1or8(フジテレビ)
- ドキッ!丸ごと水着!女だらけの水泳大会(フジテレビ)
- WON'T BE LONG(バブルガム・ブラザーズ) - プロモーションビデオに出演
エピソード
編集脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 野沢トオル (@nozawach) - X(旧Twitter)
- 野沢トオルオフィシャルブログ