JNNニュースデスク'88・'89
『JNNニュースデスク'88・'89[1]』(ジェイエヌエヌ ニュースデスク はちじゅうはち・はちじゅうきゅう)は、1988年10月3日から1989年9月29日まで、TBS系列(JNN)で毎週月曜 - 金曜22:00 - 22:54(JST)に放送された、TBS制作のニュース番組である。
JNNニュースデスク'88・'89 | |
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ジャンル | 報道番組 |
出演者 |
小川邦雄 戸田信子 田畑光永 椎野茂 |
オープニング | 作曲:野瀬充弘 |
エンディング | 同上 |
製作 | |
制作 | TBSテレビ(JNN) |
放送 | |
音声形式 | モノラル放送 |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1988年10月3日 - 1989年9月29日 |
放送時間 | 月 - 金曜 22:00 - 22:54 |
放送枠 | TBSテレビ系列深夜ニュース枠 |
放送分 | 54分 |
特記事項: 1989年1月7日は土曜日であったが、臨時で放送された(後述)。 |
概要
編集前番組の『JNNニュース22プライムタイム』の終了を受け、1988年9月まで土曜・日曜深夜に放送されていた『JNNニュースデスク』[2]を枠移動させて開始した番組である。メインキャスターには、当時現役だったTBS報道局キャスターの小川邦雄と、岩手放送[3]アナウンサーだった戸田信子が、レギュラーコメンテーターには平日の『JNNニュースコープ』メインキャスターだった田畑光永が、それぞれ起用された。
ストレートかつシンプルな構成のニュース番組としてスタートしたが、前番組同様に1年で終了[4]。TBS系列における平日22時台の報道番組は、『プライムタイム』含めて僅か2年のみの放送となり、1989年10月からは夜の最終ニュースの開始時間を23時台に戻し、『筑紫哲也 NEWS23』をスタートさせる運びとなった。
番組開始直前の21:57:30秒から30秒間、または20:54より放送の『JNNフラッシュニュース』にて、スタジオ[5]から生予告が放送されていた。
特別編成
編集昭和天皇の崩御を受けて、1989年1月7日は土曜日だったが、本番組を21:50から23:30まで放送した[6]。当日の放送は歌舞音曲を避けるためBGMはオミットされ、オープニングタイトルのCGも一枚画に置き換えられた。また通常放送で使われていたスタジオセットは使われず、崩御に伴う報道特別番組と同じスタジオセットが使用された。
出演者
編集以下特記のない者を除き、いずれも当時TBS報道局所属。
ニュースキャスター(アンカーパーソン)
編集スポーツキャスター
編集いずれも、出演期間中はTBSのスポーツアナウンサー。
コメンテーター
編集- 田畑光永(『JNNニュースコープ』メインキャスターから起用[8])[7]
脚注
編集- ^ 放送期間中に年が変わったのを反映し、1989年放送分からは番組タイトルも「'88」の部分を「'89」に置き換えている。CM前のアイキャッチでは、「ニュースデスク」のタイトルのみ表示された。
- ^ 1986年9月までは平日にも放送。
- ^ a b 1995年6月23日以降は、「株式会社アイビーシー岩手放送」(IBC岩手放送)。
- ^ 「TBS,「ニュースデスク」打ち切りなど大幅改編へ」『企業と広告』第15巻第6号、チャネル、1989年6月1日、13頁、NDLJP:2853075/9。
- ^ 『JNNフラッシュニュース』では、当時のTBS報道局内から。
- ^ 日本民間放送連盟(編)「TBS 解説加え、多角的・客観的に」『月刊民放』第19巻第4号、日本民間放送連盟、1989年4月1日、34 - 35頁、NDLJP:3471040/18。
- ^ a b c 『国会ニュース』第2677号、国会ニュース社、1988年11月1日、28頁、NDLJP:2859775/15。
- ^ 田畑のコメンテーター起用に伴い、同番組の後任のメインキャスターには、当時TBS報道局所属の平本和生が宛てられた。
関連項目
編集TBS系列 月 - 金曜最終版のJNNニュース | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
JNNニュースデスク'88
↓ JNNニュースデスク'89 (1988年10月3日 - 1989年9月29日) |
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TBS系列 月 - 金曜22:00 - 22:54 | ||
JNNニュース22プライムタイム
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JNNニュースデスク'88
↓ JNNニュースデスク'89 (1988年10月3日 - 1989年9月29日) ※本番組まで報道番組 |