MT-2 (航空機)
概要
編集1938年(昭和13年)[1][2]、満洲航空(満航)は当時運用していたデ・ハビランド プス・モスを代替する新型軽旅客機としてMT-2を計画し[1][2][3]、満航航空工廠にて林元技師を主務者として設計に着手[4][5]。1938年7月に行われた[6]航空工廠の満洲飛行機(満飛)への発展を経つつ[3][6]、同年中に[2]試作機1機を完成させ[2][3][6]、飛行試験を実施した[3][6]。なお、風洞実験は日本の航空局航空試験所に委託されている。飛行試験では良好な性能を見せたが[5]、研究期間が不充分という判断に加えて[2]満航と満飛の分離も影響を及ぼし[3]実用化は見送られ[2][3][6]、代わってドイツから輸入されたメッサーシュミット Bf 108がプス・モスの後継を担うことになった[2][6]。
機体は全木製[3][注 1]、低翼単発の単葉機[2][3][6]。胴体はモノコック構造を採用しており[2][3][6]、乗員1名に加えて[6]乗客4名が搭乗することが可能[3][6]。主翼は片持式で[2][6]、後縁が楕円形の翼端や[3]放物線テーパー、スプリット・フラップの装備を特徴とした[6]。エンジンはメナスコ「C6S スーパー・バッカニア」空冷倒立直列型6気筒(離昇290 hp)を1基備える。降着装置は固定脚[2][6]。
なお、寸法をはじめとするMT-2の詳細な諸元の情報は伝わっていない[2]。